月に舞う桜

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2016年10月02日(日) Cocco Live Tour 2016 “Adan Ballet”

NHKホールで行われたCoccoのライブに行った。Coccoのライブは3回目で、前回から5年ぶりくらいだ。

たぶん家から駅までの道だろうと思うのだけど、なんと鳥の落し物が服についてしまった。しかも、あろうことか全然気づかずに電車に乗り、電車の窓に映った自分を何気なく見てびっくりしたのだった。
自分では拭き取ることができない場所で、私は自分で服を脱ぐこともできない。仕方なくそのまま会場へ向かい、中で落ち合った友達に落としてもらった。友達がいて良かった。一人でライブに行っていたらどうにもならない。それに、友達が嫌な顔一つせず、大笑いしながら拭いてくれたのが救いだった。

開演時間からほんの少しだけ遅れて、Coccoとバックバンドメンバーが花束を携えて登場した。色鮮やかな花束。その花束を、それぞれの足元にそっと置く。

セットリスト↓
1.愛しい人
2.希望の光
3.樹海の糸
4.フレア
5.卯の花腐し
6.Sleeping Beauty
7.影踏み
8.椿姫
9.Rosheen
10.海原の人魚
11.花も咲いたよな
12.強く儚い者たち
13.遺書。
14.コスモロジー
15.楽園
16.すみれ色
17.BEAUTIFUL DAYS
18.眠れる森の王子様〜春・夏・秋・冬〜
19.蝶の舞う
20.有終の美
21.ひばり

ライブは、8月に出たアルバムの1曲目「愛しい人」で始まった。
2曲目は、絶対に聴いたことがあるのにタイトルを思い出せず、帰ってからネットで調べたら「希望の光」だった。ああ、そうだ。これはアルバムに収録されていないから、手元にないのだ。iTunesかどこかでダウンロードしなくちゃ。

ツアータイトルにアルバム名を冠しているだけあって、アルバムのほぼ全曲を歌ってくれた。そして、あいだあいだに昔の曲も。

Coccoの歌は、魂の奥底からほとばしる歌だ。単に「うまい」では片づけられない。あんなに細い体のどこから、あれだけの声とエネルギーが出るのだろう。あまりに強く真っ直ぐなエネルギーに圧倒されて、最初の数曲はポカンとしてしまう。

Coccoは美しい。頭のてっぺんからつま先まで。美女、というのとはちょっと違う。人間という生命体の美しさだ、と思う。体は、ものすごく細い。黙っていると痛々しく見えるほどの細さだ。けれど、歌い始めると強くしなやかで、神々しささえ感じさせる。長くバレエをやっていたからだろうか、体の芯がしっかりしていて軸がぶれない。体の動かし方も、美しい。
前回行ったのは5年前だから記憶がだいぶ薄れてはいるけれど、そのときより表情豊かで、かわいらしさが増している気がした。自分を内側から壊してしまいそうな狂気よりも、生きていることの力強さが前に出ていた。
私はCoccoのアルバムとライブ以外の活動(映画とか舞台とか)までは追っていないし、雑誌のインタビューなんかも(そういう類のものがあるのか分からないけれど)読んでいないので、彼女の内面の本当のところまでは分からない。けれど、歌う表情を見ていると、精神的に充実しているような印象を受けた。

Coccoは、白いノースリーブのドレスを纏っていた。生地が何重にも重なっていて、Coccoが動くたびに裾が優雅に揺れる。
足は、いつものように裸足だ。左足を少し前に出して、体を前後に揺らしながら歌う。私は、Coccoが作り出す圧倒的な空間に慣れてからは、ドレスの揺れる裾と剥き出しの足をしばしじっと見つめていた。

曲の間奏でひらりとターンし、1曲1曲、終わるごとに片膝をついて深くお辞儀する。「フレア」の間奏ではホイッスルをピーっと吹き、「海原の人魚」ではカスタネットを鳴らした。そういうときの仕草や、ちょっとはにかんだような笑顔もかわいらしい。
けれど、Coccoの一番の魅力は何と言っても力強い歌声だ。曲が始まってワンフレーズで、会場の空気を一変させる力がある。CDよりもはるかにパワフルで、ときに艶めかしく、ときに狂気めいて、それでいて、とてもやさしい歌声。
Coccoのライブは、照明の演出も素晴らしく効果的だ。曲に合わせて、青や赤、紫、白と色を変え、曲の世界観を視覚化する。1曲の中で色と光の強さがめまぐるしく変わっていくときもあれば、ステージ全体を静かに照らすときもある。どの曲かはっきり思い出せないのだけど、暗がりの中でCoccoだけが一人スポットライトに照らされたときがあって、あれはぞくぞくした。

たしか「花も咲いたよな」のあと、メンバー全員が退場して、ステージの天井から大きなスクリーンが下りてきた。
スクリーンの中、Coccoがひとり踊っていた。体を伸ばし、あるいは弓なりにし、天を仰ぎ、腰を深く折り、床に腕を這わせ、いっときも止まることなく一心不乱に。派手な照明はなく、むしろ少し暗いぐらいで、BGMはシンプルなピアノの旋律のみ。Coccoのよどみない体の動きに息を呑む。

映像が終わるとスクリーンは天井へと戻り、メンバーが出てきた。Coccoは白いドレスの上に薄紫色のストールを掛けていた。
後半のセットリストは特に素晴らしかった。まさか「遺書。」を聴けるとは思っていなかった。そう言えば、hideがCoccoに衝撃を受けて、特に「遺書。」は、運転中でも車を停めて聴き入るほどだった、というのをどこかで読んだ記憶がある。

「楽園」のときは、再びスクリーンが下りてきて、沖縄の映像が映し出された。ときどきカラー、ときどきモノクロ。薄い青の空、どこまでも広がる海、基地を囲む灰色のフェンス、おばあさんや子供の笑顔、アメリカ兵、抗議集会、道を行く人々の何でもない日常、道端のヤシの木、何か棒が突き立てられた砂浜、青い空、白い雲、空、海、空、空……。すべてを包み込むようなCoccoの深くやさしい歌声を聴きながら、吸い寄せられるように映像に見入っていると、自然と涙が頬を伝った。
政治的な何かをことさらに主張したいわけではないのだ、と思う。そこに広がっていたのは、ただ単純で純粋な、ふるさとへの祈りだろう。誰だって、自分のふるさとにはいつまでも美しくあってほしいし、そこに住む人たちには幸福であってほしい。そして、ふるさとの安寧を願うなら、ただ祈っているだけではだめで、多くの人――とりわけ外の人たちに、目を見開いてもらわねばならない。

ライブに一緒に行った友達が、以前こんなことを言っていた。「年を取って涙もろくなるのは、人の気持ちが分かるようになるからだと思う」と。
「楽園」を歌うCoccoの声は強く何かを叫ぶわけではなく、祈りと愛をたたえてどこまでも広がっていた。その歌声に込められた想いが心にすーっと沁み込んできたから、涙が頬を伝って止まらないのだろう。

「BEAUTIFUL DAYS」から、私の大好きな曲がこれでもかと押し寄せた。ここまで、曲と曲の間に小さな子供の「こっこー!」という呼びかけに「はあい?」と答えることはあっても、MCはまったく挟まない。ひたすら歌い続けている。ライブももう終盤なのに、「眠れる森の王子様〜春・夏・秋・冬〜」と「蝶の舞う」の激しさと言ったら!
「有終の美」が終わると、やっと、最初で最後のMCが。

Coccoが語った。

朝、走っていたら道端で子ネズミの死骸を見てしまって、ああ、今日はbad luckな日だ、と思った。朝ご飯の支度のとき戸棚から器を出そうとして、前回しまうときに「このままだと次に開けたとき絶対落ちて割れる」と思いながらそのまましまっちゃって、戸棚を開けたらやっぱり落ちて割れた。
そしたら、今日は仏滅だった。カレンダーに仏滅ってあって、その下にNHKホールって書いてあった。でも、明日は大安だからね。今日は仏滅だけど、ライブもここまでやってきて、明日は大安だって思える。
年明けに占い師さんに見てもらったら、「あなた、今年はダメだよ」って言われた。でも、もう10月まで来て、今年は大丈夫と思う。もし年明けで死んでいたら、ダメな年だったけど、ここまで生きてきたから、ダメな年じゃなくなった。生きてれば、いいことあるね。

Coccoの話を聞いて、すべてがすんなり落ちた。
この話を聞くまで、「今回のライブレポを書くとしても、鳥のフンのことはなかったことにしよう」と決めていた。
だけど、Coccoがこんな素敵なことを言ってくれたから、全部まるごと書き留めておきたいと思えた。
今日は仏滅。だから、鳥のフンも落ちてくる。だけど、明日は大安。だから、それを先取りするように、友達は笑ってフンを拭き取ってくれたし、素晴らしいライブを味わうことができた。明日も、きっといい日だ。

最後曲「ひばり」は、締めくくりにふさわしく、愛に満ち溢れていた。
やさしい空気が広がって、幸福感に包まれる。

エネルギーと、強さと、愛とやさしさをたくさんもらって、祈りを受け取ったよ。
ありがとう。

生きていれば、いいことあるね。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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© 2005 Sakurai Yuzuki