月に舞う桜

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2016年09月14日(水) 自由って、そういうこと

昨日も今日も朝から雨。
雨の日は、一人で外出できない。
雨の日の外出がもっと容易になれば、また一つ、大きな自由を手に入れられるんだけどな。


自由と言えば。

もうずいぶん前のことだけれど、仕事してたら急にパエリアが食べたくなった。
とは言え、近場でパエリアの美味しいお店を知らないし、調べて仕事帰りに行く気力はないし、急に一緒に食べに行ってくれる人もいなかったから、当時の職場近くでパエリアの素を買って帰った。

そのとき、私にとってはこれが自由の象徴だな、と思った。
ふと思い立ったときに欲しいものを独りで買いに行けること。何て自由なんだろう。 多くの人にとって、そんなのは当たり前のことなのだろうけれど、それが当たり前にできない人もたくさんいる。
ほんの些細な買い物一つ他人に頼まなければならないことの、何と不自由で、何と煩わしいことか。

ある程度好きに使えるお金と時間があり、何より、独りでお店まで行って買い物ができる環境と体(電動車椅子という移動手段、棚の商品を取ってほしいと店員に頼める発話能力…etc.)があることは、他の何にも替え難い大きな自由だ。

ある支援機関に登録直後、将来どういう生活がしたいか聞かれたとき、私はこのパエリアの話を挙げて、理想の一つとして「何日も前から他の人に頼んだりしなくても、ある程度好きなときに行きたいところへ行って、買いたい物を買える生活」と答えた。
別に高価なものを望んでいるわけじゃない。しょっちゅう遠出したいわけでもない。ただ、多くの人が日常生活の中で特に「自由」とも感じずに手に入れている自由を、私だって確保していたい。


もう一つ、「なんて自由なんだろう」と思ったこと。

これも結構前の話だ。
8月まで通勤で利用していた電車は、駅員さんに頼まなくても独りで乗降できる。
ある朝、職場へ向かう車内でToshlのインスタグラムを見ていた。その日はToshlとHEATHのツーショットが載っていて、私はHEATHに見惚れて目をハートにしていた。
気付くと職場の最寄駅に着いていて、あっと思った瞬間に電車のドアが閉まった。
……アホである。 ま、HEATHのせいなんだけど。
で、慌てて次の駅で降り、一駅引き返した。幸い、遅刻はしなかった。

電車を乗り過ごしたのは初めてだった。
乗降を駅員さんに手伝ってもらわなければならない路線なら、こんなことは起きない。到着駅のホームで駅員さんがスロープを持って待っているから。

私は「やっちまったなぁ」と凹みながらも、「自由ってこういうことなんだ!」と歓喜してもいた。
自分ひとりで乗りたい時間の電車に乗り、降りたい駅で降りられるということ。それは、他の誰でもなく、自分の責任で電車を利用できるということだ。
責任を負える自由。
好きなアーティストの写真に見惚れて乗り過ごすという、アホな失敗ができる自由。

自分の責任において失敗を引き受けることができるのは、実は大きな自由でもある。日常に散りばめられた無数の自由に気付かない人は、そう思わないかもしれないけれど。

通勤に利用していた路線以外、つまり、ほとんどすべての路線は、電車とホームの間に大きな隙間や段差があるので、駅員さんの手助けが必要だ。
その場合、私自身の責任において乗り過ごす、などということは起こらない。大げさに言えば、私は庇護と管理の対象であり、私の自由は他人の手に委ねられている。
乗り過ごすことがあるとすれば、それは到着駅にいるべき駅員がおらず、慌てふためいた私が周囲に降車の手助けを求めることができずに、降りれぬままドアが閉まる、というケースだ。
自分ではない他の誰かの責任(それも、仕事上の責任だ)で電車を乗り過ごすなんて、やりきれない。その「自分ではない他の誰か」にも腹が立つけれど、電車の乗降なんていう日常の営みの自由さえ他人の手に委ねられている自分の立場に、げんなりである。

(ちなみに、周囲に助けを求められなかった私の責任、と言えなくもないが、ドアが閉まるまでの短い時間に電動車椅子の降車を慣れない見知らぬ人に頼むのは、危険でもある)

「障害を持っていることは不幸ではない。ただ不便なだけ」と言った人がいるけれど、多くの人が「自由」とも思わず当たり前に享受している自由を簡単には手に入れられない不自由さ、それ自体はやはり不幸なことだと私は思う(ただし、私という存在そのものが不幸なわけではない)。

話が逸れた。
不自由とか不幸とかはどうでもいいんだった。「自由」の話だ。

そんなわけで、たまに些細なことで「何て自由なんだろう! 自由って、何て素晴らしいんだろう!」と、嬉しくなって舞い上がる。
7月とか8月とか、もうすぐ退職だと思ったら気が楽になって、仕事帰りにぶらぶら買い物することが多かった。そのときも「今この瞬間、私は自由だわ!」と心が弾み、いつまでもどこまでもぶらぶらしたくなって、しまいには帰りたくなくなるんじゃないかと自分がちょっと怖くなった。

あ、日記の主旨を台無しにするようだけど、パエリアは素を買って自宅で作るより、ちゃんとお店で食べた方がずっと美味しいですよ。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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