月に舞う桜

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2014年09月28日(日) Toshl本を読んで冷静に思うこと(1)

Toshlの告白本「洗脳 地獄の12年からの生還」は、長年カルトに取り込まれていた当事者が、洗脳に至る経緯および自身が受けた壮絶な暴力と恫喝と搾取、そして自らの意志でカルトを脱会するまでを生々しく書き綴った、貴重な資料でもあると思う。
いちファンという立場をなるべく離れて、いち読者として感じたことをいくつか残しておきたい。


◆Toshlの強さと弱さ
8/22に放送された「金スマ」で紀藤正樹弁護士が言っていたけれど、当事者が自分の意志と力でカルトを脱会するのは極めて稀だそうだ。そして、抜け出すことができたのはひとえにToshlの強さだ、とも言っていた。
確かに、洗脳だとか脱会だとかで世間を騒がせた有名人を思い出してみると、家族などが半ば強引にカルトと引き離したり、説得したりしたケースがほとんどのように思う(ニュースを見聞きするだけなので、真偽のほどは分からないが)。
Toshlは12年に渡って心身をがんじがらめにされていたにもかかわらず、よく自分で目を覚まし、抜け出すことができたものだなあと、その強さとエネルギーに敬服する。

また、今回の本を書くにあたって、残酷な記憶を嫌というほど思い起こして整理しなければならなかったはずだが、記憶と向き合い、これほど克明な告白本を書き上げたことも、Toshlの強さを証明している。本の中で、「MASAYAたちに奪われたお金を取り戻すための損害賠償請求裁判で陳述書を作成したが、作業中にフラッシュバックに襲われ、怒鳴り声をあげて机の上の資料を部屋中に投げつけた」というようなことが書かれているが、同じようなフラッシュバックが執筆中にも起こったのではないかと思う。通常、人は「一生の痛み」になるような記憶を思い出したくないものだし、ましてやその記憶を文字に起こすなどということは、かなりの精神的苦痛を伴うものだ。その苦痛と向き合って一つのこと(ここでは本の執筆)を成し遂げるには、強靭な精神が必要だ。と同時に、自分の記憶を整理していくことは前に進むために必要なことでもあるから、Toshlにとっては執筆作業自体が回復過程の一つだったのかもしれない。

カルトにつけ入る隙を与え、いとも簡単に(本当に驚くほど簡単に)取り込まれてしまったのは、Toshlの弱さゆえと言うこともできるだろう。また、洗脳されている最中でも心のどこかで疑問を感じたこともあったにもかかわらず、脱会を決意するまで12年かかったことにも、弱さが見え隠れする。
ただし、これらを「弱さ」と片づけるのは簡単だが、洗脳が決して私たちに無縁ではなく「誰にでも起こり得ること」と考えるならば、「いとも簡単に洗脳されてしまうほど、当時のToshlは疲弊しきっていた」ととらえるのが妥当なのかもしれない(Toshlの弱さが疲弊をもたらしたと言えなくもないが)。

「強さ」という点で私が一番驚いたのは、暴力や罵倒に怯えながらも、ライブではボーカリストとしてきっちりパフォーマンスして見せたことである。本を読んでから、ZEPP TOKYOのソロライブやXの復活ライブを思い出してみると、開演直前まで携帯を通して罵倒を聴き続けていたとはとても信じられないのである。それほど、ある意味「ごく普通」のボーカリストっぷりだった。これはもう、強さとかの問題ではなくて、プロ根性なのだろうか。


◆自己評価の低さ
ある書評に、「自己評価の低さに驚かされる」とあった。まったく同感だ。
1997年9月22日、Toshl抜きでXJAPANの解散発表記者会見が行われた。本によると、この会見をテレビで見たToshlは、「他のヴォーカル見つからなかったのかなぁ」と思ったそうだ。
「いやいやいやいや、そう簡単に見つかるわけないでしょ!」と、突っ込まずにはいられない。
XJAPANのボーカルはToshlでなければ務まらない。ファンでなくとも、Xに対して一定の評価をしている人なら、多くがそう思うだろう。ボーカルだけチェンジしてバンドを続けること自体はできたかもしれないが、それはもはやXJAPANではない。「XJAPAN=Toshlの歌声」というイメージが出来上がってしまっているから、代わりのボーカルを連れてきたって、なかなか聞き手に受け入れてもらえないんじゃないだろうか。
他のボーカルが見つかるだろう…なんて思っているのは、Toshlだけである。周囲は「あなたじゃなきゃ!」と思っているのに、当の本人は自分の存在価値を認識していない。なぜ、そこまで自己評価が低いのか、不思議だ。

カルトにつけ込まれる要素は、「弱さ」ではなくて、「自己評価の低さ」なのかもしれないな。自己評価が低いから、強い言葉で言われたら、信じこんじゃうんだろう。


書きたいことがまだまだあるので、続きます。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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