月に舞う桜

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2014年09月21日(日) ただ、「おかえり」って、笑顔で

Toshlの告白本「洗脳 地獄の12年からの生還」について、いちファンとしての個人的な想いを記しておく。


本を読み終えたのは、9/15のことだ。
読み進めるうち、「小説みたいだ」と思った。あまりに壮絶な内容なので、私の頭が現実逃避したくなって、小説だと思ってしまいたかったんだろう。

小説なら、どんなにいいだろう。
Toshlの脱退によってXJAPANが一度解散したことと、hideが亡くなったことはどうしようもないことだったとしても、それ以外の、Toshlの身に起こった12年間の出来事がただのフィクションだったなら、どんなにか……。
でも、あの本に書かれていることは、まぎれもない現実なのだ。だから、私は逃げてはいけない。目をそむけてはいけない。

よく、生きてきたよ。頑張ったね。
つらかったね。痛かったね。悔しかったね。

生きていてくれて、良かった。
その言葉に尽きる。

客観的事実として、Toshlには(彼の意志によらないとしても結果的に)加害者としての側面もあることは否めないだろう。Toshlがもっと早くホームオブハートと決別していれば、被害の拡大を防げた、かもしれない(防げなかったかもしれないが)。
でも、私は、全部許す。
私に「許す」なんて言葉を使う資格も権利もないことは分かっているけれど、それでも、「全面的にToshlを許す」と大声で叫びたい。
生き抜いてくれたことだけで、十分だから。


私は、ずっと目を背けてきた。
Xが解散してからの10年間も、X復活後から2010年1月までの間も。
Toshlが洗脳されていることがたびたび週刊誌などのネタになったけれど、見ないふりをしてきた。
本当は、週刊誌のでっち上げなんかじゃないって、かなりやばい状態なんだろうって、心のどこかでは分かっていたのに。
分かっていたのに、私は目を背けて、「Toshlが自分の意志でXを脱退したなら仕方ないし、Xの解散も仕方ない。Toshlが歌いたい歌を存分に歌えているなら、それでいい」と思い込もうとしていた。
MASAYAは怪しいと感じながらも、Toshlは自分の道を歩むことができているのだと思っていた。Toshlが長い間受けていた暴力や搾取なんて、想像しようとしなかった。

目を背けていたから、Xの復活後、Toshlのソロライブにも嬉々としていった。MASAYAの支配下にあったToshlの、ソロライブ。
ZEPP TOKYOで、Toshlがふりまくペットボトルの水を浴びて喜んでいた。Toshlの実情なんて知ろうともしないで、馬鹿みたいに。
あのとき、Toshlはどんな思いで歌っていたんだろう。もしかすると、ライブが終わらないことを願っていたのかな。ライブ中は、暴力を受けることも、ひどい罵倒に晒されることもないから。ステージに立っているときは、せめて、少しでも心が休まっていたなら良いな。
私は、ライブのあとに握手してもらえるからって、グッズを買った。MASAYAの書く詞にどこか胡散臭さを感じながらも、アルバムを買った。
ライブチケット、グッズ、アルバム……その売り上げのほとんどがToshlには渡らず、MASAYAや守谷香たちに奪われていたのに、私はせっせとお金を払っていた。
あいつらの資金源になっていたなら、私も、間接的な加害者だ。私は、目をつぶったまま、あいつらに加担していた。

何でちゃんと目を見開いていなかったんだろう。
自分に何かできたとも救えたかもしれないとも思わないけれど、目を開いていれば、Toshlの苦しみをほんの少しでも感じることができていたかもしれないのに。

なんで、長い間、たった一人で苦しませてしまったんだろう。

ZEPP TOKYOのライブだったか別のライブだったか、私も行ったライブの直後に、「会場の後ろの方にMASAYAがいた」というネット上の書き込みを見つけた。
今回Toshlの本を読んで、その書き込みを見たことを思い出して、「私、何であのとき会場にMASAYAがいるのを見つけて、殺さなかったんだろう」と思った。
「殺す」ということの道義的な意味や重さや、その言葉が頭をよぎることの恐ろしさや、現実的に考えて自分に殺せるはずがないことなんて、微塵も思わなかった。ただ、「殺さなかった」ことへの後悔だけが頭の中を占めた。

憎しみは憎しみを呼ぶ。
だから、「なんで殺さなかったんだろう」なんて考えてはいけない。

それに、死は、取り返しのつかない事態であると同時に、ある種の救いでもある。だって、死んだあとはもう、糾弾をされることも罰せられることも苦しむことも後悔することも、ないんだから。私は、地獄を信用しない。
あいつらに救いなんてあっていいわけがない。

殺してたまるか。


Toshlくん、貴方は今でも、一つだけ間違っているよ。
「金スマ」を見る限り、hideが亡くなったのは自分のせいだと思っている節がある。
でも、それは違う。

hideが亡くなったのは、Toshlのせいじゃない。
どこの誰が何と言おうと、絶対にToshlのせいじゃない。

自分のせいだなんて言うなら、うぬぼれないでよ。
いくら稀代のボーカリストだからって、貴方に、hideの死の原因を作れるほどの力があるはずがないでしょう?

だから、自分のせいだなんて、思うな。


先日、You TubeのYOSHIKIチャンネルで、1994年当時のRusty NailのアニメPVが公開された。
「懐かしいなぁ」なんて気楽に観始めたけど、途中から、「この頃、Toshlは何を思って歌っていたんだろう」と思ったら、泣けてきた。
個人事務所の金銭トラブルやなんかに疲れ果て、守谷香との距離が縮まっていってしまった頃だ。

PVを見て、Toshlの歌声を聴いて、泣いて、こんなんじゃだめだと思った。
こんなんじゃ、横浜アリーナでもずっと泣いてしまう。
せっかくの横浜アリーナでのライブなのに、どの曲を聴いても、「Toshlはこの曲のレコーディングのときは、どんな思いを抱えていたんだろう」とか考えてしまいそうだ。
そんなんじゃ、もったいないし、Toshlを始めXのメンバーに失礼だ。彼らは、私たちに昔を振り返ってほしいわけじゃないだろう。今と未来のXJAPANを見てほしいはずだ。

だから、笑っていようと思う。泣くんじゃなくて。
思う存分、ライブを堪能するんだ。

そして、Toshlに向かって「おかえり!」って叫ぼうと思う。笑顔で。


最近、「Born To Be Free」がよく頭の中を流れて止まらなくなる。
Toshlも、本の中でこの曲について少しだけ触れている。

Born To Be Free

みんな、自由に生きるために生まれた。
Toshlも、これから先ずっとずっと自由であれたらいい。
空の青さに目を細めたり、風のにおいを感じたり、人の温かさにたくさん触れたり、ささやかなおいしいものに感動したり、そうして、ずっとずっと幸せであれ。
人を信じることができますように。平安な心で歌えますように。
12年間のことは一生の痛みだと言うけれど、それは確かにその通りだろうけれど、どうか、心休まる日々が多くあって、天に召されるときは悔いなく人生を閉じることができますように。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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