月に舞う桜
前日|目次|翌日
2014年09月01日(月) |
悔い改めた者は、許されなければならないのか。 |
Toshlの著書「洗脳」をまだ読んでいない。 読まなければと思いながら、あまりに重すぎるであろう内容に尻込みして、なかなか買えずにいた。 だけど、横浜アリーナのチケットが取れたとき、ライブまでには絶対読んでおくべきなんじゃないか、私には読む義務があるんじゃないかとまで思えてきて、悩んだ末に昨日ようやくアマゾンで注文した。 本を読む前に、その重さに少しでも耐性をつけておきたくて、録画してあった8/22の「金スマ」を週末に観た。Toshlの12年間の壮絶な体験が語られた番組だ。 わりと冷静に観ることができたのだけれど、夜になって思い出して寝付けなくなり、むせび泣いた。
月曜夜8時から、TBSで「ペテロの葬列」というドラマがある。宮部みゆきの小説が原作だ。 宮部みゆきの小説は好きな部類に入るが、このドラマはどうしても苦手だ。父が観たがり、放送時間帯は私の夕飯時なので、自室へ逃げるわけにもいかず、見ざるを得なくなる。 人間の持つ悪意や毒に浸食されそうになって、気分が悪くなる。悪い奴らが出てくるフィクションは嫌いではないし、むしろ痛快に思える物語もあるけれど、このドラマはダメだ。 (ドラマを批判するつもりはない。ただ、私と波長が合わないだけだ)
人の心を操って痛めつけるような類の悪は、私の憎しみを誘発する。
ある登場人物が言った。 「どんな悪人でも、改心するものなんですよ」
そのセリフを聞き取った瞬間、大声で叫んで手当たりしだい物を投げ散らしたい衝動に駆られた。 そうしないように、体中にぐっと力を入れて踏ん張った。
ふざけるな。 改心したから、何なのだ。 悔い改めれば、それで許されるのか。 痛めつけられた者の傷はどうなる? 痛めつけられた者の傷や記憶がさらりと消えるなら、存分に改心するがいい。 一生の傷を抱えたまま生き続けなければならない者のことを考えたら、「どんな悪人でも改心する」だなんて、聖者みたいなこと言ってられねーんだよ。
加害者が心の底から悔い改めたならば、許されるべき罪というのは確かにあるだろう。 でも、どんなに悔い改めたところで、許されるはずのない罪というのも確かに存在する。
悔い改めた者は、天国へ行くのだろうか。 冗談じゃない。
私は、あの人たちを決して許さないだろう。 私に、許す、許さないと言葉にする権利なんてなくても。
貴方が許したら、私も許せるのだろうか。 貴方がこの先の人生を幸福に過ごすことができたら、私はあの人たちを許すことができるだろうか。
|