月に舞う桜

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2014年06月19日(木) YOSHIKI Classical World Tour Part1 東京公演(4)

Without Youのあと、繋ぎで少しだけ紅が演奏された。SUGIZOがバイオリン弾いてくれたらいいのにと思いながら聴いていると、曲はART OF LIFEの第3楽章へと移っていった。

ART OF LIFEの第3楽章は、一定のメロディが繰り返されているところに、即興に近い別のメロディが重なる。
YOSHIKIから見て左手に、ピアノとは別に1台のキーボードが置いてあった。そのキーボードで土台となる繰り返しのメロディーを弾き、それはどうやら録音しているようだった。YOSHIKIは録音したメロディをすぐさま自分でヘッドホンで聴いて音を調整し、エンドレスで流した。
そこに、ピアノで別のメロディを重ねていく。

XJAPANの名曲は数あれど、私は、「作曲家YOSHIKI」の最高傑作はART OF LIFEだと思っている。
人生の苦悩や激しさを肌で感じられるような旋律。息を飲んでしまう。
時には不協和音のような音も叩きながら、ピアノを弾くYOSHIKIはだんだんと昇り詰めていくようだった。
聴いているこちらも、どこか別の世界に引きずり込まれていくような感覚になる。

弾き終わったYOSHIKIは息をついて、「ドラムソロをやり切ったあとみたいに、わけ分かんなくなっちゃった」と笑った。
YOSHIKIは呼吸を整えてから、今回のツアーに対する思いを語った。
自分にクラシックコンサートのツアーなんてできるんだろうかと、オファーが来たあとしばらく悩んだらしい。でも、こうやって世界を回って何とかやり切って、改めて音楽の素晴らしさ――音楽は国境を超えて人と人を繋ぐということを感じた、と。
タイでは、情勢不安から、YOSHIKIのコンサートの前に行われていた様々なコンサートがことごとく中止になっていて、YOSHIKIのも開催できるか危なかったらしい。
世界では、今もいろんなところで政治的な衝突も起こっているけれど、これからもできる限り音楽で人を繋いでいきたい。そう抱負を語った。

それから、7人のストリングスメンバーが紹介された。全員が、ハーフもしくは3か国以上の国をルーツに持っている人たちだった。
YOSHIKIが彼女たちに「ツアーで回った場所で一番印象に残っているか、一番楽しかったのはどこか」と尋ねたところ、ほとんどの人がベルリンと答えた。
ベルリン、なぜそんなに人気なのか。

コンサートの締めくくりは、定番のENDLESS RAINだった。
Toshlの歌声がないENDLESS RAINも、それはそれでいいものだ。

私は、音楽の力を知っているし、信じている。
音楽は人を励まし、慰め、勇気づけ、エネルギーを与える。
同時に、私は音楽が無力だということも知っている。
どこかのミュージシャンが言っていた。「音楽じゃ、腹は膨れない」と。
確かにそうだ。音楽を生業にしている人は音楽で得たお金でお腹を満たすことができるけれど、音楽を聴いているほうは、それで空腹が解消されるわけでも喉の渇きが癒えるわけでもない。
音楽は、政治的な問題も経済の問題も個人的な悩みも、何も解決しない。気が紛れるだけだ。
YOSHIKIの奏でる音があったって、Toshlの歌声があったって、絶望する日もあれば、他人に対する憎しみに駆られる日だってある。生の外側へ出て行きたいと思う日もある。
彼らの音楽が何の助けにもならない日だってあるだろう。

だけど、私は性懲りもなく、そこに希望を見出してしまう。
彼らの音があれば、いろんなことが何とかなるんじゃないか、自分はまだまだ先へ行けるんじゃないか、そんなふうに思ってしまう。
その希望がたとえ錯覚でも、たとえ幻想でも、たとえただの気休めでも、信じてしまう瞬間がある。

何度も言うけれど、ばかなんだと思う。本当に。
でも、ばかで結構。上等じゃないか。

ENDLESS RAINが終わって、TearsやSay AnythingやLongingのSEが流れる中、一部の人たちが客席を離れてステージ際まで詰めかけ、YOSHIKIに花束やら手紙やら寄せ書きやらを渡した。
YOSHIKIはそれらをすべて自分で丁寧に受け取り、ハイタッチやロータッチで答えた。
ストリングスメンバーやケイティも含めて全員(Xメンバーはいないが)で深々とお辞儀をし、袖へ引っ込む。それでもYOSHIKIコールや拍手が鳴りやまず、YOSHIKIが再びステージに出てくる。
そんなことが10回は繰り返されたかもしれない。
YOSHIKIは何度も何度もステージに姿を現し、歓声に応え、ときにはマイクを握って「We are!!」と叫んだりもした。そして、何度も深く頭を下げた。
そんなYOSHIKIを見ていると、このツアーに対する思いや、ふるさとである日本への思いが伝わってきた。

(完)


桜井弓月 |TwitterFacebook


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