月に舞う桜
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12日(金)は、先週末に休日出勤した分の振休を取った。それで、今日まで4連休だった。
12日は、小学校からの友人2人とラゾーナで食事した。 メニューの豊富なビュッフェレストランで、少量ずついろんなものを味わって、お腹いっぱい、大満足だった。 私は独身で実家暮らし、友人の1人はパート勤務の兼業主婦、もう1人の友人は1児(男の子)の母で、育休中だ。環境や暮らしぶりは3者3様だけど、会えばすぐに話に花が咲く。話す内容が昔とは少しずつ変わってきているとしても、空気感はやっぱり昔と同じままなのだ。
友人の息子くんは、8ヶ月になっていた。この前会ったのは生後1ヶ月のときだったから、そのときから比べると随分顔がしっかりして、体も大きくなっている。
正直、これまでは子供を見てもそれほどかわいいとは思えなかった。そりゃあ他の人が思う程度には普通にかわいいと思うことがないわけじゃないけれど、他人の子供にそれ以上の情なんて湧かなかった。 子供を邪険にする気持ちはないし、子供というのは世の中で最も守られ、最も未来が約束されるべき存在だと思っているので、「子供を虐待死させた奴は死刑にすべき」というのが私の以前からの感情的な信条なのだけれど、その信条と、子供が好きかどうかというのは別の話だった。 要するに、私は、子供が嫌いという訳ではないけれど、ぶっちゃけ、好きでもないのだった。
ところが、だ。 友人の息子くんのことは、かわいくて仕方ない。 確かに、息子くんは顔もかわいい。でも、顔がどうのっていう、そんな次元の話じゃないのだ。
帰宅してからも、息子くんのことを思い出しては、にやにやしている。 澄んだ目や柔らかな頬や、ベビーカーの上で自分の両足をつかんで口まで持ってこようとする仕草や、キャラクターが飛び出すおもちゃを見てケラケラ笑う顔や、ガサゴソと音を立てるビニール袋が気になって端っこをつまんでみる指の小ささや、離乳食をもぐもぐする口元や、母親(私の友人)に抱っこをせがもうと伸ばす腕や、眠くて泣いてみたときのゆがんだ表情や……とにかく、思い出せば切りがない。 他人の子供にこんなに愛情じみた気持ちを抱くなんて、どうしちゃったんだ、私。 たぶん、息子くんへの想いは、友人に対する愛情ゆえなのだと思う。私は友人のことが好きだから、彼女の宝物である息子くんのことも愛おしく思うのだろう。 友人にはずっとずっと幸せでいてほしい。息子くんが幸せなら、友人だって幸せなはず。だから私は、息子くんの幸せを願う。素敵な出会いをたくさん得て、きれいなものややさしい気持ちにいっぱい触れて、キラキラした人生を歩んでほしい。できることなら、悲しいことなんて何一つ知らずに。 いつもクールな彼女が、いまや「みんなでご飯食べると、おいしいね」なんて、やさしい顔と声で子供に語りかけてるんだもの。そんなの見ちゃったらもう、何だかそれだけで涙出ちゃいそうだわ。
いまだから書けるけれど、私はこの友人に対して嫉妬したこともあった。それも、そんなに昔じゃない話。 能力も仕事もキャリアも愛してくれるご主人も、何でも手に入れて順風満帆のように見える彼女。他人には分からない大変な思いもしてきただろうけれど、外から見れば、すべてを持っているかのようだった。そんな彼女を羨んだ。 でも、自分が彼女と息子くんに対してやさしい気持ちを抱けていると分かって、私の中で、一つ壁を越えた気がした。 嫉妬が消えたら、彼女は今も昔も変わらず、聡明でやさしくて知的で自立した女性だった。 壁を越えたと思える私は、たぶん、自覚しているよりも人生がそれなりに充実しているんだろう。
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