月に舞う桜
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2014年06月18日(水) |
YOSHIKI Classical World Tour Part1 東京公演(3) |
YOSHIKI Classical World Tour Part1 東京公演(東京芸術劇場)のライブビューイング・レポがまだまだ続いてます。
Anniversaryで第1部が終わり、15分ほどの休憩を経て第2部が始まった。 まずはストリングスのメンバーだけが登場して、Amethystを演奏した。 Amethystは名曲だ。長らくXJAPANのライブが始まるときに流れていた曲だから、というのもあるかもしれないけれど、この曲を聴くと、これから始まるであろう何事かに否応なく期待が高まる。そして、壮大な物語性が感じられる曲だ。
Amethystが終わると、YOSHIKIが登場した。 衣装を着替えていて、上半身は白いシャツに白いジャケットだった。 良かった。もう、あの怖いTシャツじゃない。
YOSHIKIがピアノを弾く。即興だった。 即興はいつしか白鳥の湖になり、また即興へ戻っていった。 適当に弾いているようでいて、もちろん適当ではなく、美しく調和のとれたメロディー。即興は、「ピアニストYOSHIKI」を堪能できるひとときだ。
即興&白鳥の湖の次は、今度こそ映画「聖闘士星矢」の主題歌Heroだった。 再びケイティが登場して、歌い上げる。 初めて聴いたHeroは、やっぱりYOSHIKI節が炸裂してはいるんだけど、そこまで”ぐわぁー”っと盛り上がらず、少し抑え気味な印象を受けた。
ケイティが退場して、ピアノとストリングスでI.V.を短めに演奏した。 サビが流れたとき、もしかしたら袖からToshlの歌声が聴こえて登場するんじゃないかと思ったけれど、それはなかった。どうやらXのメンバーは本当にもう出てこないらしい、と悟った1曲だった。
I.V.の流れのまま、聴こえてきたのは「ふるさと」だった。 ふるさとだ、と気づいた瞬間に、私の涙腺は緩んでしまった。 今回のクラシックコンサートツアーでは世界中を回っているけれど、各国で、その国の人ならだれでも知っている曲を1曲取り入れているそうだ。その話を知っていたから、「日本での曲は何にするんだろうなぁ。さくらさくらかな」なんて、私なりに思いを巡らせていた。 それで、日本の曲として「ふるさと」を選んだのだと分かったら、YOSHIKIの思いが胸の奥深くまで痛いほど流れ込んできて、泣かずにはおれなかった。
ずっと遠く離れた地にいても、日本はYOSHIKIにとって、今でもちゃんと、ふるさとなんだ。 ふるさと、帰るべき場所。
日本でなかなかライブをやってくれないこととか、日本だけのアルバムが出ないこととか、正直、日本を疎かにしているんじゃないかと思うこともしばしあって。 でも、帰るべき場所があるからこそ、遠くの地で戦えるのだろう。 だから、全部、もうどうだっていいやと思った。 日本がふるさとなら、それでいい。
帰っておいで、いつでもこの場所に。 そして、羽を休めたら、また好きなときに好きな場所へ飛んでいくがいい。どこへでも、どんな遠くでも。 どうか、貴方にとってこの地がいつまでも帰るべき場所でありますように。
曲が終わると、YOSHIKIは長い話を始めた。決して流暢ではなく、むしろたどたどしく。 それまでは、日本語で少し喋っては、それを逐一英語に訳していたけれど、このときは英語を交えず、日本語だけで語っていた。世界中の他の誰でもなく、日本の私たちに向けて。
世界中を回ってきて、最後はこの日本で……それぞれの国で親しまれている曲を弾いてきたけど、日本では何を弾こうか、今朝まで決まらなかった。
YOSHIKIの言葉は、そんな話から始まった。
「さくらさくら」にしようか、Xの曲を弾くのは当たり前だし、演歌を弾くわけにはいかないし……迷いました。 20年ロスに住んでいるけれど、日本はやっぱりふるさとだなと思って、この曲にしました。
そうやって話しているうちに、YOSHIKIは言葉を詰まらせて、鼻をすすり始めた。 私は、自分が泣いていることを棚に上げて、ここで泣くところか? とほんの一瞬、訝しんだ。 YOSHIKIの話はまだまだ続いて、その訝しんだ気持ちなんてすぐに吹っ飛んだけれど。
小さいときにToshlと出会って、バンドを組んでデビューして、最初はお金がなくて、移動に使っていた車がガス欠したこともあって大変だった。 世界を目指そう! って頑張ってきたけど、Xが一度解散して、HIDEが亡くなって、何が一番大切なんだろうって考えた……売れること? 有名になること? 違う、自分はずーっと、このメンバーと一緒にやっていきたいんだ、それが一番大切なことなんだと気付いた。 いつも、いつ諦めようかって思う。 メンバーは、僕が皆を引っ張って行ってるって言うけど、本当はいつも皆に背中を押されている。
こんな話を、ときどき鼻をすすりながら、ぽつぽつと話すYOSHIKI。
YOSHIKIは、確かにカリスマで、稀代のアーティストで、強くエネルギーに満ち溢れていて、めちゃくちゃだ。 でも、ときどき、ひどく子供みたいに見えるときがある。ライブのときは、特に。
弱い人なのだ、と思う。 YOSHIKIは強く、だからこそ、弱い。 弱いから、YOSHIKIには音楽が必要だったのだろうし、弱いから、あんなに破壊的で美しい音楽を生み出せるのだろう。 そして、弱いからこそ、こんなにも人を魅了する。
YOSHIKIは、Without Youを弾いた。 ステージ後方のスクリーンには、昔のXのライブ映像や、TAIJIがゲスト出演した2010年の日産スタジアムライブの映像や、小さいYOSHIKIと生前の父親の写真なんかが映し出された。
人生とは、ごく個人的なものだ。 どんな有名人であれ公人であれ、突き詰めていけば、人生丸ごとその人のものなのだ。 ある人の私的な面と公的な面は、それぞれ独立してあるわけではなく、不可分に繋がっている。 私たちが見ているのはYOSHIKIだけど、ときどき、林佳樹が見える。父親と並んで写真に写っている男の子は林佳樹で、メンバーと一緒に髪を逆立ててライブで暴れているのは、YOSHIKIだ。でも、そこに断絶はなく、きちんと繋がっている。 本人がどう感じているかは分からないけれど、YOSHIKIは林佳樹の延長なのだろうし、切り離すことはできない。 それなのに、ともすると私たちは、YOSHIKIに、ただYOSHIKIであり続けることを強いているんじゃないだろうか。 YOSHIKIの人生は、林佳樹のものなのに。
スクリーンの中、HIDEがチュッパチャップス(らしきもの)を咥えながらYOSHIKIをおぶって笑っていた。 ばかだねえ、何でチュッパチャップスなんか咥えてんのさ。 ばかだねえ、あんたら、いい歳してそんなに髪染めて、何をはしゃいじゃってんのさ。
彼らに20年も魅了され続けている私も含めて、みんな、ばかなんだと思う。
そのすべてが、ばかばかしいほど愛しい。
(まだまだ続く)
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