月に舞う桜

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2014年04月06日(日) 2014年になってからのこと

1月後半から2月上旬にかけて、気力が落ちていた。セロトニンだがドーパミンだかヒアルロン酸だか……あ、ヒアルロン酸は違うか。とにかく、脳内に必要不可欠な何かが不足しているか過多になっている感じがした。

自分のエネルギーが低下しているときは、他人の負の感情に侵されやすい。
その頃、冷凍食品に農薬を入れた男が逮捕された。
多くの人の中に、いや、他人のことは分からないから言うべきではないけれど、少なくとも私の中には、小さな悪意や不満がある。だからと言って、人様が口にするものに農薬を入れてやろうなどとは微塵も思わない。思わないが、小さな悪意や不満に蓋をして善良な市民でいることに、ときどき不公平を感じて馬鹿らしくなる。
犯罪を犯せばそれ相応の刑罰を科される、という意味では、不公平ではない。そもそも、私自身が、善良な市民でい続けることを願っている。
それでも、私が飼い慣らしている悪魔は、ときどき「まったく不公平だ。やってらんねーよな」と呟く。
悪意を持つことと、それを行動に移すことの間には高い壁がある。その壁を乗り越えてしまった人は、罰せられはするけれども、結局はどこかでのうのうと生き延びるのだ。一方で、正義感や倫理観や当たり前の人間らしさで悪意や不満を抑え込み、壁を乗り越えまいと必死で己の足を地につけて生きる人たちもいる。例えば、生活保護以下の給料だとしても、だ。
そこに不公平を感じてしまうとき、私は恐ろしいことに思い当たる。
悪意を行動に移してしまう人に、本当は嫉妬しているのではないか?
本当は、私は壁の向こう側へ行きたがっているのではないか?
そして、思考はさらに先へ進む。
私にとって、「悪意や不満といった感情と、それを形にした行動との間にある壁を乗り越える」とは、人様の食べ物に農薬を入れることではない。おそらく、下らなく感じてしまった世の中からドロップアウトすることなのだ。

けれども、物事は、実はもっと単純だ。
思い起こせば、1月から2月は軽くウツになりやすい。ただ、それだけのことだった。
去年は新しい環境に入ったばかりで気が張っていたから、元気だったけれど、おとといやその前の年を振り返ってみると、どうもエネルギーが低下しがちな時期らしい。

2月下旬のある夜、空が澄んでいて星が輝いていた。その日は少し暖かくて、春のにおいがしていた。
帰り道、星を見上げながら春の芽吹きを感じたら、なんだかわくわくした。
そして、以前書きたいと思っていた小説の世界が広がって、主人公が頭の中でしゃべりだした。

春のにおいは、毎年ドキドキする。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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