月に舞う桜
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リストカットは、しない。 たとえ自殺することがあっても、リストカットだけはしない自信がある。理由は簡単、血が嫌いだから。 でも、リストカットの意義は、解る。死ぬためではなく、むしろ生きるため、死ぬほど苦しい状態から自分を救い出すためだということも、解る。
24の夏から秋にかけて、おそらくリストカットの効果と同じものを、私は経験してしまった。 ちょうどその頃、リストカットに走る若い女性が増えている話が、あちらこちらで上がっていた。 きっと死ぬためじゃないんだろうな……ということは、容易に想像できた。どれくらい効果があるものなんだろう、どれくらい楽になれるんだろう、と考えた。 リストカットと同じような「薬」を求めていて、でも体を切るのが嫌だった私は、自分の手首を思い切り噛んでみた。それから、太腿に長い爪痕をつけてみた。
効果は、絶大だった。 手首や太腿の痛みと引き換えに、心がすうっと軽くなった。胸のつかえが取れて、うまくできなった呼吸がスムーズになり、気管や血管を正しいものが正しく流れている感じがした。 効果が大きすぎたので、私は逆に怖くなった。これは癖になる、と思った。耐えられる程度の痛みで、これだけ即効性があるなら、体に無数の傷跡ができるのも厭わなくなってしまう。そう思うと、自分の狂気が恐ろしかった。
だから、私は手首を噛むことをやめた。後戻りできなくなる前に。 いまも、一歩手前で踏みとどまっている。 恐怖とは、自分を守るためのものなのだなと、つくづく思う。 血に対する恐怖、己の狂気に対する恐怖、後戻りできなくなることへの恐怖。それらが、私の意志とは独立した場所で、私を守っている。 もっとも、狂気も見方によっては自己を守るためのものなのだけど。
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