月に舞う桜

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2008年04月06日(日) ★ライヴその後★苦言

今回のXJAPAN復活ライヴ、セットも演出も非常に素晴らしかったと思う。特にHIDEのホログラムは、まさかあそこまでの演出があるとは予想していなかったので(スクリーンにHIDEが出るだけだろうと思っていた)、本当に感動した。HIDEに対するメンバーの愛情やスタッフの努力が伝わってきて、嬉しかった。
それに何より、TOSHIの歌とMCを生で聴けたこと、聴きたかった曲を聴けたことは、他のどんなマイナス面を考慮したとしても、私の中でその大きな意味が損なわれることはない。

それでもやはり、「破壊の夜」しか行けなかった立場としては、もやもやが残ってしまう。「無謀な夜」「創造の夜」が大成功だったらしいことを参戦者の満足の声と共に見聞きすると、どうしても「何で初日だけ……」と悔しさを覚えてしまう。
一週間経ってだいぶ冷静になった今、私の正直な気持ち――感謝と感動の裏側に張り付いた苦言――をまとめて書いてみたい。
そして、いつまでもグチグチ言っていても仕方ないので、文句は今日限りにしたいと思う。

まず、「破壊の夜」で私が感じた問題点は以下の3つだ。
・予定時間から開場が2時間、開演が2時間20分遅れた
・それによってライヴ自体が大幅に短くなり、2時間弱しか行われなかった
・ライヴが唐突に終わった

初日が大波乱の夜だったので、YOSHIKIの体のことも含めてあとの2日が心配だったけれど、無事に有終の美を飾ったようなので安堵した。結果的に、3daysを通して振り返ると今回の復活ライヴは成功と言えるのではないか。それでメンバーたちは初日の悔しさが少しは晴れただろから、私だってそれは良かったと心底思う。
東京ドームでは、規定で夜10時までしかライヴを行えないらしい。押しに押して「もう電源を切りますよ!」とドーム側に言われる中、YOSHIKIは舞台袖に引っ込むたびに頭を下げて交渉したという。何とか粘って、ART OF LIFEまでやった。時間が押したのは機材トラブルが原因だったけれど、YOSHIKIはHIDEのホログラムを諦めなかった。時間を押してでも、どうしても等身大のHIDEを私たちの前に登場させたかった。その強い思いには頭が下がるし、敬服する。

こんなふうにポジティブに受け止めている部分があるのは、私の中でXJAPANに対して感情的な繋がりがあるからだ。
けれども、感情的な繋がりがあるからと言って、「ま、Xだからしょうがないか」で全てが済ませられるわけではない。Xファンは待つことに慣れているけれど、少なくとも私にとっては、今回は限度を超えていた。

シビアに考えれば、ライヴは金銭的な契約だ。
私たち観客はチケット代金を払う(それも、Xのチケットは他のアーティストに比べて高い)。アーティストとスタッフは、チケット代に見合うライヴを提供する。3daysライヴと言っても、3日間の通しチケットではないのだから、1日ずつ完成されたライヴを提供しなければならないはずだ。
セットリストは事前に公表されているわけではないから、どんなにライヴが短かったとしても、それは観客の期待と予想が外れただけのこと。だから、契約不履行ということにはならないだろう。
しかし、開場と開演時間に関しては、予定時間が明記されている以上、できるかぎり予定通り執り行えるようにするべきではないか。何が起こるか分からないのもライヴの醍醐味ではあるから、ある程度の遅延は仕方ない。観客側だってリスクは承知だし、それなりの覚悟はしている。
が、2時間遅れというのはあんまりではないか。最高のセットと演出と演奏をするための遅延と言っても、それはそれ、これはこれ。最高のライヴを時間通りに提供するのが、プロではないのか。

ライヴは「なまもの」だから、アクシデントはつき物だろう。仕方ないと言えば仕方ない。やってみて、遅れたことや、できなかったことは今更言っても始まらない。
ライヴが中止されたのではないから、チケットの返金を訴えようなどという気持ちはさらさらないし、そもそも返金なんて意味がない。振替公演をしたとしても、ライヴはその日限りのものだから、同じセットリストだとしても取り戻せない点は多いだろう。

大幅な遅延とそれによるライヴの短縮がどうにもならないことであるなら、せめて、その場できちんと説明をすべきだろう。プロが負う責任の中で、「説明責任」の割合は非常に高いと思う。
私は仕事でオペレーターをしているが、お客様からの苦情を受けることもある。どんな企業、どんな仕事でも、人間のやることだから時には手違いが起こってしまうこともあり、それはある程度仕方のないことだ(もちろん、企業側が「仕方ない」と言うのは言語道断だけれど)。では、手違いが起きたときにどうするか、何ができるのかと言えば、第一に、とにかく説明責任を果たすことだ。なぜ手違いが起きたのか、今どのような状況か、今後どういった対応ができるのか。それらをきちんとお客様に説明することから始めるより、他はない。

ライヴの話に戻ると、寒いなか開場を待っているとき、係員から何度も同じ言葉が繰り返された。
「開場時間ではありますが、ただいまリハーサル中のため、まだ開場ができません。もうしばらくお待ち下さい。皆様のご理解とご協力をお願いいたします」と。
機材トラブルについては一言も触れられなかった。
リハーサルをしていたのは本当だったかもしれない。けれども、そもそもなぜリハが押したのかと言えば、始めに機材トラブルや設営の遅れがあって、そこから全てが押していたからだろう。
そこら辺の原因を何も説明せずに、ただ「リハーサル中です」と言うだけでは、「リハーサルをしていると言えば、私たちが『YOSHIKIも頑張っているんだから、私たちも我慢して待とう!』と大人しく黙るとでも思っているんじゃないのか!?」という穿った見方をしてしまう。
しかも、最後のほうは係員の口調が非常に投げやりで、私は長時間待たされていることよりも、むしろその口調に腹が立ったほどだ。時間が押しているのはあなたのせいではないが、あなたは観客ではなく運営側の人間でしょう、そんな立場の人が投げやり&逆切れ気味の口調でどうするんだ! と。うちのセンターに入る苦情の大部分は他部署のミスが原因なのだけど、それでも私は企業側の人間としてできるだけ丁寧に謝りますけどね。

それから、TOSHIのMCについて。
ライヴ参戦記にも書いたけれど、ライヴの冒頭でTOSHIは「だいぶ待たせて悪かったな。YOSHIKIがちょっと遅れたぜ」と言った。
YOSHIKIはそういうキャラだし、一発目のMCではノリが大事だから、それでよかったと思う。
ただ、それで終わりなの!? とも思ってしまったのだ。少々の遅れ(私の感覚だと30分が限度)なら、YOSHIKIのせいってことで片付けるのも十分「あり」かもしれない。が、今回は2時間だ。
翌日のYOSHIKIの会見で機材トラブルが原因だったことが説明されたし、後日TOSHIのブログでも遅延の謝罪があった。
それでもやはり、私は当日あの場で何らかのきちんとした説明がほしかった。TOSHIであれば、Say AnythingかI.V.の前にでも、一言、真面目な説明ができたはずだ。

私が今回のライヴで一番残念だったのは、あまりに唐突な終わり方だった、それをメンバーが選んだことだ。
YOSHIKIが倒れてメンバーが舞台袖に引っ込み、ライヴ終了のアナウンスが流れるまで、本当にあっと言う間だった。メンバーに別れを告げる暇も、余韻に浸る間もなかった。
私にはYOSHIKIが本当にぶっ倒れたように見えたけれど、真偽は分からない。ライヴを終わらせるために演出で倒れるつもりだったのが、力尽きて本当に失神してしまったのかもしれない。
完全な演出だとしたら、あの場ですべきことではなかったと思う。「倒れる=観客にきちんとけじめのある別れができない」ということだから。ライヴ中に演出で倒れるのはYOSHIKIのパフォーマンスの一つだから別に構わないけれど、そういう終わり方は散々待たせたファンに対してあんまりではないか?
もし本当に倒れたのだとしても、他のメンバーはもっと違う対応ができたはずだ。
ART OF LIFEが終わってすぐ手を振りながら去るのではなく、一度ステージ上に立ち止まって4人で、YOSHIKIが起きれないのなら3人で、挨拶をしてきちんと終わらせてほしかった(「5人でX」と言っても、現実的に責任を取れるのは4人なので)。
今日は機材トラブルがあって遅れてしまい、ライヴが短くなってしまった。10年ぶりに大勢集まってくれたのに申し訳ない。絶対にまた会いましょう。
それくらいのことを、TOSHIが代表して言ってくれてもいいのではないか。
機材トラブルが誰の責任によるものなのかは分からない。スタッフの準備不足なのかYOSHIKIが妥協しなかったからか、アーティストとスタッフを含めた全員の見通しの甘さのせいなのか。
いずれにしても、アーティストに直接の責任があろうとなかろうと、観客に対してはアーティストは責任の一端を担っているし、前面に立って説明なり謝罪なりの対応ができるのも、スタッフではなくアーティストなのだ。
だからこそ、ああいう終わり方はないんじゃない? と、私は思うのです。

YOSHIKIおよびXJAPANを見ていて常々思うのだけど、アーティスト性とプロ意識のバランスを上手く維持していくのって、難しいことだ。
YOSHIKIは妥協しない。妥協しないで作品を作る。だから発売がとてもつもなく遅れる。妥協しないでドラムを叩く。だから倒れる。挙句にライヴが中止になったりする。
私たちはそのアーティスト性に惹かれるから、何時間でも何年でも待つ。そうして待つことに慣れてしまい、「ま、Xだからなぁ」などと言って、「待たせるのもXの醍醐味の一つ」みたいな雰囲気ができてしまう。
でも、プロとして、それはどうなの? と思うことも私は少なくない。少なくないけれど、Xの無敵なエネルギーを前にすると、そんなことはどうでもよくなってしまう。そして、離れられない。

今回のライヴの終わり方も、結局のところプロ意識よりアーティスト性(=YOSHIKI流の美学?)が勝ってしまったんだなぁと思ったのだった。


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