月に舞う桜

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2008年04月07日(月) ★ライヴその後★攻撃は、まだ再開されたばかりだろ!?

ライヴ終了から今までの心の変遷と、今の心境。
昨日書いた「苦言」は偽りのない本心だ。でも、これから書く想いも、紛れもない真実。

ライヴの最後までいられないかもしれないと思っていたのに、予想外に短かかったため、終演に立ち会うことはできた。それはよかったのだが、唐突な終わり方に呆然としてしたまま帰路を辿ることとなった。電車の混雑ぶりに、ライヴの興奮がかき消されそうになりながら。

翌日(29日)の朝、目覚めたとき「あれは夢だったのかもしれない」と思った。夢だったらいいのに、ライヴは本当はまだ一週間先……ってオチだったらいいのに、と。
午後、あまりに不完全燃焼感が凄まじいので、「白い夜」のDVDを観た。アコースティックバージョンのROSE OF PAINで、号泣。祭りのあとの虚脱感と、悔しさと、ライヴの余韻が渦になって、吐き出さなければ苦しくてどうにかなりそうだった。
ひとしきり号泣すると少しすっきりして、気分が持ち直した。きっと、メンバー自身が一番悔しかったに違いない、と思えた。
が、夜になって、どうしても「無謀の夜」が気になり、mixiで情報収集してしまった。すると、開場も開演もほぼ定刻通りで、ライヴ内容も素晴らしかったとのこと。
それで、また号泣。自分が取り残された気がした。
30日はチケットが外れたから仕方ない。自分の体力を考えると、たとえチケットが取れたとしても2日続けての参戦は難しいだろうと思って、29日はチケットを取ろうともしなかった。それが悔やまれた。無理してでも行けばよかった。
初日でアクシデントが起きたからこそ、残り2日は大成功してメンバーが完全燃焼することを祈っていた。それは本当。けれども、やり切れなかったのも、また事実だ。初日はリハーサルだったの? と思った。

いま思うに、ライヴ翌日の土曜日にあれだけ泣いたのは、悔しかっただけじゃなく、ライヴで受け取ったエネルギーがあまりにも強大すぎて、そのエネルギーにやられたからでもあるんだろう。

28日の「破壊の夜」はWOWOWで生中継されていた。我が家はWOWOWに加入していないので、チャンネルを合わせても音はなく、不鮮明な映像が流れるだけだ。実は、それを承知で録画しておいたのだった。
30日の日曜日、その不鮮明なライヴ映像を観てみた。不鮮明でも、どの曲をやっているのか、TOSHIが何と言っているのか全部分かる。I.V.のときは「あぁ、ここで歌唱指導があったんだよなー」と思い返し、紅では、客席一体となって赤ポンポンが振られているのがはっきり分かった。これならメンバーたちも絶対気づいてくれたはずだと思い、安心した。
私は確かにこの場所にいたんだ、と実感して、純粋に感動した。何と言っても、Silent JealousyとアコースティックバージョンのSay Anythingが聞けたんだもの。それだけでも、すごいことだ。
行って良かったと、そこで始めてきちんと認識した。

それから、グッズ販売で買ったパンフレットを読んだ。メンバーひとりひとりのインタビューはどれも内容が濃かったが、中でも、TOSHIのインタビューには涙が出た。
自分が原因を作った解散から10年間の想い、Xヘの想い、HIDEへの想い、そしてYOSHIKIへの想い。TOSHIの想いがストレートに伝わってきて、泣けた。このインタビューを読むことができただけでも、高いチケット代を払っただけの価値がある、と思えた。
友達って本当にいいものだ。青臭いかもしれないけれど、それがTOSHIのインタビューを読んで真っ先に浮かんだ正直な感想だった。
私は仲の良い友達であればあるほど「一緒に仕事はしたくないなぁ」と思ってしまうタイプなので、余計にTOSHIとYOSHIKIの結び付きには感服する。
幼稚園のすみれ組からの繋がりだもの、途中10年離れたとしても、その絆は周りの想像を超えたものなんだろう。

パンフレットを読み終えて、私は「ま、しゃあねぇか」と思った。完全に納得できたわけではなかったけれど、少なくとも、自分を納得させる努力をする気にはなった。

バカみたいな話だけど、ライヴ前の私は、ライヴが終わったら自分の人生がないような気がしていた。それは具体的な「死」を思ったのではなくて、例えば「4月以降も相変わらず仕事をしている自分」というものを想像できなかったのだ。ライヴで燃え尽きて、それで終わり。そう思っていた。
でも、ライヴで完全燃焼できなかったとあっては、これで終わりにはできない。こんなんじゃ、私の人生、終われない。
Xが無敵なら、私だって無敵だ。Xが攻撃再開したのなら、もちろん私だって。そしてその攻撃は、まだ再開されたばかりでしょ? こんなんで、終わるわけがないでしょ? 終わらせてたまるかよ。絶対に、また会いに行ってやる!
そんな闘志が、むくむくと湧いた。

TOSHIのMCをもっともっと聴きたかった。
YOSHIKIのこどもみたいな笑顔をもっと見たかった。
もっともっと名前を叫びたかった。「We are X!!」って叫びたかった。
Xジャンプだって、私はジャンプそのものはできないけど、加わりたかった。
そして、ちゃんと手を振って、見送りたかった。

こんなに悔いが残るから、行けるところならどこだって、また会いに行くよ。

今回のライヴには、ものすごく期待していた。期待が大きかったから、落胆も大きかった。考えてみたらさぁ、他のアーティストならこんなにガッカリしなかったはずなんだ。
それだけ、私の中でXの存在が大きいってことだ。それを、思い知らされた。

車椅子は、1台目から自分にぴったりのものに出会えるわけじゃない。何台も乗り替えることで、だんだん自分に合うタイプが分かってきて、ぴったりの車椅子を見つけられるんだ。
就職だって、そう。私は新卒のとき、なかなか就職が決まらなかったから、決まったときは「就職できた」ってだけで本当に嬉しかった。でも、結局その初めての就職先は、1年足らずで辞めてしまった。そして、2社目の今、何だかんだ文句を言いながらも3年目に入った。骨を埋める覚悟はできていないけれど、当面はこの調子でやっていけたらいいと思っている。

そんなもんだ。何事も、はじめから100%うまくいって大満足、なんてあるわけがない。
Xのライヴは今回が初めてだった。初めてのライヴが最高のものだったら、私はそれで満足してしまっていたかもしれない。「もういいや。これで人生に悔いはない」と思ってしまっていたかもしれない。
心に残ったモヤモヤと悔しさは、Xからのメッセージなのかもしれない、と思う。「俺たち、こんなもんじゃねーぞ」って。「だから、お前の人生もこんなもんじゃねー、これで終わりじゃねーぞ」って。「まだまだ先があるから、覚悟しとけよ!」って。

私はさ、今までずっとずっとXに生かされてきた。中学2年の自然教室へ向かうバスの中、紅に衝撃を受けてからずっと、その途方もないエネルギーで生かされてきたんだ。
だから、これからだって生かされていくんだろう。待たされて待たされて、心配もさせられて、時には呆れたりぶち切れたりしながら、それでもやっぱりXに生かされる。
ったく、しょうがねーな。

復活したのは嬉しいけれど、ずっとは続かないような気がしていた。あまり続けなくてもいいんじゃないかと思っていた。またXJAPANとして本格的に活動するのは、TOSHIの重荷になるんじゃないかと心配だった。
今は違う。
Xがメインの活動じゃなくてもいい。でも、Xという形は、できることなら継続してほしい。一時中断は何度だって、何年だってあっていいから、「完全な終わり」にはしないでほしい。だってさぁ、「破滅に向かって」いる間は、「破滅」そのものではないんだから。

これで終わると思うなよ!


桜井弓月 |TwitterFacebook


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