月に舞う桜
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そこにいるべき人が、今はもういない。 その人がいた場所。本来なら、今もその人がいるべき場所。そこが空席になっているよりも、代わりに例えばギターが置かれている方が、その人の不在を強く感じさせる。
彼が確かにそこにいたということ。ずっと忘れないということ。忘れるわけがないということ。今も傍にいて、共に暴れてやろうじゃないかという連帯感。 生き残った私たちがギターに込めたのは、そんな強くて熱い想いなのに、ギターが最も強烈に物語るのは、彼の「不在」。 存在の証となる物が、不在を物語る。
だから、私は立ち尽くした。
大学時代に傾倒したレヴィナスを、久しぶりに思い出した。 思えば、彼とレヴィナスは、私の中でいつも繋がっている。 死者が占めていた場所を、<ある>が埋めていく。死者の場所が空虚であり続けることは、ない。 それは私たちの意思ではどうしようもない、残酷な事態だと思っていた。 でも、本当は私たちが率先してそうしているのだ。愛する者が遺した空虚を何かで埋めなければ、生き残った私たちは前に進めないのかもしれない。生きていかれないのかもしれない。 空虚を空虚のままにしておけない。それは、生きている者の一つの弱さなのだろう。 場所をたちまち埋め尽くしていくこと、それはやはり残酷なことだと思う。けれども、忘れて踏み越えて生きていくからではなく、愛しているからこそ埋め尽くさずにはいられないことだって、あるのだ。
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