月に舞う桜
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| 2007年09月11日(火) |
Imagine there's no heaven |
こんな世の中なら、いっそのこと滅んでしまった方がいいんじゃないかと、ときどき思う。 安心して年老いてゆくことも子供を産むこともできず、先進国と言われながら未だに餓死する人がいるような国なら。毎日毎日人が殺されて、正義だ愛国心だテロとの戦いだと言い訳しながら戦争し続けるような世の中なら。弱いものがどんどん傷つき、その傷に対して無知でいるような世界なら。 それならば、早く滅んでしまえと、その方がむしろ幸福なことだし地球にとっても有難いことではないかと。
本気で、ときどきそう思う。
でも、そんなふうに思っているときの最大の間違いは、私が「滅び」というものを「一瞬ですべてが消え去ること」と想像している点だ。 「滅び」とは本当はそんなものではなく、じわじわと少しずつ人々を蝕み、気づいたときには恐怖が蔓延し、多くの人間が長いこと生と死の間に置かれたまま悲劇が広がっていくのだろう。 もしも全世界の人間が瞬時に死に至るのなら、それは悲劇なんかではなく、地球の長い歴史の単なる一コマに過ぎない。 おびただしい数の死が悲劇になるのは、残されて生きなければならない人や、死に切れずに生を強いられる人が存在するからだ。生の側にいて、生きることを苦しんだり死を悼んだりする人間がいなければ、悲劇は悲劇たり得ない。
「滅び」は、「滅んでしまえ」と言いながら私が想像するするような簡単で幸福なものではなく、とてつもなく大きな悲劇をたどった先にあるものなのだろう。 「滅んでしまえ」とは思うが、悲劇を目の当たりにしたくはない。
ならば、そうならないように生きねば、と思う。
災害や殺人や虐待や貧困が起こる。 それでも、人は必死に生き続ける。 他者が生きる様を見ると、私は「生きなければ」と思う。とてつもない理不尽さへの怒りから「私も含めて世界は消えてしまえ」と思うのとバランスを取るように、「生きなければ」と強く強く思う。
どうしたって、世界は輝いているのだ。 例えば、この前Mr.Childrenのライヴに行ったとき、世界はやっぱりキラキラしていて、強大な感動とエネルギーがあって、ずっと向こうの方から希望が向かってきた。 それが、その場にいた人間だけの狭い狭い世界での自己満足でしかなくても、世界の輝きと希望を感じる瞬間がある限りは、滅びへの道を進んではいけない。 世の中ごと、自暴自棄になってはいけない。
今日の朝日新聞の夕刊に、『イマジン』の歌詞の一部が載っていた。 中学か高校のとき、英語の教科書(副読本か、先生が配ったプリントかも)にこの曲の歌詞が載っていて、訳もついていた。 私はそれを読んだとき、「Imagine there's no heaven」(想像してごらん、天国なんてないことを)の部分に衝撃を受けた。当時の私は、「白人は皆、天国天国と言って、その存在を信じ込んでいるんだろう」という偏見を持っていた。 だから、白人であるジョン・レノンが「天国なんてない。皆、今を生きているんだ」と歌っていることに、心底衝撃と感銘を受け、目が覚めた。
アメリカで同時多発テロが起こった直後、この曲の放送を自粛する動きがあったという。それを聞いて、私はもう本当にアメリカに失望した。「こういうときこそ必要な歌、歌わなきゃいけない歌なのに」と。 でも、放送自粛の一方で、それでも歌い続ける人がいた。それが、「希望」だと思った。
音楽で世界は変わらない。音楽で世界を変えられるとは思ってない。 けれども、たまには、「音楽の力で国境も何もかも越えて、戦争をなくせるんじゃないか」とバカみたいな理想論を恥ずかしげもなく言ってみたくなるんだ。
それが、この前のライヴで私が得たエネルギー。
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