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真光業の真実 信者を嵌める欲望の神々(5) No: 5776 [返信][削除] 投稿者: 03/04/10 Thu 19:38:09 「信者を嵌める欲望の神々:新興宗教を告発する」 田中一京著 青年書館1989.11 『世界真光文明教団』(132-136頁): 宗教に没頭すればするほど金を注ぎ込み、生活は悲惨になっていくのに教団は知らんぷり 私の本が書店に出て間もない頃、便箋三枚に小さな字でびっしり書かれた匿名の手記が寄せられたので、原文のままその内容を紹介してみよう。 前略、突然名前も書かず、このような文面を差し上げる失礼をお許し下さい。 私は、先生の書かれた『新興宗教・金儲けと権力争いの実態』という本を読み、新興宗教の姿というものがやっとわかったような気がしました。それで以前私が入信しておりました『世界真光文明教団』の熱心な信者でもあり、私の友人でもありますYさんの生活の様子をありのままにお知らせして、機会があれば多くの人に教団の実態を知っていただき、宗教の本質を考えるための参考にしていただければと思いペンをとりました。 私は現在三十三になる一男一女の子供を持つ家庭の主婦でございます。私は約一年前長男が遊んでいて怪我をしたとき、友人の勧めで世界真光文明教団へ入信しました。現在はやめておりますが、たった一年足らずで信心をやめたのにはそれなりの理由があったからです。 その理由といいますのは、実は、私に入信を勧めてくれた友人の女性Yさんの生活状態を見たからですが、Yさんのことをお話する前に、私が教団に入ったときのことを簡単に記します。 教団に入信するには、まず最初に三日間の初級研修というのを教団の地方道場で受けなければなりませんが、この時教団へ“おみたま料”というお礼金の一万円を必ず払わなければなりません。そして毎月道場の運営費として五百円払うことが決められております。しかし、それは最低必要なお金で、そのほかお参りする都度五千円、一万円とお金がいりますし、研修も中級・上級に進めば進むほど万のつくお金がかかります。 聞くところによりますと、最低必要な定められたお金以外は各々信者の皆さんの自由な意思といいますか、自分の気持ちから教団に寄付するという形で納められているようですから、道場によって多少の違いはあるようです。しかし、いずれにしましても、教団が最初説明する数倍のお金を取られることは間違いありません。いかに教団が信者からお金を吸い上げているかということがわかるかと思います。 -------------------------------------------------------------------------------- 信者を嵌める欲望の神々(6) No: 5777 [返信][削除] 投稿者: 03/04/10 Thu 19:39:09 (続き) さて、私の友人で信者のYさんは、都内の小さな会社に勤めている30歳の女性なんですが、もともと関西の方から上京してきて、現在独りでアパート住まいをしています。Yさんは、教団の信者でなければ絶対に結婚しないというほど熱心な信者で、教団のため現在も一生懸命活動をしています。彼女の性格は素直で真面目な、どいらかといいますと無口な方で仕事も熱心にすることはしていたのですが、宗教に凝りはじめてからというもの頑固になったといいますか、素直さがなくなり、まるで人が変わってしまったのです。 彼女の給料は月額の手取りで約13万円ほどですが、それにもかかわらず、彼女はどうも三度の食事を満足にとっていないようで、最近特に頭痛がする、めまいがする、体の調子が悪いといっては仕事を休み、道場へ行っては手かざしを受け浄霊をしてもらっているのです。私の経験から言わせてもらえば、あんなことで絶対に治るはずはないのですが、彼女は熱心な信者ですから言わせてもらえば、あんなことで絶対に治るはずはないのですが、彼女は熱心な信者ですから自分の信仰が足りないからだと思い込んでいるのです。 私は、このままだと彼女が栄養失調で倒れるのではないかと思い、見るに見かねて何度か意見をしたのですが、一向に私の言葉を聞こうとせず、逆に信心をやめた私に敵意さえ示すほどです。 彼女の手は荒れて夏でも霜ぶくれのように赤く腫れています。 そこで彼女の実生活を聞いていただきたいのですが、それは質素で、現在住んでいるアパートは六畳一間で家賃が1万5千円。共同便所に共同炊事場といった環境のところに住んでいます。 部屋の中にはファンシーケースと鏡台があるだけで、他に家具らしいものはほとんどありません。 彼女の一ヶ月の生活費を簡単に計算してみると、一日の食事代が600円、朝食抜きで昼食は月のうち半分は抜いていますし、食事をする場合でも最高250円まで。夜の食事もインスタント物かよく使っても350円までです。ですから一ヶ月の食事代は最高で1万8千円程度です。 それに風呂代や光熱費が1万円そこそこ、その他諸々の雑費を入れても一ヶ月5万円くらいの生活をしており、他にほとんどお金を使うことはないようです。もちろん衣類や化粧品などは一切買いませんし、いつも他人からもらった服を着ているといった具合です。 月々もらう給料から必需品を除いても、毎月8万円くらい残るはずなのですが、それを貯金するのならともかく、それとなく本人に聞いてみると、自分の食べる物や着る物まで切り詰めて残したお金を、ほとんど教団へ注ぎ込んでいるらしいのです。 こうして書きますと、本人がいいと思って納得づくでしていることだから、他人がそこまで首を突っ込む必要はないとお叱りを受けるかもしれませんが、一人の友人として見て見ぬふりはできないのです。宗教団体というのは、こんなに信者の生活を苦しめていても平気なのでしょうか。もちろん、本人はそれが一番いいことだと思い込んでいるのですから、所詮私一人の力でどうこうすることはできません。しかし、彼女のような例はいくらでもあると思うのです。 神を信じ宗教に没頭すればするほど苦しい生活を強いられます。こんな矛盾したことが許されていいのでしょうか。教団では信心すれば幸福になると教えます。でも実際にはそれと反対のことが行われている。これが教団の実態なのです。 私が言いたいのは、宗教に凝りすぎると本人の気持ちがだんだん閉鎖的になって、自分と同じ宗教を信じている者しか信用しなくなり、一人二人と友達を失い、しまいには彼女のように自分のすべてを犠牲にして、それが当然のことのように思い込んでしまうのです。 彼女の場合を見ますと、いつもにこにこしていたのに、最近では変に理屈っぽくなって楽しく話したり、接することがほとんどなくなりました。こんな状態を目の当たりに見ますと、宗教というものが怖く思えてなりません。 教団としても多くの信者の私生活を把握することは不可能だと思いますが、信者の実生活を知らずして、単に口先だけで幸福を説いてもそれはまやかしの教えだと思うのです。綺麗事を並べ立て、弱い立場の信者から容赦なくお金を吸い上げ、信者の生活を平気で犠牲にする信仰が本物の信仰なのかどうか皆さんに考えていただきたくペンを取った次第です。 -------------------------------------------------------------------------------- 信者を嵌める欲望の神々(7) No: 5778 [返信][削除] 投稿者: 03/04/10 Thu 19:39:41 「新興宗教被害と悩み解決法」 田中一京著 青年書館 87.11 105-110頁 <神や霊の存在を絶対視すぎて自我や理性を失っている> 信者心理の特徴として、神や神の意思を伝える教祖、あるいは教団の教えには絶対に逆らえない面がある。しかし、だからといって自己の意思をすべてねじ曲げてまで従順になる必要はないのだが、現実を見てみると宗教に洗脳され盲信している信者は理性を失い、自己の信奉する宗教教団の意のままに操られ、動かされているといっても過言ではない。 信者が信仰に没頭し、宗教精神を享受しようとする姿勢そのものは決して間違った行為でも、他からとやかくいわれる筋合いのものでもないが、ただ、神や教祖教主の教えを絶対視するあまり、正常な考え方ができなくなってくると、少々事情は違ってくる。 そこで、理性を失っている信者のどこに危険性が内在しているのか、病気を治したいばかりに教団の言葉を信用し、宗教に洗脳されている信者の宗教意識を見てみることにしよう。 『私は世界真光文明教団の信者です。私が入信したきっかけは、ある日突然、おなかが千切れるのではないかと思うほどの激痛に襲われ、救急車で病院へ運ばれました。そのとき医者の診断は「上部尿路結石」ということでした。 私はすぐ入院させられ、病院で出してくれる薬を飲み治療を続けていました。そんなとき「病気というのは、薬を使うと一時的に症状を押えることはできるかもしれないけれど、それは治ったと錯覚しているだけでほんとうには治っていない。病気はもともと霊魂と肉体のバランスが崩れたときに起きるのだから、浄霊しなければ完全に治ることはない」と他の信者から教えてもらったのです。 私は手術をしなければ治らないと思っていました。そんなとき手術をしなくても“真光の業”で痛みを止め、病気が治せると聞かされすぐその真光の業を受けたのです。 病院のベッドの上で信者の人達から“手かざし“を毎日受けました。そして私も「主の大神様」に、痛みを和らげてください、手術せずに病気を治して下さいと真剣に頼みました。 そうするうちにだんだん痛みもとれてきたような気がしてきたので薬を飲むのをやめ、親の反対を押し切って退院し、通院するかわりに毎日教会へ通いました。 今もときどき痛みはありますが、主の大神様が御浄霊して下さり、必ず病気は治るといってくれていますからその言葉を信じています……』 と、千葉県松戸市に住む元店員のSさん(22歳)は語る。 -------------------------------------------------------------------------------- 信者を嵌める欲望の神々(8) No: 5779 [返信][削除] 投稿者: 03/04/10 Thu 19:40:10 (続き) 特定の神に仕え、宗教の教えを受け、それを絶対と思い込んでいる信者に対しては、なるほど神の啓示や教祖の言葉は絶対であり侵すことのできない神聖なものであるといえよう。 だが、洗脳された信者以外のものから見ると神や教祖の言葉は決して絶対ではあり得ないし、当然のことながら、それほど神の絶対性というものは信用していない。なぜなら、この世の中に唯一つ絶対神といわれる神々がどれほど多く存在しているか、また、唯一つ絶対神と崇める神々の力というものがどれほどあやふやなものであるか、信者自身が少し冷静になって宗教の現実を見ればわかることである。 ではもう一例「崇教真光」に洗脳されている信者の話を紹介して、どこに問題があるのかを考えてみたい。 『御み霊をいただき神組手(信奉者)になって真光の業を覚えれば、誰でも病気を治すことができる。ただ、そのためには初級真光研修を毎月1回、3日間だけ受けなければならない。その講習を受けて神組手(信奉者)となり、陽光子(信者)となれば、手の平から真光を発することができる。 私達が“施真”(手かざし)すれば、不思議な現象が起きてくる。たとえば急に下痢をしたり熱を出したりするが、これはクリーニング現象(肉体の浄化作用)といって、人間の体の中に蓄積された毒素が“真光の業”によって、外へ排出されるために起きる現象だからまったく心配ない。 それより、施真によって精神的にも肉体的にも健康になるんだから、こんなありがたいことはない。教え主さまの力というのはそれほどすごい。どんな病気でも治すのだから……。 病気で苦しみながら病院通いをして、なおかつ薬づけにされている未組手(非信者)の人達のことを思うと、ほんとうに可哀想だ。 だから私達は教え主さまの御教示を生活の糧、信仰の糧として、できるだけ多くの未組手の人達に“真ぼえ”(声をかけ勧誘すること)したいと思っている。 崇教真光の不思議を知らない人達は、こうした話をしても信じようとしないばかりか「施真だけで病気が治るはずはない」と疑ってかかる。しかし、誰が何といっても実際に治るから不思議なんだ。 病院で医者に診てもらうより“真光の業”の方がよほど信用できる。こんなありがたい教えを否定したり、知らなかったりする人達はほんとうに不幸だと思うね。 実際に、私自身が真光の業で胃にできた悪性の腫瘍を治してもらい、その奇跡を体験しているんだから、これほど確かな証拠はないだろう……』 と、東京都世田谷区に住む自由業の後藤さん(41歳)は説明する。 -------------------------------------------------------------------------------- 信者を嵌める欲望の神々(9) No: 5780 [返信][削除] 投稿者: 03/04/10 Thu 19:40:39 (続き) この事例は、現信者の宗教姿勢、および洗脳された状態や考え方を如実に示しているものであるが、もちろんこれとは反対に、病気が治るからと入信を勧められ、真光の業を受けたが病気は治らなかったと不満を漏らし、騙されたと訴えてくる信者が多いことも見逃してはならない。 ここで例示した二人の信者の考え方は、猛進した信者の特徴を端的に現しているものであるが、神や霊というものをあまりにも絶対視しすぎて、自我意識を失っているところに大きな問題を抱えており、近代的医療行為を否定するといった危険な考え方を持っていることがはっきりわかるであろうし、その部分がもっとも危惧されるところである。 われわれ人間社会の中における宗教の存在価値というものは、諸々の悩みを持つ者に対し精神的に導き、その苦労を和らげ取り除きながら立ち直らせるところに宗教の価値観、あるいは本来の使命が存在するはずだ。 つまり、病気治しに限定して考えると、近代医療の実績を認めたうえで、その医療行為と並行しながら、精神面から患者の意気を高揚し貢献していくというのが宗教行為の本筋である。 言い換えるならば、その宗教行為を信者自身が良識と節操をもって世のため人のために役立たせるのであれば、信仰を治療の一分野として利用することは何ら問題はないし、逆に治療効果も十分期待できると思う。 だが、頭から近代医療を否定する姿勢、そこに問題があるのだ。つまり、宗教上の教えを絶対視するあまり、盲信的になった信者が医療は害悪といった考え方を他に押し付けたり、医療の社会における貢献度を認めようとせず、ただやみくもに否定するという態度を取り続けるならば、それは完全に宗教の使命や役割を履き違えていると考えなければならない。そこのところを宗教に洗脳された信者はわからないから、いろいろな社会問題を引き起こすのである。 こうみてくると、神を絶対と信じる理性を失った信者の考え方や行動が、いかに危険で偏った考えに陥っているか、あるいは洗脳された信者の偏向した考え方が社会的に受け入れられないものであるか、つまり、自己の信奉する神の教えだけが正しいと思い込んでいる信者は、自我意識を失うことによって、同じ宗教の教えを受ける者以外の意見には耳を傾けなくなり、ますます気持を閉鎖させてしまう。 そこに反社会的、反人道的な行為を平然と行う元凶が生まれてくる要因があるように思えてならない。
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