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2001年05月30日(水) (fake 010 真光業の真実 )

Re: 源さんと世界真光組み手さんへ Follow: 5658 / Prev: 5592 / No: 5645 [返信][削除]

投稿者:彦 03/04/01 Tue 01:20:23
私は昔組み手でした。初級研修を受講したのは今から26年前。受講する前の、子供の時にも(昭和47年)父に連れられて武道館で行われた秋季大祭に参加し、間近で初祖の姿を体験しています。

でも、いまは組み手ではありません。一言では申せませんが、教団を取り巻く人間関係のゴタゴタに愛想尽きたからです。

教義の批判は書いても感情的になって聞いてもらえないでしょうから書きません。だが、一つだけ言わせてください。

> 死んだ後の事がわかるから、真光組み手になることが大切だと信じれるん
>ですけどね。死んだ人が幽界通信で死後の世界の事を語ってくれるからだよ。
> その例として・・
> 「この神様は素晴らしいから絶対真光をやめないでくれ」
> 「わしは生きてる時は真光を全く信じてなかったけど、今死んでみて、組み手の
> 言う事が本当だったとわかったよ。わしは否定して後悔してる」
>
> ↑このような言葉が幽界通信で通告してきたんだよ。

私の通っていた道場でも同じようなことはありました。また、私も手かざしを通していろいろな体験があります。もちろん、手かざしの奇跡も知っております。手かざしでの奇跡も知っております。でも、この霊界通信(お浄め中の浮霊のことでしょう)を私は素直に信じません。

なぜなら、私には霊能力がないのでこの浮霊して話している方が本当に亡くなった方が話しているのか、確かめられないからです。故人をずっと見ていた動物霊が本人になりすまして語っていたとしても、普通の人間である組み手には判別不可能じゃないですか。

私が頻繁に通っていた頃、「霊に興味を持ってはいけない」「霊のしゃべることは信じてはいけない」と何度もいわれました。だが、真光を批判する掲示板をいろいろ読む限り、現在はそんな指導はなくなったみたいですね。これは非常に危険です。実際、上野道場で分裂騒ぎがあったときも、霊の話す事を信じて動いていたからです。

私は縁があってある著名な霊能力者と知り合ったのですが、その方は守護霊を瞬時に見抜く力があります。「あなたを守っている人は2代前の方で名前は○○さんです」というように具体的に、そしてその霊能者に話してもいない先祖の名前を語り、生前の容姿や性格なども正確に説明します。その方が言うには、守護霊を侍だとか歴史上の人物だとかいう霊能者は偽物だ、といいます。ほとんどの方は自分と縁があった数代前の先祖が守ってくれているそうです。そして、本当の霊能力があるなら、霊の名前とか生前の容姿とか性格までもわかるといいます。ちなみにその方に真光のことを尋ねても、あまり良いことは話しませんでした。

話が脱線しましたが、真光の最大の問題は、霊能力のない人たちが浮霊した人を霊査することです。本物の先祖なのか動物霊なのか見分ける能力もない人たちが、霊と会話し判断していくことは非常に危険です。

これでは、教団が霊そのものに操られていくだけです。霊媒信仰と批判されても反論できないと思います。

天変地異がやってくる、という言葉も今では虚しく思います。

私は信仰は持ち続けます。それは特定の教団に所属するのではなく、神仏に対して畏敬の念を持ち続けるという意味においての信仰です。

あれだけ本物だ、と信じていた真光の、最近のことを知るにつけ悲しくなります。神仏は存在しても、宗教団体は所詮、人間の集まる集団であり、さまざまなエゴがあり対立するだけです。

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源信さんへ Follow: 5662 / Prev: 5658 / No: 5661 [返信][削除]

投稿者:彦 03/04/04 Fri 03:02:52

お返事ありがとう。

> それから本スレでも以前にかきこしましたが、霊能力者は凡人よりも少し多くが
> 見えるのですが、逆に自分が見えていることが全てだと過信してしまうところが
> 最大のウイークポイントになっているようです。(某霊能力者の名言)
> 彼らの発言は断定的ですが、参考程度に聞いておく位で丁度良いでしょう。

私の知り合いの霊能者は正式の僧籍を持つ人で、とても謙虚な方です。一度美術館に仏像を見に行ったときがあったのですが、さすがに仏像については専門家でその詳しい説明とその真摯な姿勢に、気がつくと会場中の人がその人を中心に大きな輪をつくっていました。人を引きつける魅力に溢れた方です。そして断片的な物事はいいません。わかることははっきり言うけれど、わからないことははっきりわからないといいます。

開眼供養した数珠か否かを瞬時に見抜き、仏像やご神体の波動を感じる能力をもった方が真光のことをよく思わないのはどうしてなんでしょうか?もし真光が本物なら、多くの霊能者が褒め称えるのではないでしょうか?

源信さんのレスを読んで思ったのですが、源さんのほうが断片的なものの捉え方をされているように思いました。

> ようは霊が離脱して永年の不幸現象が解消するか否かという点で自ら判断
>するしかないように思います。

これは単に本人が思いこむだけで、本物かどうかの証明にはならないですよね。

私がいいたいのは、霊が見えない人間が霊のせいだとか安易にものごとを決め付けてしまっていいものか、ということなんです。初代教祖が在命時ならともかく、いまの真光には霊をはっきり見分けられる能力のある人は皆無でしょう。崇教にも文明にもいないんですよ。双方どちらの2代目もその能力はないはずです。なぜなら月始祭の教示でよくわかります。

> 初級研修でも、「自分と縁があった数代前の先祖が守ってくれている」
>という事に近い内容だったと思います。

私はおそらく源さんより古い組み手で教団の書籍を読んだ量では勝っていると思います。昭和40年代の書籍も読んでいます。なぜなら大学生の時、週1回夜間何かあったときのために道場に泊まり込みをしていました。そのときにいつも道場にあった本を読んでいたからです。昭和50年代はまだまだ初代が存命中の本がすぐに読めたのです。

数代前というだけで、実際は浮霊した霊が話さないと、何代前かも、その誰かもわからないわけでしょ。守護霊は先祖だけとは限りませんよ。先祖と縁があった友人が守護霊になることもあるし、全く違う他人がなる場合もある。

> 私の場合は入信の10年以上前からの持病がいくつも解消したので、
>Aの方だったと判断しました。

病気が治る宗教は真光以外にもあります。奇跡が起きたからといってそれで真実の教えというわけではないのです。それに第一、病気が治ることと霊がしゃべることが本当かどうかは別問題です。

私が組み手だったとき、ある道場とお清め所が中心になって分裂が起きました。そのとき分裂した方(あえてその教団名は書きませんが、いまでも真光系として存在します)の組み手が道場でお浄めをしていると、初代の岡田光玉氏の霊が泣きながら浮霊したのです。そして

「崇教は間違った方向に進んでしまっている。私は神界にはいけず幽界で苦しんでいる」

といいました。(実話です) ようするに普通の人と同じ幽界にしか行けなかったということを話したのです。

その分裂した方でも手かざしで霊は出てくるし、真光と同じ手かざしの力があったようです。

おそらく源さんは「その霊は初代とは違う霊だ」と思うことでしょう。その霊が泣きながら語った内容が本当だったら、その時点で真光は崩壊するから。その霊が本物なのか偽物なのかも、証明できないのです。

源さんの

> 私の場合は入信の10年以上前からの持病がいくつも解消したので、
>Aの方だったと判断しました。

この論理を使うならば、この霊が岡田氏と判断することもできます。実際、分裂した方の手かざしも同じような奇跡があるのですから。

真光をはなれてもう20年近く経ちますが、現在の真光は私が一番熱心に活動していた昭和50年代よりも、教団が歪んでしまったようです。

岡田光玉(救い主)氏が「くれぐれも自分が死んだ後、自分を神のように祭ることだけはやめてほしい。人物崇拝は絶対ダメだ。神さまだけを祭りなさい」と話していたのに、崇教はその後、道場に写真を飾り参拝の時に拝むようになったではないですか。挙げ句の果て、世界総本山ができた後、高山に救い主を記念する館もつくってしまった。

分裂した方に浮霊した霊が話したことは、崇教が初代の言葉を忘れて祭り上げていることを考えると、本当のことかもしれません。

私はマスコミに勤めていて、オウムの取材をしたことがあります。

上九一色村では信者と話をして議論もしました。批判に一切耳を貸さない態度、自分たちが絶対だと思う姿勢、すべてを自分たちの都合よくとらえる姿は、現在の真光と似ています。

信仰から離れないとそれがわからないのです。何を書いても源さんは信じないでしょう。だが、信仰は個人の自由なので信じる信じないは源さん個人の問題です。

私が一番真光にいいたいのは、天変地異が起きるから、といって大学進学や仕事を辞め信仰にのめり込んでいった人たちを教団はどう考えているのか、ということです。ローマカトリックが偉大なのは、過去の過ちをバチカンが自ら謝罪するからです。

あれだけ20世紀末に天変地異が起きて日本人は1割も残らないといっていたじゃないですか。

余計なことを一つだけ書かせてください。

>私の知人の精神科医は催眠術もかけれますが、シーちゃんのような思い込み
>はしていなかったようです。 ふー。

たとえ、議論が白熱しても、相手の感情を損ねるようなこと相手の人格を攻撃することを書いてはいけません。ディベートにおいて相手の人格を攻撃した方が負け、ということがいわれています。

どんなに腹がたっても

>ふー

など、書いたら、真光の組み手はやっぱりすぐ感情的になる、とすべての人が思うことでしょう。

確かにここの掲示板は真光に対して否定的なのですから、あなたが攻撃されるのはしかたがありません。あなたを詐欺師呼ばわりするのもちょっと行き過ぎだと思うし、あなたが怒るのも無理はありません。

だが、どんなにひどい言葉をぶつけられてもそれでムキになった時点であなたの信仰はそんなものだ、とこの掲示板を読んでいる人は判断するのです。

信仰を持つ者は謙虚になるべきです。真光を離れた今でも「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という真光が好んで教団誌に書いた言葉をいまも私は真実だと思っているのです。

いささか書き過ぎました。お詫びします。

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そうかなさんへ Follow: 5667 / Prev: 5662 / No: 5666 [返信][削除]

投稿者:彦 03/04/05 Sat 01:21:14
御指摘していただいたことには一理あります。

だが、

>宛ら、霊能者と云う特殊能力者は、権威と人格的評価を具わらなければ
>霊能者であることを認めないと云う主張に聞こえます。
>霊能者と人格性はどう関わりがあるのかと云う点、

御指摘されたことですが、ちょっと私の言いたかったこととずれがあります。

>逆に自分が見えていることが全てだと過信してしまうところが
> 最大のウイークポイントになっているようです。

というウイークポイントがその方にはなく、むしろ過信と反対で謙虚な人だ、ということを言いたかっただけです。

>知識としての謙虚さが
>ない”、と指摘してるに過ぎないわけです。

私は霊の存在を否定していません。知識としての謙虚さという理屈っぽい言葉で考えたことはありませんが…。。

>わたしが考える「謙虚」とは、宗教としておのれが主張していること、もしくは
>信仰の根拠が、知識としての根拠ではなく、単なる思い込みであることを素直に
>認める姿です。

私がいう謙虚さとは素直に反対意見に耳を傾け、もう一度自分の信じているものが本当に正しいのか考えて欲しい、ということです。知識の根拠とかそんな難しいことは一切考えていません。

いずれにせよ、それよりも、私が霊能者のことを書いたためこの掲示板本筋が横筋に外れる様になりうな危険があるので、私は発言を控えます。

真光への疑問を書いても、霊のことを書けば同罪として徹底的に攻撃される掲示板のようですから、私はこの掲示板の最初に書いてあった「何でも書いてください」という言葉に騙されました。



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