2006年04月07日(金):ゆとり教育の弊害、さくまドロップス以降
〜先日の日記にて、表題にある「『竜王は生きていた』とは?」とご質問を頂きました。〜

なんというか、最近の小中学生は幼稚になったと言うか、
(いや、確かに朕らの幼少の砌に比べ早熟化した部分もあるが)
それでもやはり機転や情緒、精神的な成熟度に於いては低下したと言わざるを得ない。
分かりやすく言うと「一休さんを見ておもしろいと感じるべき部分が判断できない」といった状態であろうか。

食通が集まるからこそ料理人はより旨い料理を作られるわけであり、畜生どもに喰わせるのは餌であり料理ではないと味平でも納得するところ。

まぁ、天才の出現する確率自体が下がったのかも知れんし、もしくは確率は同じであるならばそれに出会うことは母数の多寡に比例すると言うことか。
そしてその才を磨く環境、切磋琢磨がより大きな成長を生む。
無論、仰木監督がいてこそのイチローしかり、その才能を見いだし用いる指導者自身の能力も肝要であることは言うまでもない。


〜今日のハンバーガー:ビッグマック+ポテトM+コークM〜
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