会社が安全な場所だったことは一度もない。そんなことは願望に過ぎない。金儲けのために集められているに過ぎないのに、仲良くなんかできるわけがない。傷つけないという保証なんかあるわけがない。リストラだってありだ。何でもありだ。会社は安全な場所ではない。安全な人間なんかいるわけがない。飲み会なんかで仲良くやっているのは幻想だ。無理して仲良くなんかしなくてよろしい。心を許せる相手なんかいない。人を信じてはいけない。基本的安心感は会社にはない。言葉や感情や道徳なんかでコントロールできる相手などいない。私は現世なんか興味がなくなった。スピリチュアルに生きるのみだ。何で心を許してしまったのか。何で言葉や道徳で何とかなると思ってしまったのか。何で安全だなどと思ってしまったのか。何で信じてしまったのか。話し合えばわかるなどと思ってしまったのか。こちらが何もしない限り何もされないだなどとなんで思ってしまったのか。この世は安全な場所などではない。今まで病んでいたのだ。病から回復している。回復すべきときが来たから回復している。長い時間待った甲斐があった。無駄ではなかったのだ。私は芸術家なので、人の言うことが理解できなくても恥じることはない。誰も理解できないことが理解できる。人はいくつもの言葉を理解できるとは限らない。でもスピリチュアルという言語は全ての言葉を話す人に通じる唯一の言語で、それは体を通してしか、解することができない。言葉は惑わし、傷つけるだけだ。掃除が大事というのはそういうことだ。 そういえば、中学時代、きちがい教師とトラぶったときも掃除と遅刻が原因だったし、前の会社を首になったのも、掃除をしないことのトラブルが原因だった。掃除を甘く見てはいけない。掃除ができなくなったときはやばくなったときだ。 あんりとの関係が変質してきた。すごく甘い恋人同士みたいな関係だったのに、この前ちょっと冷たくしたのをきっかけに、デリヘルとお客の関係に戻ってしまった。残念なことだ。どうして人を愛せないのだろう。女が嫌いなのか。かわいそうだと思わないのか。女を愛さないのは罪だ。心に余裕がなくなって人を傷つけてしまう。もっと愛そう。もう一度アンリを愛そう。アンリがどんな人間であっても愛そう。可愛がろう。この間は少しそういう気持ちがよみがえった。愛はお金で買っても良いと思うくらい優先順位が高い。愛に飢えている。wさんに恋するくらいに飢えている。wさんでなくてもいいんだけど。wさんが良い。 悪と馴れ合い、悪を匿い、悪のために弁明し、悪を容認し、悪を養ってきたけれども、それももう終わりだ。これからはスピリチュアルの道に立ち戻る。悔い改める。ぜひともそういう必要がある。このまま行くとずるずる行ってしまう。これを機会に悔い改めることとする。わかりやすく、行いを改めるようにしたい。内面というのは行いについていくものだ。私は思想家ではなく、商人に過ぎない。行いで示す以外に道はない。悪の人生だった。悪に取りつかれてひたすら悪いことをしてきた。病んでいたから仕方がないのか、悪くないのに、無理やり悪いことをしていたために気が狂ったのか。悪いことをし、今も悪いことをしている。悪いことを考えるだけでも罪だ。言葉にするのも罪だ。こうやって書き連ねたことのなかにも多くの罪が混じっていた。これからはいいことしか書かない。いいことしか考えない。きちがいなのに、きちがいを差別したりしない。きちがいになったら、その利得を貪ろうとする。ヘルパーを雇い、映画館に通う。ろくなもんじゃない。悔い改めよう。人と言葉が通じない理由の最たるものは、心を失っているからだ。悪のために心を譲り渡してしまっているからだ。心が悪に蝕まれてしまって、それについて考えると苦痛だから、考えなくなってしまって、ますますどうしようもなくなっていく。堕落して、生活もできなくなっていく。快楽を貪り、怠け、浪費し、不義理をし、悪を重ねる。友達もいない。それで人によく見せようとばかり考えている。まず悔い改めよう。悪を断ち切ろう。本心に立ち返ろう。惰性で悪の弁明をするのはやめよう。私の本性が悪であるはずはない。悪は狂ったりしない。心にやましいところがあるから、狂うのだ。 カウンセラーにも見放された。カウンセラーに嫌われるとはどういうことだ。お金を払って嫌われる。いよいよ末期症状だ。 自己批判しよう。人に批判される前に、自己批判して、行いを改めよう。薬を断って、人に突っ込めるようになったのはいい兆候だった。自分に突っ込もう。ここが悪い、あそこが悪いと突っ込みまくろう。悔い改めよう。行いを改めよう。悪いことを考えるのもやめよう。悪の見方をするのもやめよう。いよいよ孤独死するしか道はなくなる。もう若くない。今頃になって、ひとりで死ぬのが怖くなって、悔い改めるとは。あのきちがいはいいことをしたのかもしれない。私にこのままでは生きていけないことを教えてくれたのかもしれない。今、誰とも言葉が通じない。カウンセラーさえ、話を聞こうとしない。全く興味なさそうに、嫌々聞いている。疑い、否定してくる。カウンセラーを替えても一緒だ。数十年分の悪を叩き出そう。一切合財、放り出そう。自己を疑おう。確かなものは何一つない。心に浮かぶものは全て迷妄である。座禅に打ち込もう。悪の誘惑から逃れよう。悪から自由になろう。改心して、真の社会復帰を果たそう。 何もできなくなってしまった。脳にダメージを受けて、本を読むこともできない。正しい教えを吸収することもできなくなってしまった。掃除をしよう。心を洗い清めよう。自己批判は苦しいが、スピリチュアルはその苦痛を緩和してくれる。楽に悪から自由になれる。悪に支配されている。悪にのっとられて働くことも人付き合いもできなくなっている。悪のくびきをはずそう。悪は何も生まず、全てを奪う。ただ時間と命を奪い、傷つけ、人を無駄に死なせる。人を苦しめる。悪はやっぱり悪い。悪が良いなんて何で思ったのだろう。無批判に何で悪を受け入れてしまったのだろう。自己批判は苦しいけれども、善行を積み重ねることで、悪から自由にもなれるし、罪滅ぼしもできる。スピリチュアルの道は豊かだ。空っぽの人生を豊かにしてくれる。心を愛で満たしてくれる。魂の渇きを癒してくれる。 しんどくなってきた。一度に何もかも解決しようとしているからだろうか。一度にいろんなものが押し寄せてくる感じ。私は悪くないのに、悪いことを覚え、悪を受け入れ、悪を行い、悪を弁護し、悪を匿ってきたので、頭がおかしくなってしまった。私が悪だったら気は狂わなかったはずだ。悪だったら、悪の道に進み、やくざにでもなっていたはずだ。そうではない。私の本性は善だ。善なので苦しむ。自己批判し、人を責めることを解禁すると、どっといろんなものが押し寄せ、しんどくなってくる。過去数十年の悪の蓄積を一掃するなど、口で言うのは簡単だが、その重圧に心がついていかないようだ。でも手ごたえはある。正しい方向に向かっている、改善している、救われるという希望は見えてきた。だから苦しくても耐えられるし、狂わない。薬も必要ない。悪いことをしていたらそれは不安になるだろう。罪を犯し、悔い改めなかったら、良心の呵責で、頭がおかしくなるだろう。これからはそんな不安からは解放される。脳はダメージを受けたが、こうしてサバイブしている。生き残ってよかったのだ。悪の道をあのまま突き進むことはできなかったのだ。方向転換できてよかったのだ。 それにしてもしんどい。悪を善に一気に置き換えるというのは心に嵐を呼び込むことだ。それでもやらねばならない。悪を追い出し、罪を償い、善を行う。それ以外ない。これは人として生まれた使命だ。空っぽな人生が愛で満たされるときが来たのだ。悪のくびきから解放されるときが来たのだ。しんどい。ふらふらする。じっと寝てられない。といって何もできないくらいしんどい。でも目的と希望が見つかってよかった。まだまだ人生は長い。きっとこれからは実り豊かな人生になるだろう。今は転換期で苦しいが、こういう苦しさは人がきっと応援してくれる。人が見ていてくれる。hkなんか気にならない。自分の道が開けてきたからだ。自分の仕事がいっぱいできたからだ。あんな奴らのことなんか考えている暇はない。私は救われた。私はかわいそうな自分を救わないといけない。悪と戦う。そう心に決めた。悪に親しまない。悪と決別する。スピリチュアルの道を志す。固くそう心に誓う。何があっても志を曲げない。歯を食いしばって頑張る。
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