人生の重大な岐路に差し掛かっているようだ。婆の姿が見えるようになったことも偶然ではない。神が試練を与えているのだ。また今起こっていることは、ばっばのときに起こったことの再現だ。婆は攻撃マシンで、何も配慮も遠慮もなしにやっただけで、mは遠慮しながらやっているだけで、やっていることは一緒だ。私が仕事に集中できないことが問題なのだ。人間関係をうまくやれないことが問題なのだ。やりたいことがあれば、やらないといけないことは飛躍的に増える。それを思ってやりたいこと全てを諦めてきた。その結果がこのざまだ。婆の方はやりたいことを皆かなえている。それが腹立たしい。でもうらやんでも仕方がない。あれが不通だという意味はそういうことだ。人間のありのままの姿はあれなのだ。サリンなのだ。婆からすれば、自分に逆らう邪魔者を追い払っただけのことなのだ。ただそれだけの単純ながりがり亡者なのだ。でも私としては納得いかない。何で私が、こんなにいじめられた挙句排除されなければならないのか。それについて謝罪も反省もない。会社は婆の味方の様だ。お情けで、復帰させてもらっただけで、更に屈辱を与えられようとしている。こんなところなのか。会社は。ちいを転落しただけでなく、更にいじめようとしている。こんな恐ろしいところなのか。課長に相談しても同じだろう。正しいのは私ではないといわれるだろう。やりたいことがあるだろう。それを簡単に諦めるのがわが人生だった。競争するのが嫌だから。それもひとつの人生観である。繰り返しそう説く人もいる。マザーテレサもそうだ。でも三木谷は正反対のことを言う。その正反対の本を読んでいる。私は矛盾している。やりたいこと、欲しいもののために頑張るなら、あの基地外婆のようにならないといけない。欲しくないならそれなりの清貧な生き方をしないといけない。物欲はありながら、競争は嫌だというのは許されない。でも私は競争のできない人間になってしまっている。そんな人間は会社で入らないはずだ。使い物にならないという理由で。とっくにリストラされている人間がゾンビのように会社にいることが間違いだ。マザーテレサと三木谷の間で揺れ動く私がいる。 やりたいことがあるだろう。その限りで頑張る。それが私の今できる最大限のことだ。人と争っている場合ではない。 できる気がする。なにくそという気持ちが必要だ。病気であっても頑張れる。脳梗塞であっても頑張れる。そういうところを見せてやらないといけない。
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