竜也語り

2005年06月01日(水) 舞台「メディア」

◎B列一桁番台

女は一度母親となってしまったらもう女として生きることは許されないのだろうか。現実の世界でも母親が女として生きてしまったがために生まれた悲惨が比較的多いような気がする。
自分が恋した男・イアソンを英雄にのし上げるため、メディアは実弟までも殺害し、イアソンと二人祖国を捨てここコリントスへ逃れて来た。メディアの助力によりめでたく英雄となったイアソンは、メディアとの間に二人の男の子までもうけるが、出世欲の強いイアソンはコリントス王の娘との結婚話にいとも簡単に乗ってしまった。裏切られたメディアは憎しみに捕らわれた阿修羅と化し、自分達の子供を自ら殺害するという形でイアソンへの復讐を遂げる。

イアソンへの愛があまりに強すぎたため、イアソンへの恨みつらみをぶちまけ、いかに自分が不幸な女であるかと嘆くメディアを演じる大竹しのぶさんは圧巻。その姿があまりにも激しかったのでメディアに対する同情心はあまり沸いてこなかった。自分が仕出かした“子殺し”という重罪を全てイアソンの裏切りのせいにして、支離滅裂な論理で自分を正当化し、挙句に「嗚呼、なんて不幸な女だろう!」と叫ぶメディアの姿はある意味あっぱれ(苦笑)。

自分を正当化することに長けているのはメディアだけではなく夫・イアソンも然り。ああ言えばこう言う…二人の正当化合戦は理屈抜きで面白く、彼等の勝手な言い分がまっとうな考えのような錯覚に捕らわれる。本当にお互い勝手なことを言っているのだ。愛情深い人間関係を築こうとするならば、その瞬間に破綻を期するであろう理論を平然と捲くし立てるのだ。彼等のそんな禁句が意外にも裏の実に思えてくるのは、大竹さんの取り付かれたような演技と、イアソン役の生瀬さんの低く響き渡る説得力ある声の成せる技?

最後までメディアは子供の殺害を悩みぬくが結局二人の間に授かったものを抹殺したことで彼への復讐を遂げた。自分の悪行によって他人に殺されるくらいなら、いっそ母親の自分の手で…と一見子供達を想う母親らしい理屈だが(まぁこうやって自分に言い聞かせなければメディアは子供を失う悲しみのあまり発狂していたのかも知れないが)、でも私にはメディアの女の命が子殺しに走らせたと思えてならなかった。結局イアソンに母親としての自分より、女として自分を踏みにじられたことが許せなかった気持ちの方が勝ったのだと感じられた。

メディアは子供を殺害する前に、王の娘・イアソンの婚約者も毒殺している。だがイアソンのことは生かしたままだ。子供を殺害することでイアソンの血筋を途絶えさせる…イアソンにより深い生きる苦痛を与える…という復讐の形なのかも知れないが、どうして女は自分を裏切った男より、その相手の女の方に強い憎しみを持つものなのだろうか。さてここで究極の選択。私だったら…どちらかを選べと言われたら、十中八九男の方を殺害することを選択すると思う(←現実にそんなことはしませんよ(笑))。 そりゃ自分の婚約者や子供を殺害されれば男は嘆き悲しむだろう。しかしその絶望が永遠に続くとは思えない。時間はいつしかその絶望を希望に変え、男はまた新しい恋をし、そして子供をもうけ…なんていう日が未来にやって来るかも知れないのだ。だったら…なんてことを考えながら観劇していた。

今回の舞台は舞台一面に水が張り巡らされていた。当然水に足を取られ役者達は皆動き辛そうだった。劇の冒頭、子供達が小船に乗って遊んでいる場面がある。子供達は悠々と水上を滑って行った。そうなのだ。水面は船に乗れば楽に移動出来るのだ。それを知ってか知らぬのか、無理に水の中を歩いている大人の姿が、自ら好んで憎しみの渦に飛び込みもがいている人間の姿と重なった。


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