竜也語り

2005年05月17日(火) 輝ける場所で

先日女子マラソンの金メダリスト高橋尚子選手がある意味親以上の絆と公言して憚らなかった小出監督からの独立宣言をした。高橋選手が小出監督に絶対の信頼をおいていたので(←それはまるで教祖を崇める信者のようだった)、引退の潮時も監督任せにし、それまでは決して離れることはないだろうなぁと勝手に思い込んでいたため、このニュースを聞いた時は驚き、そして高橋選手を少し見直した。
聞くところによるとこの別れ話(?)は彼女から持ち出したらしい。「上手くいっても監督のおかげ。反対に悪い時も監督のせい、と思っていた。これからは自己責任のもとでいばらの道を歩いて行きたい。」 上手くいかなかったことを他人のせいにしてしまうことは気は楽だが惨めだ。彼女の決意にエールを送りたい。

人間にはそれぞれ神様に与えられた輝ける場所というものがあるのかも知れない。それを無視してその場所を離れてしまうと神様は少し不機嫌になってしまうらしい。そもそも今回の決別は、小出監督が以前のような十分な指導を高橋選手に与えることが出来なくなったことが原因だと言われている。彼女がシドニーで金メダルを獲得した何年か後、小出監督は自らのアスリートクラブを旗揚げした。こんなものを作ったら当然それを維持していくための金を捻出しなければならなくなるのだ。彼は金作りに走ってしまったのだと思う。本来小出監督という人は影で選手を育てることに秀でた人だったのだと感じる。選手の1歩後ろの場所で輝ける人だったのだ。それを自分が前に出て畑違いの金作りに走ったため、選手に対する正確な判断を下すことが出来なくなってしまったのだろう。「勝算の見込みのあるレースにしか出せない…」何時しか選手のやる気を受け止めてあげることよりも、損得勘定でレースの出場か否かの判断をするようになってしまったのではないだろうか。

団体でも個人でも1つの場所で輝くことが出来るとどうしてもヘンな欲や色気が出てきてしまうようだ。それを踏み台にしてもっと輝けることが出来るのではないかと…。結果は…どうかなぁ…?手を広げすぎて倒産の憂き目を見た会社は幾つも見てきた。人間は、成功する人と何処かへ消えてしまった人と…。
そこで輝けたのだ。だからその場所が自分のいるべきところなのだ。現状に満足することなく高い目標を掲げ、果敢に挑戦する姿は大好きである。自分もそうなりたいと思う。しかしあまりにも突拍子もないことをやろうと思わない方がいいようだ。自分の本分をわきまえて、そこから派生できる範囲でデカイ夢を見ることにしますか。突拍子もないことはあくまでも趣味の範囲で…。これが私の身の丈だ(苦笑)。


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