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37 いい人は、仕事に不向き
スールミヤック氏の後任としてやって来たフランス人ローラン氏は、ヒッチコックのような風貌のひょうきんな年長者で、鋭い銀行家にはどう見ても見えなかった。 腹が出過ぎているためか、よちよちと歩く様は決してスマートな白人という感じではなかったが、好人物の見本のような総務担当者であった。
今までに東京支店に赴任して来た人達は何れもそうであったが、ローラン氏もその例に漏れず海外勤務専門の男である。 近年は香港に長く、数年をマレーシアに勤務し、東京へは単身赴任であった。 彼の本拠地、つまり彼が永住地と決めているのは香港ランタオ島で、そこに疑わし気な家庭が在り、一寸した連休、飛び石連休であっても、仕事を放り出してさっさと帰ってしまい、秘書に告げた予定日には戻って来なかった。 スローモーションの動作に比例して、決断にはスールミヤック氏の数倍の時間を要し、未決書類の山がどんどん高くなって行ったが、本人は一向に気にする様子はなかった。 反面、気の弱い所が有る人で、誰かが気を悪くすると思われる事は決して口に出せず、立場上当然であるべき部下への注意や指導が出来なかった。 多くの人はこれを、「彼は人がいいから」と称した。
三度目の東京勤務であった支店長ジュリアン氏もシンガポールへ転勤になった。 もう東京へ戻る事はないであろう。 ジュリアン氏は支店長として悪くはなかったかも知れないが人使いが荒かった。 メッセンジャーが何人も必要なのだ。 彼専用のドライバーが居たが、それだけでは足りず、やれ、「眼鏡を忘れたから取って来い」「金を置いて来るのを忘れたので、ワイフに持って行ってくれ」「大使館経済部に何々の資料があるから取って来い」と総務部に言って来た。
ドライバーの問題も大変であった。 彼は、彼のドライバーを好きではなかった。 技量的にも、性格的にも問題のあるドライバーであったが、初代支配人であったラボルド氏がアジア民間投資会社から引き受けて以来10年以上勤務している、辞めさせる訳にもいかない。 ドライバーの年令は、55才になっていたので、ジュリアン氏は定年を55才としている労働協約を持ち出したが、実運用定年年齢は60才になっていると言う説明に、仕方なく従ったようだった。 労働協約書は形だけのもので、実際とはかけ離れたものになっていたので、ローラン氏が改訂版を作る事になっていた。
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