優雅だった外国銀行

tonton

My追加

38 支店長の若返り
2005年07月16日(土)

これまでに東京支店に派遣されて来ていたマネージャー達のほとんどは、常に海外を渡り歩いている人達で、本店はもとより、フランス国内での勤務の経験は極若い時を除いて無い人が多かったが、新しい40代前半の支店長シュネイダー氏は、ロンドンにディーラーとして少しの期間勤務しただけで、ほとんどを本店で勤務していた。 勿論、支店長として勤務するのは初めてであった。 ジュリアン氏が軽蔑を込めて「ヤングマン」と呼んでいたこの若僧のシュネイダー氏が、ジュリアン氏の後任として東京に来る事に、ジュリアン氏はだいぶ反対したようであったが、本店の意向は変わらなかった。

日本にも遅蒔き乍ら金融自由化の波が押し寄せ始め、東京は金融市場として重要な地位を占めるようになって来たのだそうだ。 どこの銀行も外貨の売買に力を入れ始め、ロイター、クイックの様な高価な情報システムを備えたディーリング・ルームの拡充競争が始まっていた。 パリ国立銀行東京支店にもディーリング・ルームは在ったが、4・5人が簡単な設備の狭い部屋で取引を行っており、海外との取引は専らテレックスに頼り、ブローカーや顧客との専用回線も数本を数える程でしか無かった。 ディーラーとしての経験豊かな新支店長シュネイダー氏は、ディーリング・ルームの拡充の為に派遣されたと言っても過言ではなく、銀行全般の事についてどれだけの知識があるのかは大いに疑問であった。

新支店長は非常に勤勉であったが、支店長としての大切な仕事、「人に会う事」を嫌った。 就任早々は、挨拶に行かねばならない所がたくさんあるのだが、時間を全く無視してしまう。 相手が日銀総裁であっても、である。 又、仕事とは違うが、外国人登録の為に区役所やフランス領事館へ行かねばならないのであるが、これ等を嫌った。 ともかく出かける事が例え昼食の為であっても嫌なのである。 常に神経質な顔をして数字と睨めっこをしている様は、何とも近寄り難い。 秘書を通じて頼んであった、登録の為の写真も撮りに行きそうもない。 謙治は恐る恐る年下の支店長シュネイダー氏の部屋に入って行った。

「失礼致します、何時も大変お忙しく、写真を撮りに行く時間も無いのは存じておりますが・・・・・」。シュネイダー氏はバネ仕掛けの人形の様に立ち上がり、椅子の背に架けてあった上着をつかんだ。 謙治はシュネイダー氏と話すのが初めてであった。 隣の丸の内ビルで写真を撮る、たった10分位の事であったが、青年のようなシュネイダー氏は、人懐こく、ユーモアに満ちた話し振りで、謙治への気遣いすら感じられた。 あの「人を寄せ付けない態度は」、単なる人見知りなのだろうか。

シュネイダー氏は権力が嫌いで、フランス領事館で恰幅の良い中年のフランス人女性に、高飛車に必要書類の提出を求められた時など、震え上がりそうになっていた。 そんな支店長を、謙治は好感を持って見守るようになった。




BACK   NEXT
目次ページ