ずいずいずっころばし
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2007年05月24日(木) |
Time goes by |
朝、窓をあけて新鮮な空気と、晴れ渡った澄んだ空をながめると気分までさわやかになる。
その一方、どんより曇った空から今にも降りそうな空を仰ぐと気持ちまでどんよりしてくるのは人の常ではなかろうか。
四季の美しい日本にはお天気にまつわる言葉や挨拶が豊かで素晴らしい。
「花曇り」「秋晴れ」「五月晴れ」「菊日和」「五月雨(さみだれ)」「時雨(しぐれ)」「風花」など。
俳句を嗜む人はそんな季語になる言葉には敏感なことだろう。
茶道の世界でも掛け軸は少し早めに季節を表すものを架けたりする。
道具もそれに合わせるようなものを取り合わせて客も一服の茶と共に季節を感じ合う。 和菓子の世界もしかり。
自然の妙、季節の雅(みやび)を分かち合うところに「時の至福」をみる。 茶室に射し込む太陽の傾きや障子越しに感じる陽のあかるさにも「時」を感じるものだ。
散歩が日課である私と愛犬にとっても、日々刻々と移ろいゆく季節の装いを肌で感じることは、何にもかえがたい楽しみでもある。
毎日同じ道をおなじ丘を見ても決して同じでない。 それは流れ行く雲が一つとして同じでないように、夕焼けの色合いも、風の匂いも、木々の葉も、移ろいゆく美しさと儚さに満ちていて心に染み込むのだ。
農夫が一日の農作業を終えて汗を拭う姿には満ち足りた疲労感が漂っていて、バルビゾン派の絵画をみるようだ。
都会に育った私は田舎暮らしを嫌悪したこともあった。 新宿の雑踏の中に降り立つと喧騒の中、ほっと人心地ついたりする。 そんなことどもを経て今、この田舎暮らしになじんできた。
ニューヨークから帰ってきたばかりのときは、なぜか血肉が騒ぐ自分に不思議な感じをおぼえた。 昔の記憶が呼び覚まされたように刺激的な早回しの渦の中を輪舞する。
私は自分勝手な生き物だ。 刺激がほしくなったり、隠遁生活をしたくなったり、スピードのある会話を欲したり、寡黙を愛したり。 まるで四季を歩むように。
浮き立つような春、焦げそうに刺激的な夏、しっとりと落ち葉を踏みしめる秋、冷え冷えとするがゆえにたまらなく温もりが欲しくなる冬。
私の中を季節が通り過ぎて行く。
K先生のいないレッスンはさみしい。 いい人とのめぐり合いは幸福感に満ち、別れはさみしい。
人生ってやつはそんなことの連続なのだろうか・・・
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