暴かれた真光日本語版
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2004年01月23日(金) |
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「信者を嵌める欲望の神々:新興宗教を告発する」 田中一京著 青年書館1989.11
『S教M光』(92-98頁):身体に取り憑いてる霊を手かざしによって取り除き病気も治ると言われたが、まったく効果がなかった
S教M光を信仰する若い信者の中には、手かざしによる病気治しに疑問を抱き、更には霊魂や動物の憑依霊などを恐れながら信心を続け、悩みぬいた末に自分では結論が出せずに相談に訪れる人が意外に多い。まず埼玉県大宮市の元スナック経営者S.Aさん(34歳)の話を聞こう。
『私は3年前交通事故に遭い、それからずっと頭痛に悩まされ苦しんでいたとき、S教M光の信者であるKさん(29歳・女性)に病気を治してあげますと言われ、数回私の家へ来ていただいて手かざしを受けました。それから二、三度同じことを繰り返した後、Kさんの家へ遊びに行ったとき説明会(M光説明会)を聞きに行きましょうと熱心に誘われ、Kさんが通っているという東京・六本木にある道場へ連れて行かれ、そのまま一万五千円払って入信しました。 私は入信するまでかかりつけの医者に薬をもらいその薬を飲んでいたのですが、M光では「薬は身体によくない。害になるだけだからすぐやめなさい。熱心に信心すれば薬など使わなくても病気は必ずよくなります」と言われ、私は教えられたとおり、医者からもらってくる薬をまったく飲まずに、M光でいただいた“おみ霊”をいつも大事に胸にかけてお祈りしていたのですが、頭痛は一向に治りません。 最近では頭痛がさらにひどくなり、痛みがあるときは目までかすみ、頭が割れそうになって我慢できなくなることがあります。このままではすごく不安ですし心配でたまりません。 今ではM光の教えに背くのですが、頭が痛くてたまらなくなった時には内緒で医者からもらった薬をときどき飲んでいます。そうすると頭痛も和らぎ楽になりますが、私の気持ちとしてはM光を信心していながらその教えを破っていますので、そのことが気になって仕方がありません。手かざしをするだけで本当に病気が治ると言われたことに疑問を持っておりますし、その疑問がだんだん強くなっています。 もちろん、信者の人に相談すれば、薬は絶対使ってはいけない、信心すれば治ると言われることはわかっています。でも、自分でどうすればいいのか今、迷っています』
また、元信者であった東京都板橋区の菊池さん(32歳・男性)は次のように語っている。
『私が五年ほど信じていたS教M光をやめたのは、ある日突然原因不明の足痛に襲われ、40度近い熱が三日も四日も続きました。他の信者の方は「それは霊障に違いない。だから病院で治療を受けても治らない。身体の中に悪い毒が蓄積されているから、その毒を浄霊して治さなければ命取りになる」と言って、それは熱心に手かざしをしてくれました。 私もそうした仲間の信者さんの期待に応えようと、原因不明で動かなくなった足の痛みを我慢し病院にも行かず、ただひたすら信心に没頭する毎日でした。ところが痛みが治るどころが、身を切り裂かれるような激痛と高熱が続き、とうとうまったく動けない状態になり担架でやっと病院へ運び込まれました。 病院で検査を受けた結果、白血球が異常に増え、どこかに炎症を起こしている」といわれ、脊椎に痛み止めの注射を打ったり熱さましの注射を打つやら、私の気がつかない間に医者と家族が心配して大騒ぎしたようです。 医者の懸命な治療によって、動かなくなった足も次第に動くようになり、やっと退院することができました。そのときほど医者の治療を心からありがたいと思ったことはありません。あとで女房が私に言うには「もう少し治療するのが遅れていたら熱による脳障害が起きていたかもしれなかったし、神経をやられ動けなくなったかもしれない」と言われたそうです。 私はそれを機会にM光をやめました。その後は足も順調で、今ではまったく痛みもありませんし、妻共々よかったと喜んでいます。私の経験から、やはり病気のときは早目に医者に見せるべきだと思いますし、ただ手かざしをするだけで絶対に病気は治らないと思います。今考えると医者や医療行為を拒否していた自分が浅はかだったと思います』 次は東京都町田市のMさん(22歳・女性)の話である。
『私はS教M光に入信したばかりなのですが、古い信者の人から、「M光の業を受ける者は絶対に霊魂に興味を持ってはいけない。素人が霊に興味を持てば命取りになるほど危険なことだ」と教えられましたが、本当にそんなに危険なことが起きるのでしょうか。それに霊魂が私達人間の心や体をすべて支配しているといわれますが、それは本当でしょうか。 私は、入信するずっと以前から霊魂の存在を信じていましたし、そのことで何か悪いことでも起きるのではないかと思うと心配でなりません。それにいろんな本でS教M光のことが取り上げられていますが、手かざしをしてお祈りするだけで霊魂を鎮めることができるのでしょうか』 と、霊の祟りを恐れている。
そこで、実際にS教M光の道場で霊視を受け除霊を体験した千葉県船橋市の菅井さん(27歳・女性)の体験談を紹介してみよう。
『私がS教M光を知ったのは、知人である信者のAさん(30歳・女性)から、私が体調を崩していたとき「あなたには先祖の霊やいろんな動物の霊が憑いているんじゃないかと思いますよ。多分間違いないし一度動物の霊に取り憑かれた人がどんな状態になるのか見せてあげましょうか」と誘われ、私は気持が悪くなり、そのAさんと一緒に東京・世田谷にある道場といわれるところへ行きました。 そこはごく普通の二階建ての住宅で、私はその家の二階に通されました。部屋は20畳敷くらいの広さがある和室で、部屋の中央には祭壇が祀られていて、これはあとで教えられたのですが天地創造の神「御親元主M光大御神」という神様が祀られているのだと言っていましたが、部屋の中の雰囲気はいかにも厳粛な感じでした。 私が部屋に入ったときすでに30歳前後の女の人が二人来ていて、私と一緒に来たAさんが「M光の業がどんなものかあなたの目でよく確かめて下さい。すごく不思議な現象が起こりますから」と耳打ちしてくれました。その女の人達は入信したばかりの人だとのことでした。 そして、しばらく待っていると40歳前後の道場長という男の人が入ってきて、正面の祭壇の前に座りました。すると待っていた女性の一人がその道場長さんの前に向かい合って座り、二人は顎の前あたりでお互いに手を合わせ目をつぶると、道場長さんがお祈りを始めました。 そして、そのお祈りが終わると女の人はそのままの姿勢でしたが、道場長さんは女の人から30cmくらい離れたところで右手を額の前へ突き出し手かざしを始めました。それから約2,3分経過したときでしょうか、突然その女性が両手を頭上に高々と上げ、目は閉じたままの状態で体を前後左右に激しく揺すりはじめたのです。 そのときAさんが「あの女性には猫の動物霊と先祖の霊が憑いているの。あの上げた手は猫が手招きしているようでしょう。今、それをお浄めしてあげているんです」と教えてくれたのです。なるほどそう言われてみると猫が手招きしているように見えました。 私が、そっともう一人の女の人に目を移すと、その現象を見てなるほどというように、何度も何度もうなずきながらじっと目を凝らして見ていました。それからすぐその女の人が突然同じように体を動かしはじめました。そして5分か10分たったころと思います。道場長さんが手をかざしたまま「オシズマリ、オシズマリ」と女の人に声をかけました。するとあれだけ激しく体を動かしていたのに、その動きが止まったのです。 それが終わって今度は私の番になり、道場長さんの前に座って私も先ほどの女の人と同じように手を合わせました。すると道場長さんが「極微実相玄幻子界、高天原に……」と祈り始めました。このお祈りは「天津祈言」というようですが、そのお祈りが終わると今度は立ち上がって、私の背部に回りじっと手をかざしはじめました。 それから10分たっても20分たっても私には何も変化が現れてきません。そして30分が過ぎたころ「オシズマリ」の声が聞こえ手かざしを終えましたが、その道場長さんは私にこう言いました。 「あなたに憑依している霊は二体の人間の霊です。一体は先祖の霊で、もう一体はまったく別人の霊です。軍服のような物を着ているのがぼんやり見えますが、それが今のところ誰の霊なのか、あなたに何を訴えたいのかはっきりしません。ただ強い霊であることは確かなので、もう一度日を変えて、あなたに憑いている二体の霊を呼び出してみようと思いますが、それには7日間必要です。来られますか?」 というのです。私はこの際、徹底して除霊を受けてみようと思い、その日は3000円だけお礼を包み帰りましたが、翌日から7日間ぶっ続けで除霊をしてもらいました。でも、結果は同じでした。一週間の除霊が終わって道場長さんは私にこう言うのです。 「あなたに憑いている霊は邪霊ではありません。ただ、あなたの場合、生霊が強すぎて、憑いている霊が表に出てこない。あなたには巨大な狼の霊が憑いており、その霊が守ってくれていますから心配ありません」 結局、私の場合、霊動現象も起きず除霊もあやふやな状態で終わったのです。 S教M光では、あらゆる現象の源は霊にある。霊魂の世界があってその霊魂が人間の心や肉体に対して大きな影響を与えるといって“おみ霊”を受ければ手の平から霊光が出て人を救うことができると教えられているようですが、私の体験からはっきり言わせてもらえば、先祖の霊や憑依霊などは、生霊といわれる人間の生命力を左右するものではないと思うし、それを恐れる必要はないと思います』
『S界M光B明教団』(132-136頁): 宗教に没頭すればするほど金を注ぎ込み、生活は悲惨になっていくのに教団は知らんぷり
私の本が書店に出て間もない頃、便箋三枚に小さな字でびっしり書かれた匿名の手記が寄せられたので、原文のままその内容を紹介してみよう。
前略、突然名前も書かず、このような文面を差し上げる失礼をお許し下さい。
私は、先生の書かれた『新興宗教・金儲けと権力争いの実態』という本を読み、新興宗教の姿というものがやっとわかったような気がしました。それで以前私が入信しておりました『S界M光B明教団』の熱心な信者でもあり、私の友人でもありますYさんの生活の様子をありのままにお知らせして、機会があれば多くの人に教団の実態を知っていただき、宗教の本質を考えるための参考にしていただければと思いペンをとりました。 私は現在三十三になる一男一女の子供を持つ家庭の主婦でございます。私は約一年前長男が遊んでいて怪我をしたとき、友人の勧めでS界M光B明教団へ入信しました。現在はやめておりますが、たった一年足らずで信心をやめたのにはそれなりの理由があったからです。 その理由といいますのは、実は、私に入信を勧めてくれた友人の女性Yさんの生活状態を見たからですが、Yさんのことをお話する前に、私が教団に入ったときのことを簡単に記します。 教団に入信するには、まず最初に三日間の初級研修というのを教団の地方道場で受けなければなりませんが、この時教団へ“おみたま料”というお礼金の一万円を必ず払わなければなりません。そして毎月道場の運営費として五百円払うことが決められております。しかし、それは最低必要なお金で、そのほかお参りする都度五千円、一万円とお金がいりますし、研修も中級・上級に進めば進むほど万のつくお金がかかります。 聞くところによりますと、最低必要な定められたお金以外は各々信者の皆さんの自由な意思といいますか、自分の気持ちから教団に寄付するという形で納められているようですから、道場によって多少の違いはあるようです。しかし、いずれにしましても、教団が最初説明する数倍のお金を取られることは間違いありません。いかに教団が信者からお金を吸い上げているかということがわかるかと思います。
さて、私の友人で信者のYさんは、都内の小さな会社に勤めている30歳の女性なんですが、もともと関西の方から上京してきて、現在独りでアパート住まいをしています。Yさんは、教団の信者でなければ絶対に結婚しないというほど熱心な信者で、教団のため現在も一生懸命活動をしています。彼女の性格は素直で真面目な、どいらかといいますと無口な方で仕事も熱心にすることはしていたのですが、宗教に凝りはじめてからというもの頑固になったといいますか、素直さがなくなり、まるで人が変わってしまったのです。 彼女の給料は月額の手取りで約13万円ほどですが、それにもかかわらず、彼女はどうも三度の食事を満足にとっていないようで、最近特に頭痛がする、めまいがする、体の調子が悪いといっては仕事を休み、道場へ行っては手かざしを受け浄霊をしてもらっているのです。私の経験から言わせてもらえば、あんなことで絶対に治るはずはないのですが、彼女は熱心な信者ですから言わせてもらえば、あんなことで絶対に治るはずはないのですが、彼女は熱心な信者ですから自分の信仰が足りないからだと思い込んでいるのです。 私は、このままだと彼女が栄養失調で倒れるのではないかと思い、見るに見かねて何度か意見をしたのですが、一向に私の言葉を聞こうとせず、逆に信心をやめた私に敵意さえ示すほどです。 彼女の手は荒れて夏でも霜ぶくれのように赤く腫れています。 そこで彼女の実生活を聞いていただきたいのですが、それは質素で、現在住んでいるアパートは六畳一間で家賃が1万5千円。共同便所に共同炊事場といった環境のところに住んでいます。 部屋の中にはファンシーケースと鏡台があるだけで、他に家具らしいものはほとんどありません。 彼女の一ヶ月の生活費を簡単に計算してみると、一日の食事代が600円、朝食抜きで昼食は月のうち半分は抜いていますし、食事をする場合でも最高250円まで。夜の食事もインスタント物かよく使っても350円までです。ですから一ヶ月の食事代は最高で1万8千円程度です。 それに風呂代や光熱費が1万円そこそこ、その他諸々の雑費を入れても一ヶ月5万円くらいの生活をしており、他にほとんどお金を使うことはないようです。もちろん衣類や化粧品などは一切買いませんし、いつも他人からもらった服を着ているといった具合です。 月々もらう給料から必需品を除いても、毎月8万円くらい残るはずなのですが、それを貯金するのならともかく、それとなく本人に聞いてみると、自分の食べる物や着る物まで切り詰めて残したお金を、ほとんど教団へ注ぎ込んでいるらしいのです。 こうして書きますと、本人がいいと思って納得づくでしていることだから、他人がそこまで首を突っ込む必要はないとお叱りを受けるかもしれませんが、一人の友人として見て見ぬふりはできないのです。宗教団体というのは、こんなに信者の生活を苦しめていても平気なのでしょうか。もちろん、本人はそれが一番いいことだと思い込んでいるのですから、所詮私一人の力でどうこうすることはできません。しかし、彼女のような例はいくらでもあると思うのです。 神を信じ宗教に没頭すればするほど苦しい生活を強いられます。こんな矛盾したことが許されていいのでしょうか。教団では信心すれば幸福になると教えます。でも実際にはそれと反対のことが行われている。これが教団の実態なのです。 私が言いたいのは、宗教に凝りすぎると本人の気持ちがだんだん閉鎖的になって、自分と同じ宗教を信じている者しか信用しなくなり、一人二人と友達を失い、しまいには彼女のように自分のすべてを犠牲にして、それが当然のことのように思い込んでしまうのです。 彼女の場合を見ますと、いつもにこにこしていたのに、最近では変に理屈っぽくなって楽しく話したり、接することがほとんどなくなりました。こんな状態を目の当たりに見ますと、宗教というものが怖く思えてなりません。 教団としても多くの信者の私生活を把握することは不可能だと思いますが、信者の実生活を知らずして、単に口先だけで幸福を説いてもそれはまやかしの教えだと思うのです。綺麗事を並べ立て、弱い立場の信者から容赦なくお金を吸い上げ、信者の生活を平気で犠牲にする信仰が本物の信仰なのかどうか皆さんに考えていただきたくペンを取った次第です。
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