暴かれた真光日本語版
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2003年12月27日(土) 044 publicationsinMahikari

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新旧「真光問答」における、薬に関する記述の食い違い

<真光問答> (○○真光:昭和58年9月初版、平成3年9刷)



質問27:なぜクスリを使うことはいけないのでしょうか?

 いまの人たちは、病気はクスリが治してくれるものと思いこんでいます。とんでもないクスリ迷信です。クスリには、病気を治す力はありません。それは症状を一時的に抑えるだけなのです。

 人間には、自然の治癒力というものが与えられており(本来は神より与えられたもの)、その力が病気といわれる症状から回復させてくれるのです。

 クスリは、その自然治癒力が発揮されるよう、ほんの一時だけ手をかすにすぎません。むしろ、クスリは副作用のほうが影響が大きく、たくさん用いると必ず体内にたまってしまい、症状を慢性化するか業病化させてしまうことにしか役立たないのです。

 したがって、病院や医者にかかって治る病気というのは、もともと時期がくれば自然に治る性質のものといえます。慢性的な病気は、病院やクスリでは治らないのがほとんど、むしろ一時抑えをくり返すあいだに、業病化させるだけの話です。けっきょくいまの医学の乱用しているクスリは、症状を一時的に強引に抑えつけ、いかにも治ったように見せかけているだけで、「見せかけ医学」といって差し支えありません。「クスリは毒である。」ということは、先覚的な医者たちが最近さかんに本にも書いていることで、クスリの乱用に対しての警告が、医学内部でも発せられるようになっています。


質問28:手かざしで病気がよくなるのなら、医者や病院は不要ではないですか?

 手かざしで病気がどんどんよくなっていることは事実です。医者や病院に見放された病人が、どれだけたくさん手かざしで救われているか、数え切れないほどです。

 もしそれをお疑いなら、ぜひ手かざしの道場へこられて、多くの体験者の言葉に耳を傾けて下さい。また実際の状況を、時間をかけて観察していただきたいと思います。事実が、あなたの疑問を晴らしてくれることを確信しております。

 病気と言われる症状の80%以上は「霊障」、つまりとり憑いた霊たちの仕わざによることは、何万という手かざしの実例で、すでに明らかなことなのです。霊が脱けていくと、とたんに症状が解消してしまうのですから、実にハッキリしたものです。

 したがって、現代医学のように、病気の根本原因を探ろうとせず、ただ症状に合わせてやたらとクスリを飲ませて治そうとする対症療法は明らかに間違っています。そのために、ほとんどの病気は治るどころか、慢性化したり業病化しているのです。そういう間違った方向に進む医者や病院はないほうがマシだということはいえるでしょう。

 しかし、医学が方向を変えて、人間の体や病気を唯物的にとらえることを止め、より高度な四次元あるいはもっと高次元な科学観をとり入れ、病気の根本原因を探り、原因療法に目を向けるなら、医者や病院が不要ということは決してありません。


<真光問答> (○○真光:平成11年1月改訂版)

質問17:薬は飲まない方がいいのでしょうか?

 今の人たちは、病気は薬を飲めば治ると思いこんでいますが、それは薬への過信です。薬には、病気を治す力はありません。症状を一時的に抑えるだけなのです。人間には、天与の自然治癒力があり、本当はその力が病気といわれる症状を抑えているのです。

 今、医学界でも「薬毒」という言葉が出てくるようになりましたが、文字通り本来「薬は毒」であって、「毒を以て毒を制する」というのが薬の本質です。たくさん飲むようになると、薬の中の毒性が体内に溜まってしまい、症状を慢性化するか業病化させてしまいます。

 薬はどんどん新しいものが出まわっておりますが、強い薬が開発されれば、それに負けない強い菌が発生してくるというように病気も多種多様化して来ています。つまり難病・奇病・業病化して来ているのです。

 最近、農薬とか食品添加物などの危険性も叫ばれていますが、何と言っても肉体の中に直接注入したり飲んだりする「毒」が一番恐ろしいと言えます。また薬を乱用すると、細胞の中の染色体遺伝子深くまで入り込み、自分だけでなく、次に続く世代にまで影響することも忘れてはなりません。

 真光の手かざしを受けると、神の光により体内の毒素が溶けて排泄されるため、症状が良くなるのです。一方、多くの薬は逆に毒素を固める働きをします。要するに、手かざしと薬を飲むのとは逆の働きになるので、薬を飲みながら手かざしをしても、その効果があらわれにくいということが多くあります。そういう理由で、「(手かざしを受けている時は)薬を飲まない方がいい」と私たちは言うのです。

 しかし、病気の症状によっては医薬剤が必要な人もあるので、○○真光は「薬を飲んではいけない」と言っておりません。ただ前述のように、基本的に薬というのは、体の味方になるものではないということを知っておいていただきたいのです。

質問18:手かざしで病気がよくなるのなら、医者や病院は不要ではないですか?

 現代医学は、たしかに中世・近代から比べれば大幅に進歩し、その結果数多くの人命が救われ、社会に対して多大なる貢献がなされています。しかし、医学がめざましい進歩をとげた一方で、次々と新しい病気(エイズ、O-157など)が発生し、医者も病院も増えています。もし、医者や薬で病気が本当に治るのなら、病院に行く人は減り、その結果病院はどんどん減少して行くはずです。ところが、病人は減るどころか増え続けているのが現状なのです。

 一方、手かざしで病気といわれる症状がどんどんよくなっていることは事実です。医者や病院に見放された病人が、どれだけたくさん手かざしで救われているか、数え切れない程です。それはなぜでしょうか?

 実は、病気と言われる症状の八〇%以上は「霊障」、つまり人の肉体に憑いた霊が原因なのです。そして、その霊障が解消すると、とたんにその症状がなくなってしまいます。これは手かざしの実例で、すでに明らかにされています。

 しかし、私たちは決して医学を否定していません。事実、お医者さんや看護婦さんで、真光の研修を受け、手をかざしている方がいらっしゃるのです。私たちは「絶対に薬は飲まない」とか「絶対に医者にかからない」という主義ではありません。医学は必要なのです。

 ただ私たちの目指す医学は、もっと高次元の医学なのです。それは、人間の体や病気を唯物的にとらえる現代医学に加えて、目に見えない心の世界、そしてさらに霊の世界にも目を向ける医学です。”唯霊の医学””唯心の医学”"唯物の医学”の三つを兼ねそろえた、より高度な「霊主の医学」こそ本当の医学と考えています。

 現代医学が対症療法なのに対し、真光の業は、病の本当の真因を取り除く原因療法です。医学の行き詰まりが叫ばれている現在、このように一歩踏み込んだ医学が求められているのではないでしょうか?


<解説>

 旧版では、クスリや現代医学に対して挑戦的な態度に終始している。新版では、”「絶対に薬は飲まない」とか「絶対に医者にかからない」という主義ではありません。”と少し譲歩している。新版質問18の最後の方には、医学と協力していこうという姿勢がうかがえる。

 この変化の背景には、平成2年頃に陽光診療所が高山市にでき、平成5年の後半に初期研修のテキストと内容が全面改定され、医学に関する内容がかなり変えられたのを反映している。もとはといえば、病気が悪化したりした信者の家族が、裁判を起こしたりしたケースが何例かあったかららしい


<救え、然からば救われん> (崇教:昭和58年5月初版、平成10年2月10刷) 82-85頁

 たとえば、現代医学はメザマシイ進歩をとげたと信じられており、どんな病気でも原因が分かり治療法が分かっているかのように人々は錯覚しています。ところが、現代医学ではカゼの原因すら分かっていないし、「感冒はなぜあるか、」「熱とは何か、なぜでるか」といった最も基本的なことが分かっていません。

 止むを得ず、対症療法として、ある種の薬品を用いて熱を下げるとか、痛みをマヒさせて治ったと思わせているだけです。しかも、熱を下げることや痛みを止めることが、果たして人間の真の健康によいか無病化のために役立つかという点について、世界中の医学でも結論がでていません。

 薬毒の蓄積の恐るべき結果について、全く頬かぶりされたままなのが現状なのですが、いずれ薬毒というものが、今大騒ぎされている公害以上に恐るべき影響のあったことに、世人が気付くのも遠くないことでしょう。

 東京教育大学の杉靖三郎教授は「熱それ自身は病気ではない。熱が出たら下げればよいというのは非常に間違っている。」と反対しています。アメリカは、半数ぐらいの医者がその考えかたですし、日本はじめ世界各国で同じ考えの医者は大勢いるのです。

 このように、あらゆる病気に付随して出る「熱」のようなカンタンな症状すら、まだ解明されていないのが現代医学なるものの実状なのです。

 その他の面倒な症状に至っては、原因も正体も治療法も分からぬものがどれほどたくさんあるでか、医学の現状を少し突っこんで調べたら、むしろ寒心にたえぬし身振いするくらいでしょう。

 多くの人の信頼にもかかわらず、現代医学の治病率はおどろくほど低いといわれていますし、それ以上にクスリによる対症療法のため、病の種類はふえる一方、ますます奇病多発をうながしているのです。

 現在の治病の状態からいうと、医者やクスリが癒すというよりは、放っておいても自然に治るものが治ったに過ぎないといったほうが正確ではないでしょうか。ちょっと難しい病気は病院に通いクスリを飲んでいるうちに慢性化し、あちらこちらの病院をわたり歩くあいだに業病化し、ついにはとり返しのつかないところまでいってしまうのです。

 こうして病人と病気の種類は毎年激増する一方、各地に病院が次々と建てられ、全国の所得番付の上位何名かは各県とも医者が占めるという、実に不可解な現象を呈することになります。もしも現代医学で病気が治っているならば、国立医大も病院もほんとうは閑古鳥が鳴くくらいにさびれ、どんどんつぶれるくらいでなければならないはずです。

 人間の生命をあずかる科学であるはずの医学が、このような実情にあることを知って、なおかつ科学万能を信じられるものでしょうか。そして、死ぬか生きるかの瀬戸際になったとき、果たして自分の命をあずける気になるものか、誰しも考えずにいられないはずです。

<解説>

  現在教団は、公式には「医学と十字に組む」と言って、医学を必ずしも否定しないが、以前はこのように殆ど完全否定をしていた。このために病院に行くのが遅れる信者が後を立たなかった。この文面をそのまま受け取れば,だれも病院に行きたがらないことは想像に難くない。現在でもその傾向は残っている。その上、子供に予防注射を打たせないなどということも、しばしばあるらしい。
 
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