暴かれた真光日本語版
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2003年11月26日(水) |
037 pseudoscience |
こうして麻原は酒井勝軍の足跡をたどり、ついに岩手県釜石市の五葉山の一角でヒヒイロカネの現物を見出すという筋立てになっている。また麻原はそこで、酒井勝軍が残した隠された予言を知る。その内容は――
《●第二次世界大戦が勃発し、日本は負ける。しかし、戦後の経済回復は早く、高度成長期がくる。日本は、世界一の工業国となる。 ●ユダヤは絶えない民族で、いつかは自分たちの国を持つだろう。 ●今世紀末、ハルマゲドンが起こる。生き残るのは、慈悲深い神仙民族(修行の結果、超能力を得た人)だ。指導者は日本から出現するが、今の天皇と違う》
ということになる。
事件後現れた怪文書などを彷彿とさせる内容だ。
「麻原の初期の霊的指導者(グル)が山本白鳥で、『幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した』の企画は、武田崇元、山本白鳥コンビから出て、それを麻原にやらせたか、あるいは麻原がパクったのでは?」とまでいう元編集者もいる。
真偽はともあれ、『オウム神仙の会』に改名したオウムが、『竹内文書』にあるヒヒロイカネを霊的パワーを昂進する小道具として、信者獲得のツールにしていたのは事実である。その後の『ムー』『トワイライトゾーン』誌上にはヒヒイロカネのプレゼント応募方法が記され、別のページにはオウムの女性信者たちが住所氏名を記した『ペンフレンド募集』欄まである。
宗教オタクの青年達があらぬ妄想を膨らませ、教団に電話をかけていく姿が目に浮かぶような紙面づくりである。そのころのオウムのPR本を見るとレオタード姿の二人の美人幹部(石井久子、飯田ユリコ)が、大股開きでヨーガのポーズを取っている。さぞや、ニキビ面のオタッキーどもを勧誘する強力な武器になったにちがいないと推察するのである。
「オウム神仙の会」が始まった頃、麻原は、「麻原彰晃の登場は、大衆から政治家までとりこにした“政治結社”のリーダーであり不敬罪・治安維持法違反で逮捕された出口王仁三郎によって予言されていた」と語っている。また一連のオウム騒動のさなかにも教団のミニコミ紙は「大本教の弾圧に類似するものだ」と言い続けていた。
その予言されていたとする根拠を出口王仁三郎が口述筆記させたと言われる『霊界物語』を引き、「松の世を顕現するために、ここにしんちゆうをたて・・・・」という一句を以て、自分の本名松本を持ち出し「松本を姓とする救世主によって新たな理想社会が建設される」と解釈、強弁するのだが、次には「仏教、ヨガの修行に取り込むこと約八年、ヒマラヤにて最終解脱を果たす」として、名称をオウム真理教に変更する。これはチベット密教の指導者ダライ・ラマに面識を得たことによる。
このダライ・ラマ十四世との結びつきが教祖としての麻原彰晃のカリスマの源となった。
一九八九年、宗教法人「オウム真理教」認証。当時はあちこちで宗教を巡るトラブルが頻発し、法人の認証が容易でない時代であったが、オウムは法律を楯にとった。一九九〇年二月、オウム真理教は候補者二十五人の信者を立て、衆院選挙に打って出るが全員落選。これが「被害者意識の裏にある攻撃性をより加速したターニングポイント」と指摘する人は多い。
一九九五年の年明け早々。私は飛騨高山から公安当局に召喚された一人の老人とあった。
以下はその面談を元に、私がスポーツ新聞紙上に書いた記事である。
* 強制捜査に揺れるオウム真理教が岐阜県山中にある百二十万坪(約四千万平方メートル)の土地を購入しようとしていた事実が発覚した。場所は飛騨高山の山中。岐阜の小京都といわれる高山市街地から車で約四十分、古代の巨石文化や“ビラミッド”の存在がいわれるミステリアスな深山でもある。
昨年九月、同教団に「熊本県波野村に残存している“隠れオウム”の移転先を捜している」と持ちかけられた関係者等の証言によって明らかになった。
売買話は買い手の教団側が買い付け証明書を発行した後も、手付金を含む一切の金銭を支払わないことなどからこじれ、最近まで続いていた。しかし、同教団を巡るサリン事件などの報道で「オウムの反社会的な行動に不安感を募らせた」地権者等の総意によって破談となった。
関係者によると、同教団は、真言宗系の宗教法人を名乗って接近。ある時期から「オウムの遷都計画」のための土地購入であることを明らかにした。当初は十万坪からスタート、四十万坪、百二十万坪とエスカレートしていった。
「山を案内していると、丹念な水質検査をくり返していた。近くに鉱山のある場所で川の水にウランが含有されていると言い出したころから、目の色を変え、ぜひここが必要だと言い出して面積が拡大していった」と地元関係者は証言する。
同地区付近には養老年間から銀、銅、亜鉛などを産出している鉱山がある。これまでウラン鉱を産出した記録はないが、オウム側は「ウラン鉱脈を発見した」と言い、交渉に当たった同教団の一人が「我々はあらゆる兵器で攻撃を受けている。(防御するために)我々もさまざまな波状攻撃を研究し、XYZ計画というものがある。Xがサリンによる攻撃、Yが細菌攻撃、Zが世界を全て焼き尽くす核による攻撃である」などと不気味な発言をしたことから不安になった地元関係者が、知り合いの警察関係者などに照会。「麻原尊師の親衛隊」を自称するその男が、広域暴力団に所属していたことがわかったという。
土地購入の交渉に当たった教団側の人物は二名。件の男の上司と見られる口数の少ないもう一人の人物は、行方がわからない同教団の早川紀代秀総務部長であった。
現在教団の組織も次第に明らかになってきたが、“シークレットワーク”に当たっているという「裏部隊」と呼ばれる謎のグループの全容は把握されていない。
土地購入に来たオウム例の一人は最近になって「ロシア製の銃器を輸入する」などとも語っている。 *
この話は今年死刑判決を受けた早川紀代秀といままた飛騨の地を拠点に活動を始めている中田清秀が、地下鉄サリン事件発生の一年前に飛騨高山を訪ねオウムの拠点を移そうとしていた計画を記事にしたものである。
このとき早川と一緒にいた元暴力団組長の男は中田清秀。サリン事件のさなか、テレビ出演直後逮捕にされた禿頭人といえば思い出す人もいるだろう。
土地の売買話はやがて早川、中田コンビが「真言宗系のお寺」といっていた宗教法人が、オウムではないかと疑いだした頃から、ギクシヤクし始めた。合計四カ所、総面積一千万坪以上に及ぶその購入計画を聞いて、仰天したのだ。
「地権者との交渉接待費はもとより、手付金一切支払わず、話だけが大きいのはなぜだ?」
詰問する土地ブローカーの老人に中田は居直って真言宗系の寺はダミーであること、三年がかりの”オウム王国”の遷都計画であることを明かした。老人は頭を抱えた。すでに当初の購入予定地となっていた一二〇万坪の地権者たちには話をしてそのうちの四十万坪について快諾してもらっていたからだ。
「その頃はオウムという団体が、これほどの無法者とはわからなかったし、若い者が故郷を捨て、雪に閉ざされた山の中で白河郷の合掌造のためのススキを作って暮らしているだけのジイさんバアさんが、ヘンな宗教団体から金をもらってもバチは当たるまいと思った。オレも金は欲しかったしな」
老人は買い手がオウムであることは自分一人の胸に納め売買話を進めようと決めた。中田はすっかり老人を頼り、あちこちと山林を案内させながら、オウムの壮大な計画について語ったという。
留意してほしいのは、中田がこうした荒唐無稽とも思える教団内部の話をしたのが、サリン事件の前年のことであるということだ。
そして、記事中では「古代の巨石文化や”ビラミッド“の存在がいわれるミステリアスな深山」とぼかしているが、購入予定の土地のうち「尊師が居住する奥の宮」は、再三登場する「竹内文書」の「位山」付近に置くといっていることである。
つまり彼らはサリン事件前年から、教団の本拠地を上九一色付から、『竹内文書』に登場する飛騨高山の奥山に移転しょうとしていたのである。そして鉱物を集積し水質検査をしていたことなどから連想されるのは「ヒヒロロイカネ」の探索であり、かつそれがウラン鉱に結びついていった道筋・・・・
現在中田清秀は彼の元に集合した元オウム信者たちと「教団の一部の人がやったことは悪いが、尊師の教えは正しい」とする立場のいわゆるオウム真理教「修整型」と呼ばれる団体を構成し、飛騨高山地方のあちこちに住居や目的の定かでない山林を次々購入、地元住民たちの警戒感を強めさせている。
昨年中、私は中田に面談した。印象深く覚えているのは、離婚した彼の妻(現在は同居)が次々に口走る古史古伝であり、はたまたビラミッド、UFOまでもちだす和洋折衷オカルト雑学の”博識”ぶりであった。
《神話ともおとぎ話ともなんともつかない文字通りに荒唐無稽な物語である。こんな有力な証拠があるのに博士たちに精神鑑定を頼むなんて裁判所も警察もどうかしている》
これはオウム事件についての文章ではない。
昭和十年に起きた「第二次大本教事件」について、ジャーナリストの先達大宅壮一が「日本評論」という雑誌に書いた「大本教弾圧是非」という論文だが、これを今回のオウム事件批判として発表しても、誰も怪しむものはいないだろう。
日本人は半世紀を過ぎても同じことを続けている子供のような国民とも言えるし、宗教はいつも「荒麿無稽な物語」によって支え続けられているといえるのかもしれない。しかし、私も含め、通常の社会生活から拒まれていると感じる者、あるいは世に受け入れられていないと嘆くもの、孤独の極みにある者――すなわち宗教を必要とする者にとって、ある種の物語は必要不可欠であると言い換えることもできる。
(後略)
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