暴かれた真光日本語版
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2003年07月30日(水) 024 mcinmahikari

e. Financial dependence  
  財政的依存


殆どの信者は仕事をもっている社会人か学生です。しかし、この組織のスタッフ(専属幹部)は日本円にして最低の賃金で生活をしています。幹部候補生は非常に少ない給料で生活しなければなりません。

「神にフルタイムで仕えることが許されている」という特権を持っているとされるため、スタッフは適正な給与を支払われていません。彼等の給与は最低限のものです。家族を養う導士(教師)にとって、借金もせず収入内で暮らすのは非常に難しいことです。その他の導士は真光センター(拠点)に住み込み、わずかな持ち物しか持っていません。拠点の長の旅費は信者の寄付でまかなわれ、多くの贈り物、食物、住まいを信者から与えられ、大きな尊敬を集めています。

f. Little or no time spent on leisure, entertainment, vacations  
  レジャーや趣味、休暇にほとんど時間をかけることができない。


これはそのようにすることが公式に決まっているわけではありませんが、非常にたくさんの行事があり、熱心な信者は真光以外の活動にほとんど時間を割くことができません。この集団は単なる親睦会のようなものは開かず、総ての活動が「神への奉仕」であり、真の光を与え、教えを勉強することに注がれます。教え主様は休暇をとることに関する教えを与えています。その教えの中で彼女は日本の信者に、もし休日に海辺に行きたければ熱海へ行き、山へ行きたければ高山へ行くように教えています。(両方の場所とも、重要な神殿のある所です。) ある信者は、休暇の予定を話し合った時にこう言われたといいます。「火の洗礼がこんなに迫っているのに、どうして遊びにいくことなど考えられるのですか?」

もしあなたが熱心な信者であれば、時間とお金を物を買ったりレジャーに浪費するよりも、道場にいて奉仕をし、お金については奉納することを好むはずだ、というような雰囲気が、ほとんどの道場にあります。殆どの教えが、すべての信者に際限の無い努力をするよう要求して結びの言葉としています。以下の引用は、そういう雰囲気をよくあらわす好例です。


「...あなた方がこの道において怠けることなくより一層の努力をされますよう、私は心より切に願ってやみません。」
[Extract from Teachings of Sukuinushisama, The Mystery of 5 and the Serious Responsibilities of Yokoshi, The Origin of Creation (Birth, Growth) of all Creatures, given on 4 and 5 May 1987. Published in Mahikari Australia Journal, Volume 5, No 7, pg 9]

「精進とは、一寸の無理を積み上げて参ることこそ大事なれ。大いなる無理を致せば、脱(はず)るるか壊るるかなり。ス直に無理致して行くなり。」
[御聖言、要のカナメ P.379]
2. Major time commitment required for indoctrination sessions and group rituals  
  教義の勉強や儀式に必要な時間が多い。


基本的なトレーニングコース(初級研修会)には3日間を必要とし、通常午前8時から午後6時まで行われます。参加者には、ある一連の満たすべき基準があります。それは年とともに変化していますが、参加者はテベシス博士の著作である「Mahikari - Thank God for the answers at last 真光−ありがとう神様、真の答えを与えてくれて」の全部か一部を道場において最低10回読むこと、天津祈言(あまつのりごと)を暗記すること、寄付をすること、研修に先立つ事前トレーニングを受けること、み祭りに参加すること、幹部と面談すること、などが要求されます。

研修会があるときはいつでも、既存の信者は再聴講し、研修会の開催を手伝うための奉仕を申し出ることが奨励されます。これには研修会の講師の食事を作ったり、講義中の黒板を消したり、セットアップを手伝ったり、かかる費用を負担するための寄付をしたり、遠方から来る信者の宿泊の面倒を見たり、参加者の面倒を色々と見たり、ということが含まれます。

毎月たくさんの行事があります。その中には月々の波調合わせのみ祭りがあり、それは日本の月々の感謝のみ祭りと同時刻に行われます。その後、各道場での感謝のみ祭りが行われますが、それは通常次の日曜日に行われます。み祭りの日は、道場の行事予定の中で主要なものであり、半日をかけて行われ、同様にしてその前日には道場の清掃が行われます。また、勉強会、青年の活動、様々な小グループの活動があります。(母、農園、教師などのグループ)

信者は道場における日々の活動の開始と修了のお参りにもできるだけ参加するように誘われます。学校や事故の多発地点、自然界における霊的存在に対し、集団で光を与えることで教えさとし、食物を与えると言われる霊界お浄め(Spirit Realm Okiyome)が毎月しばしば、特に週末に行われます。

信者はいくつかのグループに分けられ、世話をする人がとりしきります。これらのグループは月ごとのミーティングを週末か夜に開き、しばしばそのグループで一緒に活動を行います。世話人はしばしば、世話人のための研修やミーティングに参加します。

最も時間を要することは、総ての信者に推奨されている、日々のお浄め交換です。基本的には30分かかり、時間いっぱい使えば一時間近くかかります。親は総ての子供に毎日光を与えるようにと言われます。熱心な信者は、毎日少なくとも基本セッション(腎臓までのお浄め)の交換をする時間を持とうとします。信者はその他にも住居や周りの環境に毎日光を与えることを奨励され、朝晩に祈りを捧げ、食物に最低でも20分のお浄めをし、他人にもできるだけ光を与えるようにと言われています。キャッチコピーは、いつでもどこでもなんにでも手をかざせ、です。

毎日の御み霊の取り扱いには余分な時間がかかります。信者はシャワーを浴びようとするとき、お浄めをした(手かざしをした)石鹸を使って手を洗い、お浄めをしたタオルで拭き、ほんの少しですが祈りをささげ、御み霊を首からはずして特別な箱の中に入れます。御み霊を再び首にかけるときは、同じ行為が繰り返されます。御み霊には月に一回包みかえが行われ、それは道場で行うのがよいとされています。

真光に関する聖なるものを自分の家の中に持っている信者は、かなりの負担を強いられます。先祖の祭壇への世話として、祭壇の掃除や位牌の掃除が毎月行われ、毎日食事をささげてその瀬戸物の食器を洗い、毎週のように祈りをささげ、お浄めをします。御神体を持っている信者は、毎日の開け閉めの儀式を家で行い、毎月の感謝のみ祭り、入念な清掃をしなければならず、そしてその家の使用方法に関する制限を受けます。

3. Need to ask permission for major decisions  
  主要な決定については許可をとる必要がある。


このことについては、あなたがどういう人かによって異なります。真光の導士は、結婚にあたっては教え主様の許可を受けなければなりません。そして、導士は毎年のように赴任先が異なる場合があり、その場合は夫婦が年単位で離れて暮らすことを強いられます。

導士は「上に報告する」ことが必要とされ、人生上の主要なほとんどの決定に関して、たとえば婚約以前の交際、結婚、そして退職などについて許可を得なければなりません。あるとき、あるオーストラリア人の導士はニュージーランドで働いている夫に会いに行きたいと思いました。彼女はニュージーランドの道場でいくつかの勉強会を開くことを条件にして、夫とたった2,3日を過ごすことが認められただけでした。タイでも同様のことが起きています。ある女性導士は彼女の短い新婚旅行の間でさえ、祖霊まつりの儀式を執り行なわなければなりませんでした。彼女の時間は彼女のものではないのです。たとえ休暇のときであっても。

過去においては、真光の幹部はいつでも信者たちにアドバイスやどうすべきかの提案を行っていました。しかし現在では、めったに直接のアドバイスはせず、ものごとに対して自分で解決するようにと信者を励ましています。

4. Need to report thoughts, feelings and activities to superiors  
  考え方や気持ち、活動を上の階層に報告しなければならない。


信者は「川上に報告する」ようにと常に言われています。つまり、人生におけるあらゆる重要なこと、問題、悩み、困った出来事、挑戦、決定などについて、霊的な指導者に報告するということです。

通常、末端の信者は属しているグループの世話人に報告し、世話人は道場長か導士に接触してその情報を渡します。これは、「正しい順序」に従うことと言われており、このようにすれば、信者の人生における色々な物事をスムーズに神にアレンジしてもらえるとされています。グループの世話人はまた、信者の逸脱行為を密かに報告することを期待されています。

5. Rewards and punishments (behavior modification techniques - positive and negative).  
  報いと罰(振る舞いを操作するテクニック−善と悪


グループの中でよいことをした信者は、そのグループの中で個々の人から感謝されることはありますが、グループの構成員全体の前で感謝されることはありません。誰も特別扱いはされないのです。そのため、真光オーストラリア−アジアジャーナルを作るために毎月大変な努力をしている人々の名前が公になることもありません。

「隠れたよい行い(陰徳)」がもっとも良いとされます。もしみんなから感謝されたら、それだけ神から受ける恩寵が減ってしまうとされます。だから、信者は一般的にはそういう行いを隠そうとします。

「自らに 気付く奉仕と陰の徳 積めば積むほど神は報ゆも」
[祈言集、奉仕の心 P.112」
6. Individualism discouraged; group think prevails  
  個人主義は良くないものとされ、集団で考えることがよいとされる


真光においては、グループが一つになること(一体化)がとても重要なこととされています。月々の感謝のみ祭りにおいては、賛美歌や祈りの言葉は、一つになって熱狂的に唱えたり歌ったりされます。それがうまくいくようにと、いくつかの祈りはみ祭りの前に練習が行われます。真光隊は一体化した行進や祈り(祈言奏上)を練習し、特別な制服を着ます。

「神の教えと自分の考えを混同している人たちがいます。もしそういう人たちが自分の考えを他人に広めたら、混乱を招きます。それらを明確に区別する(立て分ける)眼力を養うことが重要です。」
[Teachings of Oshienushisama, Be a person who receives Divine teachings seriously, given on 7 July 1990. MAAJ Volume 8, No 8, August 1990, pg 5]

7. Rigid rules and regulations  
  厳格な規則、決まりがある。


真光は、神を頂点とした霊が主体の組織であることを誇りにしています。そして、守るべきたくさんの厳しい規則や決まりごとがあり、そうすることで信者は神の意志に正しく従うことができるとされます。しばしば言われることは、神がどれだけ厳しい側面をもっているかということ、そして霊の世界は現実世界よりもずっと厳しいところである、ということです。

以下はその例です。

* 神の教え、御神書(ごしんしょ)、その他の文献をフォトコピーすることは禁じられている。もしコピーが欲しければ、手で書き写さねばならない。
* 御神書や真光誌は、神の光を帯びているものであるから、地面や足のつくところに置いてはならない。
* 2階建て以上の建物では、御神体や先祖の祭壇(仏壇)は、最上階に置かれなければならない。
* すべての信者は、御み霊と神をつなぐ霊波線を維持するため、また感謝を表すために、「霊線保持御礼(れいせんほじおんれい)」を前月までに納めなければならない。もしこれが滞ると、信者は呼び出しを受け、それについての忠告を受ける。

「もし霊線保持御礼を奉納するのを忘れたりやめたりしますと、神に対する畏敬の念を失っていることになり、神につながる霊波線は徐々に細くなり、やがては途切れてしまいます。」
[Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, pg 86]

8. Need for obedience and dependency.  
  従順と依存が必要とされる。


ス直であること(神の意志に従順であること)が、真光においては最も重要なこととされています。信者は自分に要求された役目を重荷に感じることなく引き受け、心をこめて奉仕に励むことを常に奨励されています。

「ス直をば 真に覚らば神向きの 出来たる人と神は愛づらん」
「人知にて 何(な)ぞ覚り得ん神仕組み ス直にならば体得し得ん」
[祈言集、ス直 P.98]
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3. Information Control 情報のコントロール

1. Use of deception  
  ごまかし行為がある。

a. Deliberately holding back information  
  意図的に隠された情報がある。


信者に明かされていない真光の本当の歴史や性質は、数多くあります。この教団や創設者の岡田氏に関する初期のころの本当の歴史は、すべての教団書物の中で正しく述べられていません。信者は、教団に関する財務報告も決して見ることはありません。

オーストラリアの組み手は(また、世界中の殆どの組み手がそうであると私は思っているのですが)、岡田氏が死んだ後の後継者争いについて、1997年にメディアによって報道されるまで知りませんでした。その後になってようやく、教団は信者にそのときの状況を説明しようと試みました。たった一回だけ、「崇教真光の真の歴史」、と題する講義を開くことによってです。

b. Distorting information to make it acceptable  
  都合のいいように歪められた情報がある。


岡田氏の経歴は、真光の教えに適するように変えられています。つまり、後継者の教え主様(岡田恵珠女史)の経歴や素性とうまく適合させるためにです。岡田女史は、救い主様の養女であるということになっていますが、実際には愛人でした。教団は強く否定しますが、岡田氏を個人的に知る古い日本人の組み手は、このことはよく知られた事実だったと言っています。

c. Outright lying  
  明白な嘘がある。


岡田氏が国際アメリカン協会から授与されたと言われるセントデニスザンテの勲章については、嘘で塗り固められています。その紋章は真光の旗にも表れ、岡田氏はあらゆる公式な場において、そのメダルを首に掛けていました。このメダルは、信用できない勲章とされているザンテ・聖デニス・ギリシャ勲章のメダルであり、今日においてさえ、二百ドルか三百ドル(アメリカドル)で購入することができます。この団体は、例えばアメリカの大統領であるアイゼンハワー、トルーマン、ケネディなどの著名人にメダルを送りつけることにより、信頼のできる団体であるという評判を得ようとしています。岡田氏は、この勲章のもつ虚偽の名声を利用して自分の地位を高めようとし、逆にこの団体は、「聖なる師」である岡田氏の虚偽の名声を利用して自分たちの信用度を高めようとしたのです。

2. Access to non-cult sources of information minimized or discouraged  
  カルト教団以外の情報源に接することは、望ましくないとされ、制限される。


一般的な感覚として、信者は教団出版物以外の書物も読むことはできます。しかしそれは、真光の教えが最もレベルが高いものであり、唯一本当の教えであるということを心に留めた上での話です。信者は,心霊研究や精神修養や、(他の宗教からくる)真実であるかのような偽物の教えについては、危険なものなので注意するようにと言われています。しかし、導士と呼ばれる人々にとっては事情は少し異なり、彼らには真光の教えのみを勉強することが期待されています。真光の教えは最も高い教えなのだから、他に何も読む必要はないとしているのです。

真光の教えの中では、「人間の知識(人知)は役に立たない」、ということが強調されます。人間の思想、哲学、そして理性がいかに役に立たないかということが、真光の教えの中では繰り返し述べられています。ここに、いくつかの例を示します。


「理屈は気の毒ながら、神には人間の屁としか感ぜざるものなり。」
[御聖言 世の変わり目、人類大曲がり角、P.305]

「人間丈の心にて考えて放つ言の葉を玉の緒といたすは信よ。万象創造の神霊の霊力や仕組みの法より離れし人間が、勝手な屁理屈造りて申す言の葉信じてアオグが仰ぎ、...」
[御聖言、信仰と神向き信仰 P.237]

「人知にて 何ぞ覚り得ん神仕組み ス直にならば体得し得ん」
[祈言集、ス直 P.98]

「私は真光に導かれる以前は無神論者でした。無神論者として、私は神に詫びたり感謝をすることもありませんでした。私は総ての出来事を肩をすくめて見ていました。私はいわゆる心の知性や理性の働きによって答えを見つけようとしていました。そして行き詰まるといつも、それ以上考えるのをやめてしまいました。私は今,自分はなんて愚かだったのだろうと思います。」
[My Journey to the Reality of God, by UP, MAAJ Vol 10 No 10, October 1992, pg 24]

「今日の医学の貧弱さは、食物、人間の生命、身体機能などに対する問いを無視していることに起因しています。「医学は進歩している」というよく聞く言葉とは反対に,医学はガンや白血病、都市化に伴って起こるその他の病気を防ぐことができないでいます。その原因は,食物→血液→細胞の働きといったものに対する不完全な知識にあるのです。今日の医者の考え方を変えない限り,このような問題は解決されないでしょう。」
[Primary Kenshu Textbook, 1981, Chapter 7, pg 20]

「私が伝えた神の教えの一言一句を正確につかむことが重要です。さらに、その教えを伝えるときには、自分の個人的な意見で教えを変えてしまわないように徹底することが重要です。神の教えを聞くときには、その教えを自分に都合のいいように解釈しないように、極めて注意深くあらねばなりません。人間の弱点の一つは,物事を聞くときに自分に都合のいいように理解してしまうということです。
[Sunkyo, The Golden Divine Teachings and the way they should be Transmitted, Mini-teachings by the first Oshienushi (Okada), MAAJ Volume 13, Number 5, May 1995, pg 2]
a. Books, articles, newspapers, magazines, TV, radio, and other critical information  
  本、記事、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、その他の批判的情報について


教団や信者、幹部、その教えに対する批判は、真光が神の計画をこの地上にもたらすのを止めようとする悪霊による、正しい神に対する霊的な反逆と受け取られます。





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