まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2011年11月10日(木) ■被災地支援手伝いの報告3…高台に行き見た街は…

被災地支援手伝いの続きになります。

山の中の道端に降りて、
この辺りは、大丈夫だったのだろうか、
ときょろきょろしていると、
現地のボランティアスタッフが
車で迎えに来てくれました。

この日は、私と同じように支援手伝いをするために、
一緒に移動してきた人たちが7人いて、
その7人と車に乗り込み、活動拠点の宿舎へ…
と、思ったら、
迎えに来てくれたスタッフが
こう言ったのです。



「初めても方もおられるので、
 ちょっと志津川の街を
 見ていきましょう」




そこで、山を下りて志津川の街へ。
私は、一度きているので、だいたいの街の様子は、
しっていましたが、その時にはいけなかったところも、
いくことができました。




そして、もっと悲惨な
志津川の街の状態を知ることに
なったのでした。





スタッフが、



「まずは、
 街全体を見てみましょう」




と言うことで、
震災のときによくTVに出てきた
高台にある志津川中学校に向かいました。




車から降りて、
街の全体を見渡せる場所に行くと、
そこには、
何もなくなった土地が見えました…









先の方に、今は穏やかに見える海から、
15〜17メートルの津波が襲ってきて、
多くの方々と街を飲み込んでいったのです。




ここに生活の場があったのです。
みなで暮らしていたのです。
でも、今は、何もないのでした。





ちなみに、以前の志津川の街は、
こんなに豊かだったのです。
(河北新報写真より)








それが震災後、
こんな状態になりました。








以前はこんなに活気あふれる市場が、








こんな状態に破壊されつくしました。








でも、今は少しづつですが、
市場の片付けも進み、
漁業も再開されてきているそうです。
ちょっとほっとしました。

この街の全体像を見て、
本当にどうしていくのだろう、
これからどうなっていくのだろう、
と、思うことだけしかできませんでした。



「あれが、避難所になった中学校で、
 その先にあるのが仮設住宅です」




と、次に、スタッフに促されて、
志津川中学校の方をみると、
これが志津川中学校の一部の画像。
(全体像はこちら→「志津川中学校」








中学校の校庭の一部に、
仮設住宅が建っていました。
林の下の方の建物がそうです。









ここで今、
街に住んでいた方々が、
生活しているのです。





でも、ここはかなりの高台で、
車がないと不便なところです。
かなり不便を強いられているとわかりました。

そして、志津川は高台にそれほど土地がないので、
仮設住宅を作るにも、住居を建てるにも、
苦労しているとも知りました。

スタッフの好意で、街を見てまわり、
胸が苦しくなりつつ写真を撮り続けましたが、
明日は、前回では紹介できなかった街の様子や、
拠点情報など報告します。
いよいよ活動開始です。





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