暴かれた真光日本語版
DiaryINDEX|past|will
2004年12月07日(火) |
真光に戻ってしまったあなたの心情はとてもよく分かります。 |
真光に戻ってしまったあなたの心情はとてもよく分かります。
745 名前:211 投稿日:03/05/28 13:18 >>691 >実はオレも一度真光辞めてるよ。
存じております。過去ログで拝見しました。
私も、真光をやめてしばらくして、どうも人生がうまくいかない、ということを体験しました。 しかし、私が幸いだったのは、辞める時点で真光に対する徹底的な不信があったことです。 うまくいかないのはなぜなのか、教団の教えを排除して、原因を考えることができました。
そしてそれは、ちょうど学生から社会人へと移行する青年期を真光という狭い社会を主体にして生活していた為に、 自分があらゆる面で物知らずかつ経験不足であったこと、 知らぬ間に物事を真光の価値観で判断する癖がついていた事に起因しているのに気づきました。
私の人間的、社会的成長は、真光に入った段階で止まっていました。 真光をやめて、人生がうまくいかないのは、当然でした。 (つづく)
747 名前:211 投稿日:03/05/28 13:18 (つづき) それは特に社会生活において顕著でした。真光では、おのおの解釈のちがいこそあれ、 根本的に共通の価値観で統一されている。 しかし、実社会はそうではありません。価値観は混在し、その多様性には目を瞠るほどです。 その多様さを受け入れる余裕は、真光を辞めたてだった自分にはありませんでした。 とても苦しみました。 身に付けねばならないことの多さに目の前が暗くなるような日々でした。
だから、真光に戻ってしまったあなたの心情はとてもよく分かります。 あなたには真光が必要なのですね。 しかし私は、戻ってもそこに根本解決はない、と知ってしまいました。 真光にいる間は一時期、それに目を向けずにすむだけだということを知ってしまいました。
うまくいかないことの多くは、社会に普通に生活していればおこる軋轢であり、 原因をひとつひとつ見つけ、対処していくことによってしか、本当の解決にはなりません。 たくさん失敗して、成功して、体験することで成長していくしかないのです。 失敗も成功も、ともに自分を育てる「体験」であり、起こった事象に良い悪いはありません。
そうと気づき、対処してから、人生はなかなかスムーズになりましたよ。 (つづく)
749 名前:211 投稿日:03/05/28 13:19 (つづき) あなたの体験を読んでなるほどと思いましたのは 真光を辞めた後も、多くの元組み手は相変わらず教団のマインドコントロール下にあるということです。 元組み手は誰に指示されたわけでもなく、(解放)と(抑圧)のサイクルを繰り返そうとするのだ、ということです。 心についた癖を取り除くことがいかに困難かを思いました。 一般社会では、真光や他のカルトで提供されるような、明確な抑圧と分かり易い解放はありませんからね。 起きてきた現象を抑圧と解放という刺激にあてはめれば、社会的に未成熟な状態では抑圧が勝ちます。 そして、退会することを神への無礼と植え付けられた罪悪感はその抑圧を「戒告」と認識させます。 戒告と認識することにより、真光的な考え方、教義の信憑性を信じる気持ちが復活します。 (教団を疑う心が薄れる、と言い換えても良いです) そうして素地ができたところに、研修を再聴講すれば、あなたがおっしゃるような(下記引用) 爆発的な解放が訪れるのは必定だと思います。
>涙が溢れてきて、自分の愚かな行為を神様に謝まりました。 >そしたら気分が凄く楽になり、不調だった生活が瞬く間に良くなっていったんですよ。
あなたの冬眠から熱心な組み手への転身は、こうしたメカニズムになっているのだと思います。 だから、私はあなたから真光をとりあげようとは思いませんし、とりあげられるとも思いません。 それでいい人は、それでいいのだと思います。
それでよくない人に、私の言葉が届けば、私はそれでいいのです。
日記作者
|