暴かれた真光日本語版
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2004年10月22日(金) サンプラザ中野事件

サンプラザ中野事件


■■■ 真光関係者集合!!(37)■■■
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1119319264/


368 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2005/08/02(火) 09:53:26 ID:L42zRwXj
サンプラザ中野事件は、真光の分裂騒動時に起きた暴力事件で、死者もでているらしいが、
今でも謎の事件であった。

<参考文献>「新興宗教教祖のウラの裏がわかる本・早川和廣 ぴいぷる社1988 」

真光内でも暴力抗争に近い事件があったという、ネット上の噂がある。
分裂裁判後、立教当初の羽根木元み魂座が世界真光文明教団に接収された際に、
崇教真光の上層部の指示で、真光隊の手によってご神殿と光龍池が修復不可能なほど
に叩き壊された・・・・。 田園調布の仮本部が接収されたときも二階ご神殿が破壊
され、電気系統がズタズタに切断された・・・、などの事件があったと言われている。
その当時の雑誌には、「トイレの便器に至るまで破壊し尽くしていった・・・」と書
かれたという。どの雑誌なのかは、残念ながら不明である。

「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)の時「なんで二代は関口なんだ」と叫んだ
人間が、後に不審な死を遂げた、という噂もある。ただし、これらはあくまで「ネット
上の噂」である。分裂に伴って根も葉もない中傷合戦すら繰り広げられた形跡があり、
どこまでが本当かがわからない。接収する教団施設が破壊されたというのなら、立派な
犯罪であり、警察に届ければ事件として新聞雑誌等をにぎわせたはずである。

文明教団側が意図的に流したうその情報である可能性も、今のところは否定できない。
裏がとれるまでは、軽々しく流してもいいような情報ではない。分裂にともなうその他
の抗争事件もあったかもしれない。 暴力団との関係を噂される幹部もいたらしい。


387 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2005/08/05(金) 11:16:06 ID:jhX4ire1
303 名前: サンプラザ2 03/08/23 09:41
P132
−分裂の危機にゆれる岡田斎(いつき)・世界救世教−
P.133-134
 宗教戦争の凄まじさは、世界史ばかりか、現在のイラン・イラクの対立を見てもわかるが、
世界救世教の権力抗争はその次元の低さにおいて特筆されるべきだろう。

 なにしろ、ことあるごとに、本部周辺で小競り合いがおこり、各地で暴力沙汰が繰り返され、
一時は本部のある救世教会館前は、新生派と再建派のにらみ合いが続き教団職員や信者のほか、
ガードマン、体育会系学生から暴力団員ふうの男たちまでが屯(たむろ)していたのである。
 昭和61年8月末、中野隆昭は「松本派(新生派)殲滅のため、決戦を挑み、秋季大祭は救世
会館前で行う」と、いわば教団乗っ取りを宣言。新生派に占拠されていた救世会館を再建派が実
力で奪還しようと画策したのであった。


388 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2005/08/05(金) 11:20:46 ID:jhX4ire1
新興宗教教祖のウラの裏がわかる本 早川和廣 ぴいぷる社 1988

9月1日未明、再建派の専従者約150名が、鉄パイプや角材を振り回し、MOA
商事のプラザ売店を襲撃。占拠すると同時に、救世会館の電源を切り、水道をストップさせてしまった。
 一種の兵糧攻めというわけだが、対する新生派は月次祭の終了後の4日未明、決
起した信者たちがプラザ売店を占拠していた再建派の連中を排除。ロータリーからも締め出してしまった。

 同日午後、再建派は聖地のあちこちに鉄パイプのバリケードや有刺鉄線を張り巡らせ、大型トラクターやショベルカー9台を先頭に立てて威嚇攻撃を始めた。
 両者の間に不穏な空気が流れ、あわや一触即発というときに、警察と機動隊が出
動。何とか、その場は収まったのであった。
上の文章は、世界救世教内部の抗争事件についてのものだが、その中に「中野」という名前と「プラザ売店」という言葉がある。この抗争事件は、「中野プラザ事件」と呼んでもよいように思える。

そこで、次のような推測が成り立つ。「中野」と「プラザ」、という言葉が「サンプラザ中野」と混同され、さらに救世教内の事件が真光内部の分裂抗争とも混同されてしまったのではないだろうか。


389 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2005/08/05(金) 11:22:48 ID:jhX4ire1
混同されるのには理由があり、真光内でも上記のような暴力抗争に近い事件があったという、ネット上の噂がある。
分裂裁判後、立教当初の羽根木元み魂座が世界真光文明教団に接収された際に、崇教真光の上層部の指示で、真光隊
の手によってご神殿と光龍池が修復不可能なほどに叩き壊された...、田園調布の仮本部が接収されたときも二階
ご神殿が破壊され、電気系統がズタズタに切断された...、などの事件があったと言われている。
その当時の雑誌に、 「トイレの便器に至るまで破壊し尽くしていった...」と書かれたという。
どの雑誌なのかは、残念ながら不明である。

「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)の時「なんで二代は関口なんだ」と叫んだ人間が、後
に不審な死を遂げた、という噂もある。
ただし、これらはあくまで「ネット上の噂」である。分裂に伴って根も葉もない中傷合戦すら繰り
広げられた形跡があり、どこまでが本当かがわからない。接収する教団施設が破壊されたというの
なら、立派な犯罪であり、警察に届ければ事件として新聞雑誌等をにぎわせたはずである。
文明教団側が意図的に流したうその情報である可能性も、今のところは否定できない。裏がとれる
までは、軽々しく流してもいいような情報ではない。

分裂にともなうその他の抗争事件もあったかもしれない。暴力団との関係を噂される幹部もいたらしい。そのような様々な噂が、ネット上において救世教の「中野プラザ事件」と混同されていったのではないか、というのが、「サンプラザ中野事件」
いうものに関する私の推測である。



真光全般(友乃會、文明教団、崇教、正法の會、etc)への苦情板 
http://religion.log.thebbs.jp/1116855595.html


[362]世界救世教の内紛事件 05/09/03 15:03 yWxPsufS
 世界救世教の分裂抗争に際し、中野隆昭派がMOA商事プラザ売店を襲撃したのが、netで『サンプラザ中野事件』と誤って伝わっている。また真光教団の内紛も一部誤って伝わっているので、複数の文献を参照し、真相を皆に理解してもらいたい。
  □
『新興宗教の正体』早川和廣
P118-120
5章 世界救世教・スキャンダルと権力抗争に明け暮れる
政治家、右翼、暴力団・・・・救世教に群がる黒い紳士
●怪文書合戦、ダ・ヴインチ疑惑、MOA美術密閉鎖と世間も呆れる権力抗争
 昭和61年9月1日から2日にかけて、世界救世教(岡田斎教主)の月次祭が、本部のある熱海市の救世会館で執り行なわれた。
 だが、それは教団史上、かつてない異常な月次祭であった。
 約6000人の参拝者を集めた月次祭が行なわれた神殿には照明がなく、縀帳も下がったままで、冷房設備も動かなかった。そんな暗闇と猛暑のなかでの参拝となった。しかも、トイレの水も手で運び、飲み水にも不自由するなか、懐中電灯の灯りをたよりの警備が続けられていたのだ。
 いったい、世界救世教に何が起こっているのであろうか。
 温泉の街・熱海で展開されている宗教戦争、世界救世教の内部抗争は、いよいよ泥沼化の度合いを深めている。その抗争も、最近は大がかりな武力衝突を起こすまでになっている。
 ヤクザや過激派も真っ青という、その権力抗争ぷりは、およそ宗教の世界のできごととは思えない。
 その抗争史については、後述するが、現在教団内で対立しているのは、松本康嗣総長流の新生教団推進本部と、川合輝明元総長(相談役)流の教団再建運動本部、そして中村力前総長派の教団護持委員会の三派閥である。
 このうち教団護持委員会は弱小勢力であり、実質的に派手な抗争を繰り広げているのは、松本総長派と川合派である。どちらかといえは、松本総長派は教団改革派であり、川合派は旧体制維持派ということになる。
 松本総長派vs川合派の戦いは、教団職員、信徒ばかりでなく、ガードマン、体育会系学生、さらには暴力団風の男たちまで巻き込んだ形で展開されている。
 9月の月次祭が暗闇と猛暑のなかで行なわれるようになったのも、両者の抗争の結果であった。
 9月の月次祭の前日、8月31日、松本総長の対抗馬として川合派が総長候補に擁している
中野隆昭代務は、自派の幹部連中に、「松本派殲滅(せんめつ)のため、短期決戦を挑み、秋季大祭は救世会館で行なう」と宣言。武力による実力行使の挙に出たのだ。
 つまり、9月1日未明、川合派の専従者約150人が、鉄ハイプや角材を振り回し、MOA商事のプラザ売店を襲撃。占拠すると同時に、救世会館の電源を切り、水道をストップさせてしまった。
 これに対して、松本総長派は月次祭の終了後の9月4日未明、プラザ売店奪回のために決起した信徒たちが、プラザ売店を占拠していた川合派の連中をプラザ売店から排除、ロ−タリーからも締め出してしまった。
 しかし、プラザ売店およびロータリーからの撤退を余儀なくされた川合派は、その後、聖地のあちこちに鉄パイプのバリケードや、有刺鉄線を張り巡らせ、瑞雲会館や特高変電所の屋上に監視塔を立て、4日午後には大型トラクターやショベルカー9台を先頭に立てて威嚇攻撃を始めた。
 松本総長派、川合沢の間に不穏な空気がみなぎり、あわや一触即発というときに、警察と機動隊が出動。なんとか、その場は収まったが、熱海の聖地は、いまなお戦場と化したままである。
 3年に及ぶ内部抗争劇は、醜い怪文書合戦、ダ・ヴィンチ疑惑、そして9月16日には、最近は熱海観光の目玉商品となっており、年間100万人の来館者を集めていたMOA美術館の閉鎖という事態に至り、世間を呆れさせている。


[363]世界救世教の内紛事件 05/09/03 15:03 yWxPsufS
週刊朝日1986.10.3 P14-15
■熱海の新名所、MOA美術館まで休館させた世界救世教のお家騒動。「敵襲」に備え、信者は張り番。

 熱海の新しい名所になっているMOA美術館が、9月16日から突如休館してしまつた。尾形光琳の「紅白梅図屏風」など国宝二点のほか、数多くの美術品を所有し、年間百万人を超す来館者があるが、展示品もすべて収蔵庫にしまわれた。
 MOA美術館は宗教団体の世界救世教が昭和57年にオープンしたが、このたびの休館は、教団のお家騒動が原因である。すでに3年ほど前からゴタゴタが続いているというが、現在は、岡田斎(いつき)三代教主と信者一人ひとりとの結びつきに重きを置く松本康嗣総(63)派と、教団の組織的運営を唱える中野隆昭・MOA美術文化財団理事長(57)派との「路線上の違い」が対立の根にあるという。
 ところが、実際の争点となっているのは双方の金銭疑惑である。とりわけ、今年初めに明るみに出て国際的にも問題となったレオナルド・ダピンチ作というふれ込みの「岩窟の聖母」の購入をめぐって、
「ニセモノかも知れぬものに釣19億円もの教団の金をつぎ込んだ」
 と、中野派が松本派を攻撃して一気に対立が激化した。
 4日の責任役員会議が、多数を占める中野派が「松本総長解任」を決議すると、松本派は美術館と同じ敷地内にある本部事務所から世界救世会館に本拠を移し、対峙したまま現在もにらみ合いが続いている。
 この間、会館とその隣の売店の前で9月1日と4日の2度にわたって衝突があった。信者同士が殴ったりつかみあったりするばかりでなく、ショベルカーやブルドーザーまで持ち出すなど険悪な状態になったが、静岡県警の機動隊が出動し、ようやくおさまった。
 現在は本部事務所、会館などをお互いに占拠し、境界にバリケードを築いてものものしい雰囲気だ。一連の騒ぎでともにけが人を出したが、お互いに、「無効は外部の労務者を雇った」「あっちには暴力団員がはいっている」と、非難しあう。
 美術館だけは、これまで双方とも手を触れずにきて、一種に聖域化されていたが、入り口=写真奥=の前にある広場まで争奪の場となるに及んで、中野派が閉鎖した。これについても、中野派は、「向こうが攻めてくるのを防ぐため」と主張、松本派のほうでは、「美術館を要塞化しようとしている」と反発している。
 もっとも、最前線の信者たちは双方とものんびりしたものだ。気が向けば、世界救世教の作法のひとつである手を相手にかざす「浄霊を」して疲れをいやしている。
  □
 さて、岡田恵珠氏が関口氏との裁判に負け、田園調布の教団本部を明け渡したときに、神殿破戒行為があったとnet上で噂されているが、事実はこうだ。
ttp://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104303&pg=20040528
中外日報1982年9月8日8-9面
 この文献では、教団財産の現金や通帳を恵珠氏が持ち出したため、関口氏が刑事告訴したとある。神殿破戒行為については一切書かれていない。
 田中清英氏が田園調布の教団本部を明け渡したときに、神殿破戒行為があったことは文献上裏付けられている。

[1]真光関係者集合!!(28)
 ttp://makimo.to/2ch/etc_psy/1079/1079832814.html
 811-822 『ゼンボウ』島田嘉則レポート No.819参照
[2]静岡中伊豆にある世界真光文明教団の謎(3)
 ttp://makimo.to/2ch/life7_psy/1070/1070888397.html
 423-430,444-451,453-454「現代」(月刊)87年8月号P338-353
 No.445,446参照

【まとめ】netでさまざまな憶測が流れるのは、教団が情報公開をしないからである。歴史事実を調べて展示するのが県登録博物館の使命であることを改めて認識すべきであろう。



日記作者