暴かれた真光日本語版
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〔ニュース追跡:世界真光文明教団事件(中)〕(9月6日8−9面)
<長引く決着”荒廃”の色増す教団――後継者めぐる法廷闘争”八年”の教訓>
<つくり変えられた「確認書」のあきれた”証言”>
<二人の教え主に・・・二つの大祭>
(6)法廷闘争
初代教え主の遺言に背き、教団親則を無視して、恵珠氏を代表役員とする虚偽の登記を行ない、正統な教え主、関口氏を排斥し、教団を”私物化”しょうとする恵珠氏等の画策をみて、関口教え主は、このままでは教団使命の遂行が危くなり、三十万組み手(会員)を欺くことになると判断し、九月十八日、やむなく東京地裁に「(教え主・代表役員としての)地位保全の仮処分申請」に踏み切った。
その申請趣旨は、「1」関口氏が初代教え主岡田光玉氏より指名を受けた「二代教え主」であるから、教団規則にもとづき、教団代表役員の地位にあることを、とりあえず仮に定めてほしい「2」岡田恵珠氏の代表役員としての職務執行を停止してほしい――というもの。
九月二十六日、仮処分裁判第一回審訊が行われた後、恵珠氏等は、裁判に有利な証拠づくりを画策し、十月二日、臨時幹部会を開く。その席上で、六月二十五日に恵珠氏自らが発表した「ニ代は関口さん」との初代教え主の遺言を否定し「二代は恵珠様」とする内容の確認書を作成する。
つくりかえられた確認書によると、六月二十五日に恵珠氏が発表した初代教え主の遺言は次のようになっている。
六月十三日の朝、父(初代様)にご神前によばれまして(中略)。父がいつもお身体にお掛けしておりました御み霊(ヨのみ霊)を私(恵珠様)に掛けて下さいました。
そこで、父にもしもの事があったらと申しましたところ、ニ代は女(恵珠様)だから荒仕事は関ロさんにお願いしなさいといわれ、二代のお代理用の御み霊をお預かり致しました。(中略)
私の今お掛けしている御み霊は父の御み霊(ヨのみ霊)であって、お代理用とは違うものであります。その他のことは追って示します。
六月二十五日の遺言については、七月十七、十八日の両日、出席者全員が署名捺印した確認書(本紙九月三日付、第一回の【資料1】参照)を提出している。その一月半後に、その確認書を否定する第二の確認書をつくったわけである。
その上、恵珠氏等にくみした幹部等は、最初の確認書に対しては、次のように説明書をつくり、裁判所に提出した。
「先般(昭和四十九年七月十八日)二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。又、その使用目的も別に何にも使わないから心配は不要との事でありましたが、事が重大になりましたので、改めてその内容を検討致しましたところ、事実と相違致して居りますので、改めて今回の署名捺印に及びました」(資料1参照)。
無論、こうした真実を被い隠した言いわけ文を、裁判官が納得する筈もなく、真実は後の判決で明らかにされるわけだが、ここでは恵珠氏等一部幹部の”陰謀”にのせられ、三十万組み手を欺いた幹部指導者の行動を追跡する。彼等は七月十七、十八の両日、真実の確認書に署名捺印しているが数名を除いてあとは全て実印である。いやしくも教団幹部として組み手を指導すべき立場にある者が「内容も良く見ない中に早く早くと急がされて」大事な実印を押すものだろうか。
内容は五分もあれは充分読めるもの(本紙九月三日付で全文を掲載)、まして確認書の内容は”二代教え主の指名”という最大重要事である。
二通の確認書を見ると、一部語句の変更ではなく、「二代は関口さん」とあるのを、「二代は恵珠氏」と書き改めるもの。その無定見、無節操には驚くはかりである。彼らさえしっかりしていたら一部幹部がいくら画策しても、教団全体が翻弄されることなく、世界真光文明教団の”天一坊事件”も存在しなかったであろう。こうして十月二日を機に大方の幹部が、教え主と自称する恵珠氏を、あえて”教え主”と崇め、一体化して恵珠氏をフキ上げようとした。
その後、十月二十七日に恵珠氏を斎主とする第十五周年秋季大祭、十一月二十四日に関口教え主を斎主とする第十五周年秋季大祭が各々別の場所で開かれるという事態に発展してゆく。
<占拠された本部>
(7)仮処分却下
十二月五日に第一回証人尋問(工藤、友森氏)が開かれ、就いて昭和五十年二月二十七日の第二回証人尋問(植松、工藤峯子、金子、石毛、富田、山本、白崎氏)、四月十日に本人尋問(関口、恵珠氏)、四月二十一日の第一回和解調停、五月十三日の第二回和解調停、六月二十三日の第三回和解調停、六月二十六日の第四回和解調停そして、仮処分申請にしては異例の十カ月の長きにわたる慎重審理を経て、七月二十四日、東京地裁民事第八部において判決が言いわたされる。
判決文を見ると、就判官「提出された疎明資料による限り、債権者(関口栄)が昭和四九年六月十三日に初代から世界真光文明教団の二代教え主に指名され、したがって、教団の親則に基づきその代表役員に就任したものと一応認めざるをえないのである」(判決文理由(三)資料2参照)として、関口栄氏が正当な二代教え主であると認定した。しかし、関口教え主の地位(教え主・代表役員)については保全されなくてはならないとしても、仮処分措置によって、仮にその地位を保全・保証する緊急性、必要性が現在のところ明確でないとして、仮処分申請は却下された。
十カ月にわたって争われた仮処分申請審理の主要点をみると、次の二点があげられる。
第一は、昨年六月二十五日夜、恵珠氏によって発表された初代教え主の遺言の内容について第二点は、昨年八月一日、熱海の教え主室で派遣された”ご神示”と称するメモ”ヨのみ霊もちて娘に与えよ”は、どういう価値があるのか。
第一点の初代教え主の遺言について「昨年六月二十五日夜、恵珠氏は、関口氏に初代教え主の遺言を伝え、ついで同夜十時四十五分頃、約三十名の局部課長、指導部長といった教団最高幹部に同内容の遺言を伝え、ある幹部の要請で、再度同じことを伝えた」ことは関口教え主側も恵珠氏側も認めているが、その内容について、二代教え主に指名したのは「関口氏」か「恵珠氏」かについて争われ、関口氏側が「二代は関ロさん」と指名されたことを主張したのに対し、恵珠氏自身はそうはいっていないという(公判供述および疎乙第一五号証)。
ところが、恵珠氏側証人の友森警衛警備部長、富田秘書課長の両氏は、”恵珠氏が地裁の認定通り「ニ代は関口さん」と発表した”と法廷で述べている。もともと両氏は、”ニ代といっても、それは二代代理もしくは補佐のことである”とか、”当日、恵珠様は疲労していて言い間違えた、声が小さく聞きとれなかった”――等、不自然で非常識な証言を繰り返していた。
しかし、裁判所は、恵珠氏側のこのような主張に対し、初代教え主死亡直後の重要な時期の発表であること、発表を訂正しようとしなかったこと等の項目をあげて、右を弁解ととって措信しがたいとして「二代は関口さん」との遺言を認定した。
第二点の”ご神示”と称するメモについて、恵珠氏側は、昭和四十九年八月一日、初代教え主の部屋より「発見」されたメモ・「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」(資料3参照・乙第一号の一)をもって、「ヨのみ役のための御み霊」を自ら与えられたとして、ヨニマス大天津神の地上代行者たる地位、教団の頂点の地位、教え主の地位に就いたのだと主張した。
昭和五十年四月十日、恵珠氏は、裁判所に数ページ以上に及ぶ紙つづりを提出した。その紙つづりの中程の一ページ(資料3参照・乙第一号証のニ)が問題のメモだった。
ところが紙つづりの前後のべ−ジは「山本」という印で封印されてあり、その印の開封を拒否した。恵珠氏は同メモは初代様が六月十三日にしたためられた”ご神示”であると称し、この”ご神示”が出たことによって昨年七月五日の虚偽登記は正当であるとしている。
しかし、裁判官は
「1」「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」という記載が四十九年六月十三日作成とは認め難い 「2」前後一連の文章が未公開であり、これでは意味内容が不明であると判断し、同メモは今回の問題を解決する上で価値の無いものと認定した。
同メモについて疑問点をまとめてみると、
「1」”ご神示”であるとしたら、あまりに筋の通らない文章であり、単なる覚書程度のもにすぎないのではないか 「2」初代教え主は「御み霊」を必要としていなかった。したがって「ヨのみ役のための御み霊」をかけていず、存在しないものを娘に与えることは不可能 「3」「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」というが、文法的には、”ヨのみ霊”をもちて、何かを娘に与えよということで、目的語が省略されており、何を与えるのか皆目解らない 「4」そもそもこの文章から教え主を指名する文言であるとはとうてい解釈できない等、以上の疑問に満ちたメモ一片を持って、「教え主」の地位を決定しょうとするのはあまりにも無理がある。
宗教団体は往々にして「ご神示」、「神事」という言葉に幻惑されて、判断力を失うことがあるが、今回のように客観的に見ると無理な点が多々あるにもかかわらず、”ご神示”という言葉に”弱い”宗教者の弱点をたくみに利用して画策したとも受けとれる。
(8)地裁に本訴
八月二十五日、関口教え主は、地位保全の仮処分申請によって、真実が公に証明され、教え主の地位が認定されたことから東京地裁に代表役員の地位確認の本訴を提起し、あわせて仮処分判決について、東京高裁に控訴した。 昭和五十二年二月二十四日、一年七カ月の審議を経て、東京地裁民事八部は、関口教え主が世界真光文明教団の代表役員の地位にあることを確認する判決を下した。すなわち
主 文 原告と被告らとの間において、原告が被告世界真光文明教団の代表役員の地位にあることを確認する。 判決は判決理由として、今までの紛争の経緯を示し、次の通り認定している 以上の次第で、原告は、初代から被告岡田を介し被告教団の後任教え主に指名されたというべく、同教団規則第六条第一項に従い、原告は、被告教団の代表役員の地位にあることが明らかである。 なお、被告岡田は、既述のとおり、被告教団の責任役員会で代表役員に互選されたとして、その旨就任登記手続をなしたが、 すでに原告が初代の指名に基づき代表役員の地位にある以上、右選定手続は、効力を生ずるに由がなく、被告岡田は、これによって被告教団の代表役員となるものではない。
(9)高裁で仮処分判決
同判決に続いて、三月三十一日、東京高裁第四民事部に控訴していた地位保全の仮処分申請の判決も下された。
前回、東京地裁の仮処分判決では、関口教え主を代表役員と認定はしながらも、仮処分措置をとる必要性、緊急性が明確でないとして却下されたが、今回の判決理由をみると、仮処分の必要性について次のように判断している。
被告訴人岡田は、前叙のごとく、被控訴人教団の二代教え主に指名されたことがなく、したがって、同教団の規則上その代表役員となり得ないにもかかわらず、代表役員としての職務を執行しているのであるが、 そのこと自体、被控訴人の教団が宗教団体であり、その代表者は事実上信仰の中心的存在となっていることからみて、同教団に回復し得ない損害を与えるものであり、 既に原審並びに当審の各証人の証言によっても被控訴人岡田が教団本部にあって自ら正当派を主張し、このままでは教団分烈の事態をも招来しかねない状態にあることが疎明される。 それ故、本件紛争が訴訟により最終的に解決されるに至るまでに、暫定的に、被控訴人岡田の代表役員としての地位を定めるのでなければ、 たとえ過渡的には混乱の生ずる虞れがあるとしても、控訴人に与えられた代表役員としての地位の実現が遅きに失する危険があるので、これを防止するに足る仮処分をなす必要があるものといわなければならない。 されば、控訴人の本件仮処分の申請は、その理由認容すべく、これを却下した原判決は、取り消しを免れない。よって、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。 前記の理由によって仮処分の原判決が取り消され、関口氏が世界真光文明教団の代表役員であることが定められ、岡田甲子(恵珠)が世界真光文明教団の代表役員としての職務を執行することが停止された。 これによって関口教え主の正当性は東京地裁の本訴、東京高裁の仮処分においていずれも証明されたわけである。
こうして、二年半にわたって恵珠氏側が不当に占拠していた本部(田園調布)に、真の後継者・関口教え主は戻ることができ、今まで”二つの世界真光文明教団”、”二人の教え主”という不祥事も解決されるかに見えた。 しかし敗訴して教団から退いた恵珠氏側は東有高裁の仮処分判決について最高裁に上告、東京地裁の本案判決についても控訴し、判決に服しなかった恵珠氏とその側近は、その後も世界真光文明教団教え主の名前で、組み手(信者)を誤導し、奉納金を集めつづけ、かたわら新教団を設立、紛争に更に拍車をかけていった。
<敗れても敗れても「控訴」で対抗――教団私物化へ時間稼ぎ?教祖の養女擁立派>
<最後の手段、新教団設立で紛争に”拍車”>
(10)最高裁が上告棄却
九月二十二日、恵珠氏側の上告に対し、最高裁第一小法廷は、上告の理由が全く無いとして上告を棄却する判決を言い渡した。これによって、恵珠氏は、もはや教団の教え主、代表役員としての職務を、法的には全く行なえない状態となった。その為、恵珠氏およびその側近は急遽、昭和五十三年六月五日に、世界真光文明教団に似て非なる「宗教法人真光」を設立登記し、そこでの”教え主”として活動しようとした。
「宗教法人真光」は、もはや世界真光文明教団とは無関係であり、全く別の活動としか言えないものであるが、恵珠氏等は組み手(信徒)に、この事実を明らかにせず、不当に隠蔽し、あたかも「宗教法人真光」が、世界真光文明教団と同一、あるいは深く関係しているかのごとくよそおいつづけた。ここに真相を知らされずにいた多くの組み手(信徒)の悲劇があり、真相を隠蔽した恵珠氏およびその側近の罪は深い。
(以下次号、文中の役職名は当時のもの) =つづく=
【資料1】裁判所に提出された説明書
先般(昭和四十九年七月十八日)二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。 又、その使用目的も別に何にも使はないから心配は不要との事でありましたが、事が重大になりましたので、 改めてその内容を検当致しましたところ事実と相違致して居りますので改めて今回の署名捺印に及びました 昭和四十九年十月二日 所属 東部近畿方面指導部長 氏名 朝 熊 俊 文 (印)
【資料2】地位保全仮処分の判決文一ページ目 =省略=
【資料3】初代様のお部屋より発見されたメモ =解読文=(乙第一号証のニ) 思い出さしめん為 しばし 仮にヨ丈け密かに (ヨのみ霊もちて娘に与えよ) 間に合わず 此地時をまて 8月10日27 所与えられん 思い立ったら吉日よ もう一度 ほかの仕組みで力 外にうまくそらさんも
【Web解説】 恵珠氏は、“(ヨのみ霊もちて娘に与えよ)”と書かれた文字の部分のコピーのみを昭和49年8月1日に関口氏に提示した。 他の文字は紙で覆い、とめるのに使ったクリップが写った状態でのコピー(乙第一号の一)を見せて、教団代表権を主張した。 昭和50年4月10日、法廷に資料3(乙第一号証のニ)を提出した。前後の頁は封印してあり、開示拒否の状態であった。 朝熊俊文氏は、崇教真光の大祭委員長を歴任し、その名前を知らぬ信者はいないほどである。 彼は平成9年の秋季大祭委員長だったが、その時に村上正邦と藤波孝生が来賓祝辞を述べている。実に邪霊に満ちた不吉な式典であった。
(注 丸付き数字を「」付きに変更)
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