暴かれた真光日本語版
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教祖の死と現実
さて、昭和59年11月17日の宗教法学会における大野正男弁護士(のちの最高裁判事、家永教科書裁判で高名)による当該事件の研究発表が宗教法学会第5号(1986、11)に所収されているので、興味深いところを紹介します。そのまま抜粋がわかりやすいので。
「昭和49年6月23日に、岡田良一という初代の教え主、つまり宗教法人の代表役員が脳溢血で死亡いたします。」 →死因・脳溢血。
「熱海でその本山を建てる計画をしていたのですが、なかなか建築の許可がおりないので初代は困っていた事情があります。」 →何故、許可してもらえなかったのか、行政に。
写真1.として関口さんが受け取った御霊。 「関口さんが受け取った御霊は、どんな物であったかというのが1の写真です。これは実は、アメリカの1866年の、金貨を首飾りにしているようにみえます。しかし実は、金貨そのものではないので、中が開くのです。これはスイス製の高級時計なのです。スイス製の時計の中に、先代の書いたその「聖」という字がはいっている。それがご神体なのです。このことは後に訴訟になってから発見されたことです。」 →詳しくは後に。
「世界真光文明教団代表役員地位確認請求事件ー教義に関する事項を含む紛争について裁判所の審査権はどこまで及ぶかー」 宗教法学会第5号(1986年11月)
これは真光の関口氏と甲子氏との後継者をめぐる争いを担当した大野正男弁護士が宗教法学会で発表された論文です。一読して誰でも思うであろうことは、裁判所のほうが、一般信者が知らないことを、正確に把握している。というのは、この論文のサブタイトルにあるように、これが、教義に関する事項を含む紛争だったからです。具体的には神示と教祖用御霊について写真や解説がわかりやすく、裁判にこういう物証が教団から持ち込まれた場合、司法はどう判断し、何に介入すべきではないのかを述べられた論文です。
矛盾を感じますのは、およそ信者の誰もが教祖用御霊など見せてもらえないと思いますが、というのは、ここの投稿でも自分がもらった御霊を開けてはいけないというようなことが出ていましたので。しかし教団は、裁判所につまり一般人の目には、教祖用の御霊や光玉自筆の神示も見せている。あからさまに言えば、どちらが教団の巨額の財産と信者たちを相続できるかが、かかっているから。
例えば法学部に通っている学生なら、このような本を通して「これが教祖用おみたまというのか、なんだ時計?」と真光隊の青年が知らないことも知っている。そこでおみたま開けるとばちあたりという指導は何なのか?教祖おみたまをバンバン写真撮影させた教団は大ばちあたりになってしまいませんか?裁判所が中を開けたら「聖」という文字が書かれていたという。
さて、前にアップした教祖用御霊写真の続きですが、次のように解説されています。
「そしたら初代は、「私に万一のことがあったら、二代は関口さんにお願いせよ」こう言われました。そして自分が肌身にかけている御霊、それをはずして自分(甲子氏)にかけて 下さいました。「これは二代用の御霊である」そういわれた。もう一つ、ついでに私に渡して「これは父の御霊である」といわれた。つまり二つの御霊を渡して下さった。早く関口さんにお渡ししたい。」
こういう風に甲子さんは皆(幹部約50人)にその席上(通夜)で述べたというのであります。翌日、初代の遺体の前で、甲子さんから関口さんへ二代の御霊というものを 授与されるのであります。どんなものであったかというのが1の写真です。
ネット上なので今、整理すると 初代が肌身にかけていた御霊=スイス製高級時計、聖字入り=二代用御霊=関口氏 父の御霊=甲子氏にもう一つ、ついでに渡す 御霊は二つあった。
<登記について> 「皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。7月1日に責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。甲子氏を含む5名の者が、責任役員会を開いて、教団の規則に基づいて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。しかし、そのことは当時5人の者以外誰も知らないし、登記を行われたことも、この教団の人たちは知らなかった」
*このように宗教法学会報に書かれている。ずるいなという感じがする。よく遺産相続でも、遠くに離れている、あるいはそりの合わない兄弟をつんぼさじきにして、相続を勝手に決めてしまうさもしい例を聞くが、規則とはいえ、5人で勝手に登記とは、これとおなじ事ではないだろうか?
初代の正式の葬儀が日本武道館に集まって葬儀を営むのでありますが、その時に二代の発表がありまして、初代は二代を関口さんにお願いしなさい、こういうことを言われましたという発表が行われました。このような中で二代の発表があったので、その後、色々な儀式は関口氏が二代として行っていたのであります。
ところが、一部の人々はその後甲子氏を何とかしなければいけないのではないか、色々な提案がなされますが、8月2日になって関口氏は、甲子氏から初代の本宅である熱海に呼ばれるのであります。そこで関口氏と甲子氏と二人だけで会います。甲子氏が関口氏に対して、こういう御神示がありましたよ、といって本人に見せたものがあります。それが写真3です。「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」と書いてあります。
甲子氏は自分が後継者の指名を受けていたという趣旨のことを、非常にあいまいな形ではありますが、関口氏に言いました。この時から紛争が表面化するのでありますが、一体この紙は何を意味しているのでしょうか。
*この弁護士さんの解説文は、教団が言っている内容より、ずっとわかり易いのではないでしょうか?暴かれた真光や海外サイトでも英文で、この重要な裁判の解説がありますが、宗教法学会の解説は、どんな信者にもわかりやすいと思われます。
*結局、表面上は関口さんを二代とたてながら、裏でとっくに登記は甲子と済ませていた。速攻。やったもの勝ちを良く知っているのか。駄目押しとして、熱海に呼びつけて、神示をちらつかせた。そして紛争表面化。ないしょごとの手口には、関口さんならずとも怒るのではないでしょうか。ぬかよろこびさせて、後で落とす。最初病気直しでぬかよろこびさせ、後でがっぽり頂きますに、どこか似ている印象さえも。
<裁判官のほうが信者より知っていた>
「一体この紙は何を意味しているのでしょう。「ヨ」というのは、教義に入って恐縮でございますけれども、現世を支配している霊魂をさすようであります。この教団の教義によりますと、アイウエオ、カキクケコと支配する霊魂が変わってまいりまして、今「ヨ」の世界で、その次はラの世界になるのだそうでありますが、しかし、この文章に続く筈の上も下もかくされていてわかりません。」
*なんと暴かれた真光にある、あの真の道ですか?ヨだとかラだとか。
*この解説文は、1986年のものです。甲子側の幹部が裁判所にアイウエオ・カキクケコ、ヨやラを説明したのでしょう。そうすると、ここは大事だと思いますが、説明した幹部そのものも、真の道の教えを知っていた、詳しかったということを、証明しませんか?幹部はそんなことわかっていて、信者は無知だから知らないだろうと何でも光玉先生は特別で、と真の道などかくしていたのだろうか?おばさんなんか、教養なくてだましやすいと思っていたのかもしれない。おんなこどもにゃ、こんなものでいいだろうと。 熱海に呼びつけられ、神示を見せられ、あなたはおよびでない私が後継者と、あいまいな表現で暗にほのめかす甲子側に対して、関口氏は抑えていた怒り爆発。ここから紛争表面化となる。よほど腹にすえかねたのか、関口氏も事業家で金もある。そこで、中外日報という宗教をおもに扱っている新聞に、意見を出していく。人名がガンガン挙がっているので、よほど腹に据えかねた憤慨が伝わってくるが、実名や金額を具体的にあげて批判しているので、関口側の一方的言い分とばかりいえないと思える。信者のように金を払っていたら、、かなりこれは腹が立つだろうと思える箇所もある。例えば、
「昭和54年5月17日、関口教え主は、岡田恵珠、友森清晴、有間富子の三人を相手どり、彼等が隠蔽した教団財産の一部である7億6千316万余円の業務上横領を東京地方検察庁に告訴した。告訴状によると、昭和49年7月5日、恵珠氏が代表役員に就任した旨の虚偽の登記を了し、代表役員であることを僭称し、「管長」と自称する友森氏と「経理部長」と自称する有間氏等三人は共謀のうえ、世界真光文明教団の財産を費消し、あるいは教団に損害を与える目的で、教団所有のお金を不法領得して、業務上横領したとしている。」
*「管長」と呼ばれる友森氏は、旧姓を馬場といい、初代と同期だが、初代より格段に出世した軍人である。「管長」という位は真光にあるのか。そこで関口氏は自称「管長」と非難しているのだろう。ともかくやり手なことは宗教以前の職歴と階級が証明している。
*検察庁に告訴というのは、一種の内部告発とみていいのだろう。
*図表もついていて、犯罪事実(2)として友森清晴へ5000万円送金、友森清晴へ3000万円送金、友森清晴へ7000万円送金と52年3月1日から17日の間にこのように教団の大金が個人に入金される日時が図示されている。これも一部分であり、全体はもっとすごい。また「教団の三井銀行自由が丘支店の普通預金から、恵珠氏等がほしいままに左の日時に4回にわたって払い戻して、同時にこれを十六銀行益田支店(岐阜県益田郡萩原町)の友森清晴名義の普通預金口座へ送金して、横領したものである。」
*最大の疑問は、なぜ、移した先が、ひなびた田舎の地銀なのか?
*なぜ、岐阜県益田郡萩原町の支店なのか?おかしい。
*益田郡萩原町は、岐阜県でも、高山というより下呂温泉に近いロケーション。なぜ馬場清晴は、ここに金をプールしたのか?恵珠の実の血筋の親族などが、益田郡に移り住んでいたとか、そういった類の秘密でもあって、唐突に益田郡萩原町とでもなるのか?恵珠の戸籍謄本、養女になる前の戸籍が明らかにされない限り、ひなびた田舎の銀行になぜ?の疑問は消えない。なお、友森氏は戦後持ち株整理委員会に、公職追放であろうから、まさかと思う が、人脈などあったのだろうか。
「これらのお金は、いずれも岐阜県益田郡萩原町の十六銀行益田支店にある友森清晴の口座、または友森氏の実娘で教団の組み手ですらもない高橋美枝子名義の口座に送金されている。」
*これらのお金とは、犯罪事実(2)(3)として図示されるうちの明白なものに限ってということで、全体を示さないとわかりにくいがとりあえず。
*「組み手」ですらもない女が、組み手の女性達の差し出した金を自分の個人名義に入れていた。ということを関口氏は、当時、中外日報で告発していた。しかしこれは熱心な女性信者などにとっては大変悔しい記事ではないだろうか。
*関口氏は本当の被害者は組み手だと言っている。
*その他、印鑑の話なども。
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