暴かれた真光日本語版
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田園調布・梅林旅館の会合
中外日報という宗教に関心のある人なら誰でも知っている新聞に昭和57年というから1982年、二十年も昔に出ていたことが、なぜ知らされてなかったのか。過去の経緯を承知のうえで奉仕活動を団員はしていたのか・・・。
つまりどう見ても「崇教真光」の立教は、関口氏との裁判に負けて、そこにいられなくなったから岡田甲子は別教団を建てざるを得なかった。裁判さえなければ「崇教真光」なる宗教法人をつくる必要はありえなかった。神様が言ったからと、まさか教わっているわけではないと思いますが念の為。お告げじゃなくて裁判です。それは二十年も前にはっきり世間にこうして 公表されている。
宗教法学会第5号では、この経緯を次のように報告している。
「皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。この御霊を受けてから一週間も経たない、7月1日に、責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。岡田甲子氏はなっていた。甲子氏を含む5名の者が、教団の規則に基いて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。しかし、そのことは当時5人の者以外誰も知らないし、登記を行われたことも、この教団の人たちは知らなかった。」
昭和57年9月3日中外日報では、そこが具体的に書かれている。
「ところが7月5日、関口教え主に何の相談もなく、恵珠氏、友森部長、山本正彦(裁判所資料では昌彦)経理局長、岡本洋明調査部長の4人は、『初代教え主の遺言の如きもの及び責任役員の互選によって代表役員は決定された』という文書を作成し、恵珠氏の名前で代表役員の登記をしてしまった。」
*「遺言の如きもの」と恵珠氏側は言っているが、霊をかりにも扱っている団体であるのに「死人に口なし」とばかり教祖がのこした言葉を前言をひるがえして教祖が言ったのと違う意味にしてしまうとは、随分大胆なことよと思いました。しかもただの死人ではなく、霊能力あらたかと言われた教祖の遺言を、「どうせ化けて出てきやしないから」といわんばかりにねじまげるのは、無神論者でも、さすがにやらないことではないか。これはよほど、たとえ教祖だろうと死者など祟らないと確信してたのかもしれない。それならば、先祖の祟るを恐れ、そこで踊らされている信者とは何だろう。
中外日報は続けて次のように。
「関口教え主はじめおもだった教団幹部は、恵珠氏を擁立する一部幹部が画策した”虚偽登記”を知らないまま、7月13日、「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)を迎える。その席上松平定堯事務局長から次のように発表されている。『恵珠様のおことばを謹んでお伝え申しあげます。救い主様(初代教え主)より二代教え主は関口さんにお願いしなさいといわれました。おことばそのままを、みなさん方にお伝えいたします』(当日の録音テープから転記)」
*宗教法学会の報告は、虚偽登記とはいわず、単に登記という言葉で説明。
中外日報続き。
「13日の公式発表、14日の月始祭を終え、本部(田園調布)で執務についた関口教え主に対し、本部員、特に教え主を補佐すべき秘書課が非協力的で、関口氏を二代教え主として迎える雰囲気が乏しかった。」
「17日、不審を感じた関口教え主が書類等を検討すると、既に5日付で岡田恵珠名義で代表役員登記がなされているという事実が発覚する。」
「議事録(議事録記責任者、松平事務長、資料2)によると、出席した大方は、虚偽登記の件を知らないまま、恵珠氏の処遇について諮問している。同会議では無論だれも関口氏が二代教え主であることに異議をはさむ者はなく、それどころか、虚偽登記を画策した友森部長、岡本部長の両氏も、関口氏が初代教え主の一切を引き継ぐことを認めており、」
*老獪である。「一切を引き継ぐ」なかにおよそ20億円の教団資産と信者名簿が入っている。企業でよく「人は財産です」などという人材の意味と教団の信者を財産とみる視点は違うと思える。いつまでもお金を与え続ける人たち。寄付せずとも大切にされるのかどうか。
「25日、金子明弘訓練教学部長補佐と工藤高裕同課長は、虚偽登記の事実経過を確認するため、田園調布の梅林旅館で、友森部長と会見し、真意を糺した。友森部長は、虚偽登記したことについて『僕も疑義があった。規則に抵触しはしないかと。実際のところ山本局長より、教え主というのは内部的なことで、代表役員は法律的なことである。本質的に違うという説明を受けて納得した。関口さんは二代教え主に間違いない、こっち(恵珠氏)を僕は教え主とは思わない。代表役員を関口さんに正さなければいかんと思っている』(同会談の録音テープの要約)と説明している。同説明を聞くと、(中略)主張しているのは山本局長で、友森氏は引きずられた形になっている。しかし、彼の法廷証言によると、友森部長こそ隠れた ”演出者”と見られる節がある。」
「証言によると、友森部長は、初代教え主の亡くなった翌日、恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である」
と先に紹介した部分に記事は続いていく。
*次に天野正勝顧問という人物が登場。この顧問は教団預金の名義変更図に登場する人物でもある。関口氏はその後恵珠氏本人と直接話そうと面会を申し入れたが拒絶。 ようやく29日面会実現。その様子は次の記事。
「席上、恵珠氏は終始無言で通し、ただ関口教え主の言葉をノートにメモするだけだった。同席した天野正勝顧問が受け答えし、関口教え主の問いに対しては、文書で回答(資料3)することを約した。」
*異様な会見の光景である。攻守必死の構え。
*異様な事態は続く。
「関口教え主は、8月末にはとうとう公式行事に出席できない状態に追い込まれ、9月度の月次祭では、斎主代行を事務長に命ずるという異常事態になった。」
「ことここに至ってやむなく関口教え主は、9月18日、裁判所への問題提起の意志を固め、関口教え主の代表役員地位保全と恵珠氏の代表役員の職務執行停止の仮処分申請を行なった。(文中の役職名は当時のもの)」
*初代の遺言の通りにしないほうが、勢いがあったようである。
*病床にあった初代の指名をうけた関口氏への追い出しに拍車がかかったところで提訴されたという状況だろう。
「宗教関係判例集成」に出ている「世界真光文明教団代表役員地位保全事件」を見ますと、東京地裁、昭和50年7月24日民事八部判決文にて、マインドコントロールにかかった人は、どのような行動を集団的にしがちなのかちょっと考えさせられる箇所があります。
「保全の必要性の有無」
「弁論の全趣旨により成立の認められる乙八号証の一・二、第一〇号証の一ないし二五、第一二号証の(中略)各証言、債務者岡田本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を一応認めることができる。すなわち、前記認定の幹部通夜の際の債務者岡田の発言および「おみ霊送り」の際の松平事務局長の発表にもかかわらず、債務者岡田を債務者教団の二代教え主(代表役員)として支持するものは、幹部および信者ともに極めて多数に達しており、債務者岡田は、昭和四九年一〇月二七日に開催された債務者教団の第一五回記念大祭において、債務者岡田が二代教え主に就任した旨の発表をした。そして、自分が債務者教団の二代教え主に指名され、したがってその代表役員であると信ずる債権者の心情としては、このような状態が許せないものと考えるのは当然である。」
*債権者とは関口氏。つまり、松平事務長が「おみ霊送り」という初代光玉の葬儀の大会場で組み手に「初代は関口さんと遺言しました」とマイクで伝えたにもかかわらず岡田甲子氏を支持する幹部、信者は極めて多数に達し、ついに甲子氏が「私が二代でございます」と秋季大祭で公言しても「初代の遺言は違いましたよ。おみ霊送りの遺言発表で聞いたことと違う」と組み手達は言わなかった。すると信者たちは上の言うことを、何でもいいなりに従った結果、何と教祖様の遺言でさえ、踏みにじり、甲子さんのほうが霊能力ありそうだから。病気治しに効きそうだからと、光玉の最期の望みも平気でつぶしてしまったのだろうか?判決文が「おみ霊送りの際の松平事務長の発表にもかかわらず」としたところが、普通の集団では考えられないところなのかもしれない。これには「情報操作」という経過もあるかもしれないが、ともかく、「おみ霊送り」で皆耳に記憶しているのだから。「病気さえ治ればいい」という信者の執念が、このような集団心裡を生み出し、結果、光玉の遺言なんてどうでもいいという方向に流れたのか?大変、皮肉な感じがします。
中外日報には、この時期の教団預金口座、そのめまぐるしい名義変更もレポートされており、原因は莫大な資金の争奪戦であることは暗黙のうちに誰でも読み取れることである。しかし裁判は代表役員の地位保全であり、誰が正当にそれを管理すべきかという問題である。
中外日報・昭和57・9・6に拠れば、「9月26日、仮処分裁判第一回審訊が行われた後、恵珠氏等は、裁判に有利な証拠づくりを画策し、10月2日、臨時幹部会を開く。その席上で、6月25日に恵珠氏自らが発表した「二代は関口さん」との初代教え主の遺言を否定し「二代は恵珠様」とする内容の確認書を作成する。」
「つくりかえられた確認書によると、6月25日に恵珠氏が発表した初代教え主の遺言は次のようになっている。6月13日の朝、父(初代様)にご神前に呼ばれまして(中略)二代のお代理用の御み霊をお預かり致しました。(中略)」
*関口氏に渡したのは、お代理用と言い直している。
*しかし初代の遺言は、記事に拠れば、
「6月25日の遺言については、7月17日、18日の両日、出席者全員が署名捺印した確認書(資料1)を提出(裁判所に)している。その一月半後に、その確認書を否定する第二の確認書をつくったわけである。」
*先の遺言を否定する第二の確認書をみんなでつくってしまったという事。
「その上、恵珠氏にくみした幹部等は、最初の確認書に対しては、次のように説明書をつくり、裁判所に提出した。『先般二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。(中略)改めて今回の署名捺印に及びました』無論、こうした真実を被い隠した言いわけ文を、裁判官が納得する筈もなく、真実は後の判決で明らかにされるわけだが、(中略)彼等は7月17,18日の両日、真実の確認書に署名捺印しているが数名を除いてあとは全て実印である。いやしくも教団幹部として組み手を指導すべき立場にある者が『内容も見ない中に早く早くと急がされて』大事な実印を押すものだろうか。」
「二通の確認書を見ると、一部語句の変更ではなく、『二代は関口さん』とあるのを、『二代は恵珠氏』と書き改めるもの。その無定見、無節操ぶりには驚くばかりである。彼らさえしっかりしていたら一部幹部がいくら画策しても、教団全体が翻弄されることなく、世界真光文明教団の”天一坊事件”も存在しなかったであろう。」
*これは俗にいう「遺産相続をめぐる遺言捏造」ということではないだろうか?
*注目すべきは、関口氏サイドが、甲子氏を、”天一坊”と呼んでいる点。つまり甲子氏は関口氏ら、古参の幹部にとって、降って湧いて出た目新しい女性だったのか?いつから初代の身辺、幹部連の前に娘ですと姿を現しはじめたのだろうか?既出の週刊誌などでも、元真光隊員だとか、元看護婦だとか、また「暴かれた真光」では元救世教で知り合った女性とか、 冷静にみていくとひとつとして確実なものはない。情報源はいずれも詳しい宗教学者、詳しい救世教幹部というふれこみであり、再検討すべきだと思われる。その中にあって教祖から二代にと指名された信頼あつかったと思われる関口氏でさえ、???の天一坊というからには、当時でもかなり秘密の部分があったように推測。いつからお父さまと呼んでいたのか。娘時代の写真が1枚もないなど、かなり不自然だ。
「こうして10月2日を機に大方の幹部が、教え主と自称する恵珠氏を、あえて”教え主”と崇め、一体化して恵珠氏をフキ上げようとした。」
*中外日報9月6日記事最期の文章はイミシンである。
「恵珠氏を崇め」は崇教真光の「崇」は恵珠を崇める意味かねと皮肉っているようでもあり、すると「フキ上げようと」のふきあげるを何故カタカナにしたのかなど、掛詞、例えば甲子の本名がフキという字があるなど。個人的疑問だが、岡田光玉は、熊沢天皇となのる人物が戦後幾人か出たが政経調査会関連の人物と接触はなかったのか?いやまさかと思うが。この部分は個人的疑問であるので惑わされないように願います。
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