暴かれた真光日本語版
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2004年04月20日(火) 084 gn

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関口氏提訴の経緯

関口氏提訴の経緯について、宗教法第5号(1986,11)は客観的状況として次のように報告されている。

「この秘書課長というのは、甲子派の推進者の一人で、これにサインをしてくれということで、上の方に○というのは、関口氏が見たという印で、これによってこの通達書が道場長、その他に配られることになりました。そしてこの日以降は、甲子派が教団の本部を占拠して、関口氏は追っ払われて別の場所に行くということになりますが、これはあまりにひどいではないかということを、幹部の一部、特に6月25日の通夜の席で聞いている幹部等の何人かは非常に怒りまして、これでは教え主の地位を僭奪されたようなものである、こんな変なことはあるはずがない、黙っていてはこの教団は駄目になる、といって関口氏に理非をはっきりさせるよう迫ります。そこで関口氏は自分が教団の教え主であるということを甲子氏側に言い渡しましたが、もちろん向うは聞かない。東京地裁に代表役員の地位を定める仮処分を提訴したわけであります。」

*以上は法律家の集まり、宗教法学会で説明された関口提訴の経緯です。

*中立の立場の第三者から見た提訴の経緯です。

しかしなぜ宗教法学会で、この裁判が研究のため取り上げられたかというと甲子側が、二代は自分のほうであるという証拠に、裁判所に「ご神示」を提出した。「ご神示」という宗教的秘文、しかも厳密にいえば、書いた本人以外、正しく説明できる人はいないだろうと思われる「ご神示」を裁判所に出してくる。そこでこの研究発表の眼目は、本来裁判になじまぬ「ご神示」を紛争当事者がもちこんできた場合、どのように、教義には介入せず(信教の自由)、どのように取り扱ったらよいかということを実例から発表されている。

そこで当然、光玉氏の「ご神示」も甲子側からもちこまれた裁判資料ですから、写真と文が訳されて、この宗教法学会第5号で見ることができる。これを見て意外だった感想をひとつふたつ。神示というから縦書きと思ったが、光玉の神示は横書きだった。なんと横文字も入っている。→「gelkも?」という意味は不明だが単語が。光玉は数字だけはきちんと書く癖があったようだ。これは神示文中、混乱した文字のなかで、数字だけはきちんとした字体。こんなところにやはり元軍人なのだなあと感想。軍隊の日誌など、必ず正確な日時の記入が叩き込まれた名残か。もし光玉氏はどんな字で神示を書いていたのか知りたい人は、この宗教法学会第5号に出ているのでご覧になると楽しいと思います。

これらの資料には、ご神示を山本というハンコを押して封印してしまったことがレポートされておりますが、ご神示というのは信者の尊崇を受ける財産だと思われますが、こういうことをやってのけるという点、いささか面食らう次第です。

(アントニオ猪健)
>馬場氏のレスの資料は、私も持っているが(中外日報)これは、関口氏との裏の
>絡みがあり、はっきりいって関口側の資料である。
>関口氏は天一坊事件と言っていた>
>三ツ矢グループの息がかかった資料をつかうのはどうかな。
>素人は納得させられても、知っている人には通用しない。

私は、これを、光玉氏の最期の指示と言葉を、伝えるために書いているのではありません。部外者ですから、そういう義理立てはないわけです。しかし、書いていると、自然とそうなってしまう。それは、そもそも、この裁判は、光玉氏は、死のまぎわに何を言い残したかを争う裁判だからです。しかも最高裁まで。

つまり教祖であろうと誰であろうと、故人の遺言は、都合によって勝手に、ねじまげてはいけない。こういう相続に関する民事裁判なのです。もし、アントニオ猪健さんが、またしても否定するとなると、それは、かつて光玉の遺言をねじまげて、結果敗訴した、昔の債務者、岡田甲子氏たちと同じことをして、光玉氏の遺言を冒涜したことになりますよ。理性を働かせてください。

お読み下さってわかるように、私は宗教法学会の報告を軸に、当時の中外日報を、これは置いてある機関が今少ないので、ご紹介しております。

宗教法学会第5号(1986,11)。これは先に申しました通り、家永教科書裁判で最高裁判事をつとめられた大野氏が、お若い時、弁護士時代に研究発表されたものです。法学会レポートに書いてある次の点を抑えて頂きたいと思います。

「本件では、最初に「秘文」(ご神示)があったわけではない。幹部通夜での発表があります。武道館での葬儀の際の発表があります。これらは、裁判所はもとより通常の世俗人によっても容易にその存在と意味を理解できることです。ところが、甲子側は、それと正反対の意味内容を有するものとして、「御神示」なるものを法廷にもち出した。この時に考えが分かれると思うのです。」

大野正男弁護士の解説です。つまり再三そのまま書き出しているように、甲子氏本人が「光玉が二代は関口さんにせよ」と私に言ったので、それを幹部の皆様にお伝えします。といっておきながら、後になって前言を翻し、「私が二代にふさわしいわけは、父の部屋を整理していたとき出てきたメモ(ご神示)に「ヨのみたま云々、娘に伝えよ」と書いてあるから私が後継者よと関口氏を熱海に呼び出して迫った。それで仕方なく裁判所も今まで見た事もない「ご神示」を証拠物件として扱わざるを得なくなった。しかし司法は内容に立ち入る事は許されない。そこで、内容に立ち入らず、「光玉は本当に最期には何といったのか」立証していく。これを大野弁護士は法律家達に報告している。

「二代は関口さん」。これは証拠、証人が出揃っており光玉氏はそう言ったと判断した、裁判所は。また組み手1万5千人ばかりも、大葬儀の会場で、松平事務長から、一万5千人が聞いている。証人というわけです。にもかかわらず、流れがいつのまにか「二代は甲子氏」に。それで裁判所のコメントにも、「松平事務長の発表を組み手は聞いていながら」というニュアンスの判決内容文がある。

アントニオ猪健さんも、かつて教祖の遺言を引き裂くような結果を招いた組み手と、同じことをしようとするのだろうか。ご都合主義も結構だが、このような否定が昔、教祖の必死の遺言さえ討ち落としてしまったことを、また性懲りもなくやろうとするのか?そうであれば、崇教の組み手というのは、救い様がない。


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