暴かれた真光日本語版
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2004年04月19日(月) 085 gn

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ラーム氏

>>ラーム氏とは、では、外人の霊能力者なのですか?
>確かラ−ムというのは光玉の晩年の取り巻きの一人。 インド人のヨガか霊能者でしょう。


ラーム氏に就いて、ありがとうございます。甲子氏自身が幹部に語る言葉として、突然出てきたものですから、面食らってしまいましたところ、疑問が解けました。また位山についても、何だってこの山に執着するのかなあと思っておりましたが、そういう日本オカルティズムの伝統があるのですね。私は、陸軍演習等で光玉が懐かしい思い出として登った山ででもあるのかなと思っていました。

しかしながら、なぜ、日本の軍人の一部は、かくもオカルティズムに惹かれるのだろうか。それで私は真光の友森氏のように、全然こんな手かざしなど信じてもない行動をする幹部のほうが、人間くさくて健全という感じすらしてしまう。

だが一方、このような板に、「霊動がこわい」「霊動がとまらない」「真光に入ると気性が狂暴に、不安定になる」(海外のレポート)でも。こういう事が現実として存在する。だから欧州でも危険なカルト指定を受けている。裁判の経過は過去のまぎれもない事実だが、現在のまぎれもない事実に、「霊動への訴え」が存在する。

仲村さんのように、オカルティズムの歴史に詳しい研究者からごらんになって、信者さんが不安に思っている「霊動」は、どのように日本文化では扱われてきたのですか?私はそういう知識がありませんが、異常なことに思えますし、そうなってしまったら本人は尋常ならざる不安を起こすでしょうし、発狂でもしたら大変だと思うのです。みんなが割りとと知りたがっているこの点について、安心させてあげられる何か、その種の知識ございますでしょうか?

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霊動

>非常に危険な方向性だったんですね。
>真光は霊動《浮霊》を人工的に引き起こそうとしている訳です。
 
真光の教義事体が、霊動《浮霊》を引き起こす「方向性」を持っている。という解釈でよろしいでしょうか。仲村さんは霊術の歴史研究の見地からのお説だと思います。そういうフィールドからさえも「霊動は非常に危険」と指摘されることに注意すべきだと思う。

このように危険な霊術でも、それが一部のマニアックな秘密結社の人達の間でやっているぶんには、霊動が起ころうと、それで発狂しようと、好きで研究実践していたのだからと、仕方あるまいと諦めもつくだろう。しかし、現実として投稿の中にも、ふらっと誘われて入ったところ「道場で霊動・浮霊する人を見た。」そればかりか投稿者自身が「霊動がとまらなくなって怖かった」というのさえあった。それは仲村さんの指摘される「真光の方向性に霊動現象は教義の一部として内包されている」をまさに現実として裏付ける訴えである。

神道研究の見地からみても危険なものを、大衆化路線で広める(まぼえする)こと自体が間違っているのではないか。

真光の「霊動」という現象については、JDCCのような脱カルト研究会のなどのマインドコントロール研究団体は、どういう見地をもっておられるのか、是非「霊動」に関する見解を伺いたいものである。かなり大勢の人が脱会後もこれが気にかかって困っておられるのですから。そして治す方法はあるのだろうか?しろうと目に見ても、「霊動」など頻繁に起こしつづけていたら発狂してしまうんじゃないかと思えます。仲村さんは「霊動」は濁音の祝詞が起こす「暗示」と関係があるとおっしゃっているように受け取りますが、それでしたら暗示とは怖いものですね。人を一生縛り付ける。確かにゴクビ云々の語韻はゴクツブシといったののしり言葉などを連想させますが。濁音て、詩でもそうでしょう?

それともうひとつ大事な留意点は
>この事を私に教えてくれたのは真光の幹部だった人ですよ。
これを信者の方は見落とすわけには行きますまい。

つまり幹部も「俺も霊動ってよくわからないけど。起きちゃうんだよね。」とまあ見えない世界のことだから幹部もわからないで指導していることだってあり得る。しかし「霊動」について意図的に引き起こすことを、このある一名の幹部だけでも「知っていながら」やっていることに、「おまえ、罪の意識を感じないのか」と問いたい。
これが「危険」だということもこの幹部知っとるなと。そうしたら何ですよ、人が悪いね。

「霊動」はその動作だけ観察したら、薬物中毒者によくみられる現象と同じです。薬害を説きながら、ヤクも使わずヤク中と同じ現象を他人様のからだに引き起こしてどうするんだ。矛盾していないかと思います。あたかも副作用(霊動)の強い精神安定剤を安易に与える悪徳医者のような感じもする。

神道研究からみても「非常に危険」というなら、そもそも奥様方が「今日のおかずはきりつめて、あした浮いたぶんをお布施しましょう」などとお気楽に接して害の無いシロモノでは、決してないと思える。手かざしされること自体が、「霊動」を誘発するとすれば、では親が自分の子どもに手かざしして「霊動」を誘発してしまった場合は?神道研究家でさえ「危険」といって手出ししないことを、そこらの奥様方が、無知ゆえに、子どもにバンバンやっているとしたら社会問題だ。

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光玉最後の御神示

宗教法学会第5号には、光玉の最期のご神示が写真とともに活字化されて出ている。ご神示とは光玉氏の場合こういうものかと、よくわかる。よくわかるというのは、やはり所詮は書いたご本人しか真意は説明できないだろうなという暗号のような、メモのような体裁の文章だ。長文が掲載されているが、その一部を書き出すと、

「幸子に『あす11時だよ』と
 13日夜
 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ 
 しばらくくちゃくちゃ」

このような文章がずっと続きます。ご神示も霊動も、真光の主要アイテムですが、神示は書いたご本人、霊動なればそれを我が身に起こしたご本人がその時どういう感触と感情をもったかも大事なことだと思います。もし真光の霊動にしても、本人を安心させる後味だったら、元信者さんたちが霊動とは何ぞやと、気持ちにひっかからないと言えますまいか。後味がひっかかるから、宗教渡り鳥といわれていますが、他の似たような教団に行ったりするのではないか?後味がひっかかるから、外国信者の方もそうですが

ヨガや気功で真光の霊動と似たようなことはないか。調べなければ落ち着かなくなる。霊動について何か調べてみないと落ち着かない感じを多くの人に与えてきた側面がある。解明には、いろいろな説があると思うが、もし、霊動現象がさわやかで良い印象を与えるものだけであれば、人はそれについて調べ回らないと思う。また人前で、意識で制御できずに体が動くことを、セラピーと1対1なら兎も角、大勢に見られることは、人間の本能として、恥ずかしい感じ、屈辱感を抱かせるものではないか。人前で失禁しちゃったような。ある先輩の組み手が、自分の手かざしでそれを後輩に起こしたとする。起こしたほうは、他にさしたるとりえがなくとも、支配欲のようなものが、いくぶん満足するのではないか。

自分はこんな不思議なことも相手に起こすことが出来たと。霊動は起こさせたほうには強い自信となり、起こされたほうには服従心を植え付ける強力なアイテムとなりうるのではないか。起こされたらマケ。のような感じが致しますが。その後の教団内、人間関係にも影響するような。

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導士のセクハラ

ホームページを見ていると、ある道場で起きた導士のセクハラとか、年増の女導士が若い隊員に「今日、アタイを家まで送ってくれるの誰!?」などと運転手がわりに召使として使っている、なんだあの女はという書き込みもある。また道場長に施設拡大につかうからと金貸したのに返してくれない等。これは明らかに世俗の問題である。神を否定して文句を言っているわけではない。

ところが、困ったことに、そういう実態を見て、「辞めたいけど、おみたまどうしよう」と思う人が大半で、「開けても大丈夫でした」とか「教団に郵送しました」「ゴミにして捨てちゃいました」など、またまた、「おみたまの返し方」で議論が沸き起こるという状況である。「おみたまの返し方」は罪障意識をかきたて、ないがしろにできない信者の問題となっている。

指導者のマナーという世俗問題が「脱会」の段になるとおみたまという神力の問題に収束されるので、信者はがんじがらめになり、後退も前進もままならず蛇の生殺しのような状態にされる。これは苦しいことだ。教団内で発生した世俗の問題は、監督権のあるところにもっていき、そこから教団に指導してもらうしか、改善できないと思われる。

真光は単立宗教法人で、確か都道府県知事所轄ではなく、文部大臣所轄の文化庁文化部宗務課が窓口だと思う。確かめてないが。

文化庁宗務課では、各宗教法人の苦情件数というのを挙げているはずだ。そこに苦情として、道場のセクハラなどは実名をあげて言っていったらいいと思う。それで辞めたい人は、ついでに「おみたま」も文化庁に証拠として送ってしまうのも一考である。なぜなら、それが直筆か、印刷か、そこから光が出ているかなどで迷わされる教義なのだから、そういう証拠として所轄で調べてもらう材料に送ればあとは専門家の出番だ。

そこに奉仕してお金を奉納してきた信者の主張や疑問というのは大事なもので、文化庁にないがしろにされることがあってはならない。という風に建前はなっているのだから。金貸したの問題にしても教団の健全運営に関する重要なことなのだから、信者の強みというのは、監督官庁にもの申していく時に発揮されるのである。誰もが自分の人生を大切にしたいと思っている。そこに宗教があった。それなのにそこにいると自分を大切にされないばかりかセクハラだと!?と怒るのは当然だと思う。事例が重ならないと監督庁も指導しようがないでしょう?

宗教法学会第5にも、これは1980年代の資料ですが、すでに、「この事件(真光文明教団代表役員地位保全事件)は最初東京地裁の民事第八部、通称商事部に係属しました。東京地裁の八部というのは、会社関係の事件を扱う専門部なのですがそこの裁判官がいうには、今は株式会社に関する事件は少なくなって、学校紛争と宗教紛争の事件が多い、今や商事部は宗教部に化した、という話をしていました。」こういう傾向が1995年宗教法人オウム真理教のサリン事件につながっていく土壌であったのだと思う。


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