言の葉孝

2011年04月19日(火) 「死にたい」に対する受け答え(2)疑問に対するいくつかの答え

 昨日までで、「死にたい」と思っている理由であるいくつかの問題には答えが出ています。

>「どうすればいいのかわからない。苦しい状況が打開できる方法がない。そんならいっそ死にたい」

 現状で状況を打開する希望がないのなら、現状を変えるしかないのです。
 昨日の僕のコメントでも僕は転職を勧めていますね。実際、月収10万円以下だって、普通にフルタイムのアルバイトをすればクリアできると思うのですよ。選んでる仕事が悪いだけで。


>「被災地の方々が援助を受けているのに、同じく苦しんでいる非正規労働者に援助がないのはおかしい」

 それは国にとって被災地の復興は重要な意味があるからです。今回の地震で産業に受けた被害は甚大です。海岸とかだと漁業ですね。いつまでも漁業ができなければ国としてもかなり困る。だから、働く候補の人や建物の復興を援助するのです。
 しかし、ある程度復興したら、支援は打ち切られるでしょう。今からでも自分が食べていける手段を探しておかないと、打ち切られた時に、非常に困ることになります。
 被災者の方には大変厳しい言葉になると思いますが、支援されることは当たり前のことではないのです。支援を受けている今のうちに自分が生き抜く方法を探さなければ。

 対して非正規労働者の場合は、貧困にあえぐ非正規労働者が発生することで停滞する経済なんてないからでしょう。助けるのに社会としてそれほどの意味を感じていないのです。
 ただし、消費者がいなければ経済は成り立ちませんから、危機となれば助けることもするかもしれません。


>「生活保護を申請しても、役人に却下され、結果餓死してしまうなんて社会はどうかしてる」

 生活保護も、人間が生きるために取れる手段の一つです。主張の繰り返しになりますが、「本当に生活が苦しいのに生活保護が受けられない、これはオカシイ」という論法はあまり意味がありません。
 「なぜ受けられないのか」「どうすれば受けられるのか?」と、いうことをこれを考えなければ。
 世の中には『生活保護ビジネス』というものも存在します。ホームレスに住所を与えて、生活保護を申請させ、受け取ったお金を搾取するというタチの悪いお金儲けですが、生活保護というシステムをうまく利用しているという見方もできます。


 これらの答えに対して僕の主張は一貫しています。
 責任は何も解決しません。自分がどれだけ正しくて、誰をどれだけ責めようとも、誰も食わせてくれないのです。
 そうしているうちに生き抜く手段を考えなければ、ほんとうにのたれ死ぬ日が来てしまうかもしれないのです。

 よく考えれば、人間以外の動物に善悪は存在しませんね。それは、正しいことなのか悪いことなのかという概念が、食べ物を得るのに何の役にも立たないことの証明ではないでしょうか。

(まだ続く)

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