言の葉孝

2011年01月16日(日) タイガーマスク運動その3 〜募金活動の是非について

 前回取り上げた記事のコメント欄は、結構ディベートで盛り上がっていました。
 全国児童養護施設協議会の提案に対して「水を差すな」「プレゼントを選ぶのが楽しいんじゃないのか」「モノをくれるなら金をくれってか」という意見と「もっともだ。要らんモンを贈られても困る」という意見は大体半々。

 もう一つ議論が起きていたのは全国児童養護施設協議会の「共同募金会を通じた寄付もできます」という意見に対する議論です。
 これに関しては「モノではなくお金を寄付することに関して」という話題も混じっていましたが、概ね「お金を寄付すると腹黒い大人が中抜きするに決まってる」という意見が大勢を占めていました。

 募金活動に関して、僕は内部事情を良く知らないので正しいことは分かりませんが、前回ちらりと触れたように「大人にどう使われるか分かったものじゃない」という理由で募金をしないのはナンセンスだと思っています。

 理由はいくつかあって、一つは組織的な募金には専属的な職員が要るため、やはり人件費や事務費がかかってしまうこと。
 本来、お金を運営して、何か買ったり使ったりで役に立てて初めて活動は完了します。
 しかし、僕たちは通りがかりに小銭をチャリンと入れれば行動としては終了します。後のことは代わりに職員さんがやってくれるのですから、維持費・人件費を認めないのは現場で活動している人たちに対してオニのような意見だと思うのです。
 
 二つ目は、直接手渡しによる寄付は気まぐれで不安定であること。
 中を抜かれるのを嫌って、タイガーマスク運動のように直接渡すのはアリだと思います。ただし、これは金額も不安定かつ時期も気まぐれであり、当てにするにはあまりに不安定です。
 その点、恒常的に活動して、集められたお金が積み立てられている募金活動組織の存在は、みんなが悪し様に批判してののしるほど悪いものではないと僕は考えています。

 三つ目は、いろいろ言って「募金をしない」という選択をすると、子供たちに援助が届く可能性が全くなくなることです。
 「着服する大人が要るから」募金をしないのであれば、せめてその大人を捕まえる努力でもすればいいのです。ただ、何もせず募金活動を否定するのはマイナスにしかなりません。

 だったら、「募金と名乗っている以上、50万寄付すれば20万は本当に純粋に役に立つ」と信じて募金をしてた方がナンボかマシというものです。さすがに募金したお金を全部着服するような活動団体はないでしょうしね。
 「寄付したお金の半分は要らないことに使われるかもしれない」ではなく「寄付したお金の半分はちゃんと役に立っているはずだ」と考えることが重要なのではないでしょうか。

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【重要課題】
[ ]『文机』のホームページ作り
[ ]『SOUFARCLY』の更新

【非重要課題】
[ ]部屋片付ける
[ ]iPodどうしよう
[ ]正月中に増えた体重減らす(60kg以下)
[ ]新しい旅の企画を考える

【期限付き課題】
[ ]『そうさく畑85』参加(4/3)
 [ ]文芸誌『コトダマ』作成(4/2)
  [ ]印刷の方針を決めること⇒印刷所にまかせるか/自力印刷か
  [ ]文芸誌用企画原稿作成
[ ]基本情報技術者試験(4/17)
 [ ]申し込み(1/17 10時 〜 2/22 20時)
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