言の葉孝

2010年10月03日(日) 東海道踏破の旅(10) Final

 ということで今回がラストです。また27日の月曜日から一泊二日で出張が入った上、金曜日に休みが取れて4連休になったので23日夜から東京の父親の下宿にお邪魔していってきました。
 3日間の予定でしたが、結果的に24日、26日の二日間で余裕で歩ききれました。間の25日は緊急の仕事だったのです。
 

○平塚→藤沢→戸塚→保土ヶ谷→神奈川

 35.2キロメートル進みました。いつもの一日25キロでいくと、戸塚あたりで止まる予定だったのですが、戸塚には昼過ぎには着いていました。藤沢で盛大に道を間違えてものすごく遠回りをしたのですけど。……4時起き6時出発が功を奏したのかしら。

 平塚→藤沢間には茅ヶ崎があります。つまり、この区間、モロ湘南なんです。あの、車のナンバーについてたらカッコいい、湘南です。ということで、茅ヶ崎周辺にはバイク関連のお店が心持ち多いような気がしました。
 先にも書きましたが、藤沢→戸塚に行く途中、盛大に道を間違えてしまいました。方向的に進みながら、元の道に戻るということもできないくらいかけ離れた方向でして。踊り念仏で有名な遊行寺に行く橋を渡らずに藤沢駅方面に行ってしまったのです。おかげで余計な距離を歩くことになって、体力的にも精神的にもきつい思いをしました。
 
 戸塚→保土ヶ谷はアップダウンが楽しかったです。谷というだけあって、急な坂が多いのですが、坂が多いとユニークな建物が多いのですよ。上の建物の一階と、下の別の建物の四階がくっついてる、とか。そういうの見ると、ついカメラを向けてしまいますね。
 保土ヶ谷→神奈川(横浜)の間では、市場みたいに露天に品物を並べている商店街があったくらいで、距離も短かったし、それほど特色のようなものは感じなかったような。


○神奈川→川崎→品川→日本橋

 いよいよ東海道の旅最終日。
 5時51分神奈川(横浜駅)出発しました。神奈川から川崎は平らでまっすぐな道が続きます。そのため建物自体は面白いところはなかったのですが、攘夷派の薩摩の嶋津久光一行が、彼らの行列を横切ったイギリス商人リチャードソンを殺傷してしまった生麦事件の現場である生麦、江戸から故郷の三重に帰る芭蕉とその弟子達が別れの俳句を交し合った八丁畷等、歴史的なポイントが豊富でした。
 また、『鉄子の旅』で紹介されていたJR鶴見線国道駅のそばを通り、噂の時代に取り残された高架下を見ることができます。

 川崎〜品川間でのクライマックスは多摩川です。なんといっても神奈川県と東京都の県境があります。多摩川を渡るのは六郷橋という橋なのですが、珍しい、囲まれていないゴルフの打ちっぱなしの練習場がある傍らで、橋の下ではホームレスの方々が集落を作っている様子も見られました。
 川崎でも様子のおかしな人が見られ、そういう土地柄なのかな、とも思いました。大阪にもそういう場所、ありますしね。
 この区間の歴史的遺物としては鈴ヶ森刑場跡が見もの。火あぶりや磔に使う杭を立てていた土台の石が残っているんですよ。杭を立てるための窪みが生々しいです。
 
 そして品川宿。ここは宿場であることを前面に押し出した観光客向けの町でした。そして、奇遇にも、この日を含む、9月25日26日は『しながわ宿場祭』ということで、お祭りが催されていたのです。フリーマーケットや露店が並ぶほか、道一杯に練り歩くパレードなど、盛況な様子でしたね。
 ただ、パレードなどの流れが僕とは逆の流れだったので、人を掻き分けて進むのが少し大変でしたが。

 そして品川→日本橋。昼には品川に着いていたので気力体力共に余裕です。
 この区間は全て国道15号線を通っており、品川駅を通過した直後の標識で『日本橋から7Km』と書かれているのが見られます。僕には『日本橋まで7Km』に見えました。
 そこからは芝、浜松町、新橋、銀座、京橋と東京の名所を渡り歩きます。銀座は歩行者天国になっていました。休みの日は歩行者天国になるようですね。初めて歩行者天国というものを体験したのですが、車道の真ん中を思うがままに歩くのは思った以上に幸せですね。

 京橋を抜けたところで見えるのが高速道路の下の高架下に掛かる橋で、そばには「日本国道路元標」の広場があります。つまりそこが東海道を初めとする全ての道路の起点。15時21分、日本橋に到達。


 セーブ&ロード方式で間が長く空いた時期もあり、実はあまり今までの詳細を覚えていないので、それほど感慨深いゴールではありませんでしたが、やり遂げた感はそれなりにありました。
 歩くのはとっても辛かったですし、歩くだけのところはつまらなかったですし、真っ暗になってもたどり着けず不安な思いをしたこともありますし、おなかが減っても食べ物屋さんが見つからなくて困ったこともあります。
 それでも、旅行雑誌などではなく、自分の足で面白い場所やものを見つけたりしたときや、琵琶湖に浜名湖、鈴鹿峠に富士山、と話に聞くばかりで実際に見たことのないところを実際に見られた時はうれしいものでした。

 観光名所のいいとこどりみたいなツアー旅行なども良いですが、このような自力の旅のほうが得るもの感じるものは多かったように思います。
 東海道は今回で終わりですが、次は自転車でまた同じような旅をしてみたいと考えています。そのときはまた日記で報告させていただきます。





○東海道踏破の旅 まとめ

【一日目】「三条大橋」⇒「大津」⇒「草津」(2009年7月5日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20090705

【二日目】「草津」⇒「石部」⇒「水口」(2009年7月11日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20090711

【三日目】「水口」⇒「土山」⇒「坂下」⇒「関」(2009年8月2日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=200900802

【四日目】「関」⇒「亀山」⇒「庄野」⇒「石薬師」⇒「四日市」(2009年8月8日)
【五日目】「四日市」⇒「桑名」(2009年8月9日)
【六日目】「桑名」⇒「宮」⇒「鳴海」(2009年8月10日)
【七日目】「鳴海」⇒「知立」⇒「岡崎」(2009年8月11日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20090806
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20090816

【八日目】「岡崎」⇒「藤川」⇒「赤坂」⇒「御油」⇒「吉田」(2010年1月9日)
【九日目】「吉田」⇒「二川」⇒「白須賀」⇒「新居」⇒「舞坂」(2010年1月10日)
【十日目】「舞坂」⇒「浜松」(2010年1月11日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20100111

【十一日目】「浜松」⇒「見附」⇒「袋井」(2010年2月21日)
【十二日目】「袋井」⇒「掛川」⇒「日坂」⇒「金谷」(2010年2月22日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20100222


【十三日目】「金谷」⇒「島田」⇒「藤枝」(2010年3月27日)
【十四日目】「藤枝」⇒「岡部」⇒「丸子」⇒「府中」(2010年3月28日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20100328

【十五日目】「府中」⇒「江尻」⇒「興津」⇒「由比」⇒「蒲原」(2010年5月8日)
【十六日目】「蒲原」⇒「吉原」⇒「原」⇒「沼津」⇒「三島」(2010年5月9日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20100516

【十七日目】「三島」⇒「箱根」(2010年9月11日)
【十八日目】「箱根」⇒「小田原」⇒「大磯」⇒「平塚」(2010年9月12日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20100912

【十九日目】「平塚」⇒「藤沢」⇒「戸塚」⇒「保土ヶ谷」⇒「神奈川」(2010年9月24日)
【二十日目】「神奈川」⇒「川崎」⇒「品川」⇒「日本橋」(2010年9月26日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104302&pg=20101003

お、意外にキッチリ二十日間で歩き切ってますね。
最初の頃はあとでレポートにまとめようとして、あまり詳しいことは書いてないのが悔やまれます。

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