囲うかどうか悩みましたが、一応書いておくことにします。
実は昨日今日と夏休みを取っていました。うちの会社は7月〜9月の間のどこかで3日間の夏季休暇+できれば2日間の有給休暇をとることが半ば義務付けられているので、9月末にとることにしました。 出張帰り、「さあ、夏休みだぜヤホゥ!」と新幹線に乗っている中、連絡が入りました。
祖母の訃報でした。 というわけで、僕の夏休みは祖母の通夜と葬式になりました。
まあ、前から心臓を患っていて入退院を繰り返していたので、長くはないとおもっていたのですが、予想よりも早かったです。 元々、僕は親が亡くなっても多分泣けないだろうなぁ、というくらい自分は人の死にドライなのですが周囲も、
「あんまり苦しまずにすんで良かったね」 「年齢的にもよく生きたほうだしね」
と言ってくらいなので、あんまり悲しみのムードとかはなかったです。本当に、通院生活及び看病の体制をどうしようかと皆で話し合っていたところだったので、本人も周りもあまり苦しまずに終わったことが救いですね。
祖母という身近な人が亡くなったのは初めてで、夜伽(通夜が終わった夜、葬式当日の朝まで線香やろうそくが途切れないように遺体とともに過ごす行事)に参加したのも初めてです。 玉泉院という葬儀屋さんでやったのですが、通夜から葬式まで全部その建物の中でやりました。(正確には火葬場は別ですが) 夜伽のための部屋もその建物の中で、畳敷きの部屋の中に大きなテレビとかビールやジュースの入った冷蔵庫、お風呂場にアメニティの類も備えてあって上等なホテルとそう変わらない設備でした。
僕、父、叔父、いとこの男四人で小さな飲み会になって、祖母の昔の話を聞いたりして、なかなか楽しめました。こういう機会でもないと叔父の家族とじっくり話せないのです。 父と叔父の兄弟のやりとりを長く聞いていたのも初めてなくらいでしたし、葬儀屋さんに泊まったことといい、なかなか新鮮な体験でした。
ただ、祖父にとっては祖母は妻を亡くしたことになりますし、父や叔父にとっては母を亡くしたことになります。 特に祖父にとっては長年連れ添った伴侶を亡くしたのです。あまり弱さに相当する感情を見せない人なのですが、最後のお別れのときなどで、「さいなら」とあくまでそっけなく言っていながらも、何となくさびしそうな背中が印象に残りました。
祖父が神主の仕事を辞め、祖母が病を患ったこの数年、父方の祖父母の状況は会うごとに変わっていきます。今回のことで祖父がどう変化するのかは心配です。
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