言の葉孝

2006年10月05日(木) アメリカの銃文化


 今日でアメリカ文化研究の一部、アメリカの銃文化についての講義が一段落した。そこで、自分の意見も踏まえて一度まとめてみようと思う。表現上、いかにも知ったかのような断言口調を多用するが、すべてこの授業からの聞きかじり、配布物やノートからの引用になるので、参考にするときは注意が必要であることを一応、告げておく。

【マリッシャ(民兵)から始まったアメリカの銃文化】

○憲法で自衛のための銃所持の権利“武装権”が認められている。

 アメリカは銃と犯罪について、日本とはまったく正反対の考えをしており、一般市民でもきちんと手続きを踏めば銃を手に入れることができる。狩りをし、獣や盗賊から身を守った開拓時代からの伝統を受け継ぎ、市民が自衛のために銃で武装することを憲法修正2条で認めているのである。
 ちなみに、この“武装権”については論争があり、これが州兵に対しての権利なのか、それとも個人に対しての権利なのか、それぞれ意見が分かれている。


○なぜNGA(アメリカ銃協会)ではなくN“R”A(アメリカライフル協会)なのか

 そもそも、アメリカ市民が銃を持ち、自衛をすることに誇りを持つようになったのはアメリカ建国時の騒動、つまりアメリカ独立戦争からである。どんどん進行してくるイギリスの正規軍に対し、植民地軍は住民から志願兵を集め、住民たちは狩猟用のライフルを握り締め、民兵としてゲリラ戦を展開することでイギリス軍に対抗し、最後には独立を勝ち取ったのである。(この勝利の要因としてはフランス正規軍の参戦が一番大きなものなのであるが、民の力で独立を勝ち取った、この神話を崩すことはよくないことだ)

 アメリカはみんな銃所持に賛成かというと答えは否である。むしろ、反対している人のほうが多いのではないだろうか。その中で、自衛のための力を持つべきだと説く銃所持擁護団体がNRA、アメリカライフル協会である。
 なぜ、“銃”ではなく、ライフルなのかというとアメリカ独立は民兵がライフルを担いで自分たちの力で建国したために、ライフルは建国の象徴なのである。

 つまり、政府など誰の力も借りず、自分の身は自分で守り、ときに自分の自由が妨げられれば自分の力を持って切り開くことに矜持を持っているのが銃所持を擁護するアメリカ人なのである。


【銃は持つべきか否か】

 ここ数年、ニュースが殺人事件を取り扱わない日はない。動機や事件状況について、あまりにも凶悪であったり、不可解であったり、これが今に始まったことかどうかは分からないが、とにかくマスコミは注意を呼びかけている。
 たとえば、ニュースでやるような凶悪な犯罪に巻き込まれてしまった場合、警察を呼ぶ隙もないことがほとんどだ。そんなとき、自分で身を守れる手段を持っていれば安心という考えは分からなくもない。
 実際自分の身を守ることは自己責任なのだ。政府や警察、自衛隊にすべてを委ねている時点で、自然ではない。

 俺は割と性善説を唱えるほうで基本的に人は犯罪に手を染めない理性を持っていると信じている(理性という表現をする時点で性善説が崩れるわけだが)。
 100人に銃を持たせれば90人はきちんと自衛のためのみに使うか、もしくは使わずにしっかり保管しておくだろう。
 ただ、残った10人のうち5人は銃犯罪に走り、3人は自殺に使う。あとの2人はずさんな管理をして子供が暴発させてしまうなど、とにかく残った十人は悲劇を誘発する。

 100人の内の10人、一割というのは多すぎるのではないかと思うかもしれないが、実際に銃を手にしてみて「使ってみたい」という気持ちにならないものはいまい。そして、銃は強大な力であり、どんなひ弱なものでも屈強な男一人を殺せる力を持っているのである。
 また、ナイフなどとは違って生々しい手ごたえも返り血もない、罪悪感の残りにくい殺し方になる。
 つまり、物理的にも精神的にも銃は非常に殺しやすい武器であり、ひ弱な男一人でも強盗ができるようになる代物なのである。

 日本の場合、できるだけ銃を持たせないようにして、悲劇を起こす10人のうち2人にしか銃が行き渡らないようにする。
 アメリカの場合、犯罪者に対抗できるように全員に銃を持たせる。
 日本とアメリカの銃の扱いの違いは、犯罪を防ぐか、それとも犯罪に抗するか、の違いであるといえるだろう。

 日本の銃規制の厳しさは相当なものであるらしいと聞いた。それでも完全なものにはなりえないので、銃を手に入れた人が(この場合、わざわざ密輸してまで銃を手に入れる人というのはたいてい犯罪に使うためである)起こした犯罪に巻き込まれた場合、対抗手段がないのである。

 アメリカの場合、犯罪に巻き込まれたとき、銃を持っていれば強力な対抗手段になるし、それによって殺されるなら、無抵抗のまま殺されるよりもずっと納得はしやすい。
 ただし、俺は理性的な普通のアメリカ人が普段から銃を持ち歩いているという話を聞いたことも見たこともない。おそらく銃は保有していても家の棚に入れっぱなしにしているのがほとんどではないだろうか。だとしたら銃を普及させている意味がなく、ただ銃犯罪を加速させているだけということになる。
 また、銃というのは強力であるが、扱いは割りと難しい。反動が強いためしっかり持たなければならないし、拳銃だろうがライフルだろうが、十分に射撃訓練をしておかないと体に押し付けて引き金を引かない限り当たらない。
 そして実際に凶悪犯罪にあったとき、銃を使えるほど冷静な精神状態を保てるだろうか。むしろ、乱射するか震えて落として犯罪者たちに武器を渡すだけになってしまうか、それとも銃を取り出したことで射殺されてしまうという、火に油を注ぐような結果にもなりかねない。

 自己防衛をとくならば、銃を持たせるのは得策ではないと俺は思う。徒手空拳での武術などを普及させたりすることを提案するが、それより前に危険なことがあったとき、あわてず冷静に行動できるように平常心を保つ訓練をするのが一番いいのかもしれない。





web拍手レス(イヤホンをなくしてしまいました。夜中に遠慮なく音楽が聴けない……)

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