言の葉孝

2006年09月26日(火) その俺が、言葉を失ってしまったら

 教科書が高い。
 今日の分だけで8080円。応用言語学1教科だけで2冊6000円強は詐欺だと思う。しかもまだ2教科分残っていて、確実に総額で一万円は超える計算だ。というか、興味本位で選んだ教科なのに、1教科残して全て教科書アリとはどういう悪戯だ。

【応用言語学で失語症について学ぶ】

 それはさておき、今日は1〜4限目ぎっしり詰まった授業だったが、中々実入りの多い授業だった。
 まずは、教科書代でボられた応用言語学であるが、本日の主題は“失語症”である。脳梗塞などによって脳の言語中枢の機能が損なわれた結果、言語をつかうという一点において、大きな支障をきたした言語障害の一種である。

 外見的には丁度、“現地の言葉を知らない外国人”のような感じである。本人はいたってまともであるが、言葉を聞いて理解できない、言葉を使って理解させることができないために、周りからは認知症や知的障害を疑われる。
 だが、コミュニケーションや言葉を使わない作業は普通に使えるので、その点で認知症などの障害とは異なっている。

 ビデオを見せてもらったのだが、この内容が衝撃的だった。
 例の一つとしては“コップ”“灰皿”“エンピツ”など、単体の言葉を言ってそれを失語症患者の老人にどれか答えさせることはできるものの、「“エンピツ”を“灰皿”に載せてください」という言葉に、老人は“エンピツ”のつもりで“コップ”を持ち上げ、そのあとはどうすれば分からなくなってしまったのである。
 また、「コレは何ですか?」と“リボン”の絵を見せると、老人は「結び合わせ」と答えた。そのあと、これは“リボン”だと教えてやると、老人は「そうか、これは“ボタン”……“ボタン”でした」と、全く違う言葉と解してしまった。
 そして、その老人は、言葉は流暢に話せるのだが、時々語彙が変になったり、発音が全く違っていたりすることがある。これを感覚性失語症(Broka失語症)というそうだ。

 感覚性失語症のほかにビデオで紹介されていたのは運動性失語症(Wernicke失語症)だ。ほとんどの発音に問題があり、なかなか単語も思い浮かばないので、非常にたどたどしい話し方になる。
 この症状も別の患者で紹介されていたが、これが中々興味深かった。先ほどの老人とは違い、彼にはモノの名前を書いた紙を見せて、それが何か指し示させるということを行わせていたのだが、不思議なことに“鋏”“計算機”“竹”などの漢字は理解できたものの、“はさみ”“けいさんき”“たけ”と、ひらがなで書かれた途端に理解できなくなったのである。
 要するに、表意文字である漢字は絵のようにイメージで理解するが、表音文字であるひらがなは先ず文字を発音として脳にインプットされ、それを意味に変換するという作業が頭の中で必要であり、漢字を理解するのとは別ルートになるので理解できなくなる、ということらしい。
 表意文字と表音文字を同時に使う文化を持っているのは日本だけなので、世界の失語症研究者からは、この現象は興味深いものとして注目されているのだという。

 俺がこのビデオをみて衝撃的だったのは、ここまでピンポイントに人は機能を失うことがあるという事実、そして自分が“こう”なったら、と考えてしまったからだ。

 俺にとって言葉は全てだ。
 本を読む。小説を書く。
 俺という人格はいつのころからか、言葉を追うことで形成されてきた。

 言葉を取り込むことで喜んで、言葉で表現することで自分を外に出す。
 その俺が、言葉を失ってしまったら―――

 今の俺には、その仮定からは目をそらすことしかできない。





web拍手レス(教科書を買ってしまった後で、アマゾンとかで中古価格の教科書を探せばよかったと気付いてしまったのだがどうしよう。返品はもう利かないし)

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