2005年06月02日(木) |
今度はニュートンを語る日 |
最近データではなく、実質的にパソコンを壊して回るウイルスも回っているのですが、風邪のウイルスも出回っているようですね。その両方に縁があった一龍さん何か一言お願いします。いや、僕もゴールデンウィークにやられてるんですけど。
ところでこれってつまり「最近の小泉わがままだよな、どうしよっか?」ってことだよね! もうちょっとマシな議題なかったんか歴代首相。
まあ、中国側もたかだか神社の参拝に文句つけんなよと言いたいところですが、明らかにコレが原因で日中関係が悪化して、交渉の足を引っ張っているとわかっているのに、意地でも言ったことは全部やるつもりでしょうか。
「やると言ったことはやる」と言った姿勢は大変立派です。大抵の日本人は見習わなければなりません。しかし一旦始めてしまったとはいえ、明らかに悪い結果を呼ぶことまで続けなくてもいいじゃないですか。慰霊をしたいのなら、自宅で靖国神社の方向に向かってこっそり祈れば良いのですよ。
……と言ったらきっと小泉首相はこう答えるんでしょうねぇ。
「適切に、判断をします」
獣看護士をしている妹が、子猫を持って返ってきました。 何でもある日、勤めている病院の前に捨てられており、今はその里親募集中なのだそうです。これって、生まれてきたけど育てられない子供を慈善施設の前に捨てるのと同じ心境なんだろうなぁ。
珍客到来に、騒ぐ一家。あんまり、構っているもんでちょっとアイドルの座を奪われやしないかと不安げなエリーたん。 僕はそれでも一番子猫を気にしてしょっちゅう箱の中を覗いている君に萌え萌えです。
では昨日の続きを。
(2)ニュートン 単なる法則の発見にとどまらず、これまでの科学の自然観に大きな変化をもたらした科学者、ガリレオ・ガリレイが不遇の内にこの世を去る僅か四日前の1643年1月4日、イギリスのウィールスソープで、あるもう一人の天才科学者がこの世に生まれました。それがアイザック・ニュートンです。
主な発見で特に有名なのが、『万有引力の法則』です。リンゴが木から落ちるのを見たニュートンは、これが重力の仕業であることから、重力がどれほど上にまで影響を表しているのか、ということを考え、やがて「星の一つ一つが引力を持っており、それが作用することによって宇宙の運動が起こされている」というこの法則を見つけだしたのです。
また、発表するのがライプニッツより遅く、考案した記号がライプニッツのものの方が使い勝手が良かったため、発見者の名前としては残らなかったのですが『微積分法』を作り出しました。当時、真円に接線を描く方法は既に考案されていたのですが、楕円に接線を描くにはどうしたらいいか、それを考えて生み出されたのが『微積分法』なのです。
さらにニュートンは、ロジャー・ベーコンの説からプリズムを通した光が幾つかの色の光に別れることについて、「白色光はこれらの色の光が混ざりあって出来たものである」として『光のスペクトル』を発見します。
これらに加え、『万有引力の法則』より前に考案された、『二項定理』と合わせ四つの大きな発見を1665年から1666年にかけたたった一年半でやってのけたのです。 これは今からちょうど100年前、『特殊相対性理論』『光量子仮説』『ブラウン運動の理論』などの発見に関連してくる重大な発表が立続けに行われた年として人々を驚愕させることになる1905年、アルベルト・アインシュタインの「奇跡の年」と良く似ていますね。
その他にもニュートンは次々と大発見を重ねるのですが、彼の発見の中で一番革新的なのが『万有引力の法則』を始めとする天文学の分野の発見でしょう。 それまで宇宙はデカルトが唱えた、惑星の運動や重力の原因を、空間に充満しているエーテルの圧力差や渦動によるものとする「渦動仮説」のように、地球上とは違った法則によって動く、神秘的な世界とされていたのですが、ニュートンの発見はこれを覆し「宇宙も結局は地球上と同じ法則で動いている」としたのです。 そして、ガリレオさえも破れなかった、惑星の軌道は円ではなく楕円形であるという数学的証明もやってのけます。 また、この面白い逸話がありまして、当時すでに地球は完全な球形ではないとは知られていましたが、横に長いのか、縦に長いのかという論争がありました。そこである人が北極に人を送り、計測をさせることで、ニュートンの説が正しいことを証明したのですが、それをうけてある人は「ニュートンはニュートンが部屋の中でも分かったことを、我々は北極に出かけなければ発見できない」と言ったそうです。
そんなニュートンが自分の集大成として書いたのが『プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)』。 序論で運動の三法則『慣性の法則』『作用・反作用の法則』『力は質量と加速度の積に比例』を挙げ、一般的な運動に始まり、気体・液体中の運動、さおらに「世界体系」として惑星の運動について言及しました。ここで提示されたのが『万有引力の法則』です。
ところが、ニュートンの死後、彼の研究ノートは彼の家族によってサザビーで競売に掛けられ、バラバラに売り飛ばされてしまいました。それをできる限り収集し、ケンブリッジ大学に寄贈したのが、経済の世界ではニュートン並みに高名な経済学者・ケインズです。 ケインズは、「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく。最後の魔術師だった」「彼は、全宇宙と、そこに存在するすべてのものを謎とみなしていた」「彼は宇宙を、全能の神が作った暗号文だと心得ていた」と述べています。 実際、ウィキペディアにも「イギリスの錬金術師」と記載されているように、ニュートンは錬金術の実験と文献調査に最大の時間を裂いていました。事実、ニュートンの髪からは多量の水銀が見つかり、これが錬金術の実験からのものだと言われています。
ニュートンはガリレオと同じく敬虔なキリスト教徒でありました。イエス・キリストの神性を否定するユニテリアンであり、彼の所属するイギリス国教会とは相反する思想でしたが、彼の信仰は真摯なものでした。 彼は『プリンキピア』の中で、万有引力などの法則が正しく敏速に処理されているのは神の存在があるからだ、と書いています。 つまり、ケインズの言葉の真意は、ニュートンはギリシアの合理主義を持つ偉大な科学者であるが、神を深く信仰してその科学の奥底にその存在を疑わず、また錬金術師としてヘルメス思想(非合理的な魔術思想、オカルト主義、神秘主義の意)をも持っており、決して現代人のように神秘的なものを疑う理性は持っていなかったということです。
しかし、ニュートンの死後に訪れたのは「理性の時代」です。フランスで起った啓蒙思想によって、この時代から社会や文化が宗教支配から離れていく世俗化の波により、科学の世界も世俗化が行われました。つまり、ニュートンの研究成果から魔術的、宗教的要素が全て拭い去られ、「フランスのニュートン」と呼ばれた数学者・ラプラスによって純然たる数学的体系としての物理学が成立したのです。
|
|