言の葉孝

1902年01月25日(土) ファルとリク 4『去ルおシゴト』前編

まほゆめ外伝短編集・ファルとリク

 4『去ルおシゴト』前編

 アソーティリの風は湿気で方向が分かる。北からの風は、砂漠からの風ということで乾いており、南からの風はその反対で肥沃な大地が発した水分が含まれて湿っているのだ。初春は北風が多く、それゆえによく晴れた日が続いていた。

「…にーい! …さーん! …しーい!」

 こんな日は誰でも外に出たくなるのか、アソーティリ南区にある公園はたくさん人がおり、ベンチに寄り添って座る恋人同士もいれば、敷物を広げて弁当を食べている家族もいた。そして、腕立て伏せをする子どもと、それをはたで見ている大人もいるのだった。

「ここにいたのか、ファルガール」

 そこに来たのは、アソーティリでリク達が投宿している宿兼酒場、ついでに裏で便利屋まで営んでいるウォンである。

「よう、ウォン。どうした?」
「どうしたもこうしたもない。今朝、仕事の依頼人が来るから赤の刻(午後三時)までに帰って来いって言ったろ」
「ああ、そういやそんなこと言ってたな。よし、帰るか。リク、キリのいいとこまでやっちまえ」

 ウォンは、足元で腕立て伏せを続けていたリクを見た。

「リクの訓練をやっていたのか。どんなもんだ?」
「どんなもこんなも、こんなもんさ」

 待たせてはいけないと思ったのか、リクの腕立て伏せが加速する。

「なーな! はーち! きゅー! にひゃくごじゅー!」
「二百五十……? 腕立て伏せをか?」
「その前に腹筋と背筋を百ずつやってるぞ」

 リクの体力は半端ではなかった。本人が言うところによると、村のガキ大将を倒すために“トックン”を続けていたらしい。その気になれば一刻つづけて走っていられる。

「そのガキが今度は大災厄を倒すんだって特訓してるんだぜ。本当にやってくれるかもしれねェな」
「しかし体力ばかりついても仕方がないだろう。魔法を覚えんことには」

 一個人として強さを突き詰めようとすれば、人はまず体力の限界に突き当たり、それを超えるにはどうしても魔法が必要になる。魔法を使えば、一人で百人を相手にすることすらできるし、逆に魔法が使えなければたった一匹のクリーチャーにかなわないこともあるからだ。それほど魔導士とそうでない人間には開きがあるのである。

「それがな、あまりにも魔力が足らなさ過ぎて、どう指導していいか分からねェんだ」

 アソーティリに来てから、一度リクの魔力値を測ってみたが、確かに若干の魔力はあるものの、魔法の一つも使える程とはいえない。魔力は一般的にもった資質に依存するものであり、魔力を鍛える方法は一般的には知られていないのだった。
 ファルガールが、リクに訓練をさせている間に読んでいたのも、魔力に関する研究を発表している論文だった。

「……ということは今やっていることは?」
「ただの暇つぶし」

 言い切った。

「まあ、何もやらねェよりマシだろう? で、仕事ってのは?」
「物品の運搬だ。正確にはその護衛だが」

 近年は街道などが整備され、高価だが魔導車などが使われることもあり、大分安全になった運搬業であるがそれでも、途中で盗賊やクリーチャーに出くわさない可能性はゼロではない。魔導列車で運ぶのではない限り、街から街へ物を運ぶのに護衛をつけるのは当たり前だった。
 需要もあるので、専門の商会はあるが、たまに便利屋協同組合に依頼がくることもある。

「……へえ、思ったより楽そうな仕事だな。報酬は?」
「とりあえず、お前のツケをもらっても釣りは出る」
「そりゃ豪気なこった。金十枚分はたまってたろ?」

 高額のツケに対して全く呑気な反応を示すファルガールを、ジロリとウォンが睨みつけた。

「今回の報酬は金三十枚だが、利子も入れて十五枚はもらうからな」
「そんなに出すのかよ? 国宝でも運ぶ気か」
「さあな。それは会って聞けばいい」


   *****************************


「お待たせしました」

 ウォンが客を通したのは彼の運営する宿兼酒場『自由の勝利亭』の個室だった。その部屋は便利屋としてウォンが活動する時の応接間として使われており、一般の客には知られていない。

 そこに座って豆茶を飲んでいた男を見て、ファルガールは思わずぎょっとする。悪趣味を絵にかいたような貴族主義的な服装に、太ってはいないが、いかにも苦労を知らないたるんだ風情。

「ガイコクの人?」

 これはリクのコメントである。見慣れない服をそのまま異文化と結論付けたらしい。

「遅い! ワタクシはちゃんと赤の刻にやってきたのだぞ! 客のワタクシを待たせるとは何事か!」
「申し訳」
「しかし、大して待ってないしな! 美味しい豆茶もいただけたことだし、こちらは物を頼む立場だし、良しとするか!」

 ウォンが謝る前に、勝手に結論付けて納得したものである。

「……何者だ。このボンボン」

 つい、本音が出てしまったファルガールの言葉を、貴族風の男はしっかりと聞きとどめる。

「キミ! 今ワタクシのことをボンボンと言ったかね?」
「いや、申し訳ない。つい口が滑っ」
「そのとおり!」

 謝ろうとした矢先にまたもや口を挟まれた。

「ワタクシはジュリアーノ=リヒテブルグ。このアソーティリの市長の……“七光りのバカ息子”だ! ワタクシという人間の魅力は、“アソーティリ市長の息子”という立場が九割以上を占めているッ!」
「……あんまり自分を貶(おとし)めるのはやめようぜ」

 会ってそう経たないのにうんざりした様子でファルガールがつぶやく。

「さて、自己紹介が済んだところで、仕事の話に入りたいのだが」
「俺達はいいのかよ?」
「ああ、必要ない。ウォンは旧知の仲だし、キミはファルガール=カーンということもワタクシは知っているのだよ」
「ぼくは?」

 ただ一人名前が出てこなかったリクが言う。

「キミも一緒に行くのかな?」
「しらない。行くの?」

 改めてファルガールに聞くと、何をいまさら、とでも言いたげに頷いた。

「ああ、お前も一緒に働くんだよ。一応体力はあるしな使いどころもあるかも知れねェ。いいか、リク。“働かざる者は食うべからず”ってんだ」
「はたらかザルものは食うべからザル?」

 微妙に言えていない。理解をしていないと踏んだファルガールが追加説明を行う。

「つまり働かねェ奴は食う資格がねェってことさ」
「なんでだろうな。言っていることはまともなのにものすごく説得力がない」

 ウォンが漏らした声はもちろん、これっぽっちもファルガールの耳に届いた様子はなかった。

「行くというならば、私はキミの依頼人だ。自己紹介をお願いしようかな」
「うん!」

 元気よく返事をすると、リクは手刀を前に突き出して腰をかがめる。

「おひけえなすって! さっそくのおひけえ、ありがとうござんす! てめえ、名まえはリク、せいはエールともうします、生まれはエンペルリース。エンペルリースといってもいささかひろーござんす。エンペルリースはティオかいどう、ミナミのはずれのなんにもねえ小さな村でウブユにつかって十年がたちやした。
 わけあっていまはたびにでており、天下にその名のトドロくファルガール=カーンししょうのデシをやっております。よろしくおみしりおきのほどをおねがいいたしやす!」

「……おい、お前まだアレが間違った挨拶だって教えてなかったのか?」
「一般常識はお前が教えるって言ってたから俺は放っておいたんだが」

「はっはっは。中々よい挨拶だな、リク=エール殿! よろしくお願いするぞ」

 驚いたことにジュリアーノはまったく動じない。そしてリクが子供だということも全く気にしていないようだった。


   *****************************


 翌朝、ファルガールとリクは決められた時間にアソーティリの南口に集合していた。今回の届け先は南にある『アフト・エモン』という街だった。
 経済的・政治的には大した街ではないが、周りを深い森に囲まれた場所で、多種多様な動植物がいることから、生物学者を多く輩出している、というちょっとした特色を持つ街である。馬車で片道半日くらいのところにあるので、おそらく今日中に帰ってこれるはずだ。

「おまけに移動手段が魔導車ときたもんだ」

 そう、今日の移動手段は何と魔導車だった。運搬屋が複数の客の荷物をまとめて届けるならば、魔導車での運搬は一般的だが、個人の荷物で魔導車を使うなど贅沢もいいところだった。

「あのボンボン、本当に何を運ばせる気なんだ?」
「え? サルって言ってなかった?」

 昨日、自称七光りのバカ息子から話を聞いたところによると、荷物の正体は“猿”らしい。なんでも珍しい猿だとかで安全にアフト・エモンに運び、しかるべき保護をお願いするのだという。そのための手紙も、ファルガールはジュリアーノから預かってきていた。
 座席に後ろにある荷台には、一つの木箱が固定されていた。他に荷物はないので、振動で動いたりしないように綱でがっちりと固定されている。

「なんで動物運ぶのに木箱なんだよ。普通入れるなら檻だろうが」

 これは南門で初めて見たとき、見送りにきたジュリアーノにも投げかけた質問だった。
 だがジュリアーノは「これでいいんだ」と言った。

「この猿は人目につかせるわけにはいかん。とてもよくないことが起こる」

 だが、それ以上詳しくは話してもらえなかった。
 ただ、「人に見せるな」、それだけの一点張りだ。

「あのボンボン、あんなこと言われたらますます見たくなるじゃねぇか」
「ふっふ、やめときましょう、ファルガールさん。僕は、面倒は御免です」

 この魔導車を運転している運び屋のクルージが言った。堅実な性格らしく、運転も下手ではないものの、安全運転の域を全く出ない、極めて健全な仕事ぶりである。おかげで振動も少なくて済んでいるのだが。

「そうだよ、ダメだよ。見ないのもおシゴトなんだから」

 そう言ったリクは荷台に座って、じっと木箱を見つめている。初めての“おシゴト”とあって、気合いが入っているのか、一時たりとも箱から目を離さないつもりらしい。

「中身さえ見なければいい。箱でよければいくらでも凝視するがよかろう!」と、ジュリアーノは言っていた。
 ちなみに中身の猿はというと、非常におとなしくしている。時折、中で何かが動く気配はするので、少なくとも中身は生き物ということは分かる。

「ちっ、つまらねぇな。いっそ盗賊でも出てきてくれりゃ、ちょっとは面白くなるんだけどな」
「ふっふっふ、縁起の悪いこと言わないで下さいよ、ホントに出てきたらどうするんですか。……っておやおや言ってるそばから……」

 クルージが目の前に見つけたのは街道に横たわる木だった。複数本、街道をふさぐように置かれており、どう見ても自然のなしたものには見えない。

「ほらぁ、言わないこっちゃないじゃないですか。あぁ、僕には愛するステファニーがアソーティリで待っているというのに」
「家族か?」
「ヘビガラエリマキトカゲ(♂)です。可愛いですよぅ?」
「名前変えてやれよ。愛してるなら」


後編に続く

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