1902年01月24日(金) |
ファルとリク 3『いっぱんじょうしき』 |
まほゆめ外伝短編集・ファルとリク
3『いっぱんじょうしき』
エールを出て一ヶ月。そろそろ師弟関係が板についてきたファルガールとリクは、いくつかの町を経由してファルガールが目指していた、カンファータの南西部にある町に辿り着こうとしていた。
「あれがアソーティリ?」
そう尋ねるリクの息は上がっている。それもそのはずで、その小さな背には胴体よりも一回り大きいくらいに膨らんだ背嚢が背負われており、おまけに何も背負っていないファルガールがまったくスピードを緩めずに歩いていくので、ほとんど小走りで付いていっているのだ。 だが、その理不尽な状況に、リクはまったく疑問を持つこともなくついてきていた。 無論、それは師匠であるファルガールの教育(後にリクはこれを「調教」と呼ぶことになるが)の賜物である。
「ああ。ちょっと馴染みのある町でな。ずっとあそこに住むわけじゃねぇが、とりあえず拠点にしようと思う」
アソーティリは、最新の技術を担うエンペルファータや、三大国協商の持続を担うフォートアリントン、あるいは各国主都とは違い、独特な価値を持っている町ではなかった。 しかし、砂漠を占める部分が多いカンファータ北部とは違い、肥沃な大地の広がるエンペルファータ南部の中では中心的な役割を担う、豊かな町の一つだ。 そして大きな特徴として、ある者達が集まる場所でもある。
カランカランと、ドアにすえつけていた鐘が鳴り、新しくお客が来たことを告げる。その音に反応した酒場の店主が、反射的にその来客の姿を確認して、―――固まった。
「よう、ウォン。久しぶりだな」 「リオ、塩まけ、塩。最高級のをありったけな」
カウンターの外で客に料理を届けていた、若い店員に命ずると、自らも塩つぼを抱えて何の迷いもなくファルガールに向かって投げつける。 ファルガールはそれを魔法を使って空中で受け止めると、その塩を全て塩つぼまで押し戻した。
「おいおい、えらい歓迎のしかただな。そんなに俺が帰ってきたのがうれしいのかよ」 「やかましい! ウチじゃ、疫病神とツケを踏み倒す外道の来店はお断りしてんだよッ! ……って、一人じゃ、ないのか?」
巨漢のファルガールの影に隠れて見えていなかったらしい。ウォンはファルガールの連れの姿をやっと見つけて、尋ねた。
「ああ、リク、挨拶しな」 「おひけえなすって!」
手刀を突き出して元気よく切り出したリクの声に酒場が凍りついた。
「てめえ、名まえはリク、せいはエールともうします、生まれはエンペルリース。エンペルリースといってもいささかひろーござんす。エンペルリースはティオかいどう、ミナミのはずれのなんにもねえ小さな村でウブユにつかって十年がたちやした。 わけあっていまはたびにでており、天下にその名のトドロくファルガール=カーンししょうのデシをやっております。よろしくおみしりおきのほどをおねがいいたしやす」
口上が終わると、なぜか静まり返った酒場の様子をきょろきょろと見渡すと、リクは不安げにファルガールに視線を向けて言った。
「……ぼく、ちゃんと言えてたよね?」
だが、ファルガールは、何がおもしろいのか今にも大笑いしそうな顔をして肩を震わせている。
「坊主……リクって言ったな」 「うん、はじめまして」
ウォンに問われて、リクは改めて挨拶をする。
「俺はウォンだ。この酒場の店主をやっている。……ところで、今のは何だ?」 「ファルにおそわったんだよ。おせわになるヒトには礼をつくさなきゃいけないから、アイサツもきちんとしなきゃダメだって。ちゃんとしたアイサツってムズカシイよね。ここにくるまで三十回くらいれんしゅうしたんだよ」
全く疑いをもっていない、あどけない笑顔でリクは答える。
「……この件については後でじっくり話し合うとしよう。ところでファルガール、この子がお前が探してた弟子か?」 「まあな、その辺は、飯でも食いながら話すさ」
ファルガールが、最後にアソーティリに寄ったのは半年のことだ。弟子探しをするために魔導学校を出てから三年間、世界中を回っていたのだが、情報収集と路銀稼ぎのため、半年に一度はアソーティリに戻ってきていた。 そういうこともあって、ウォンはファルガールにとって気のおける者であるためか、ファルガールはウォンに何一つ包み隠さず、報告した。
「ふむ。あの辺が大災厄に見舞われたことは知っちゃいたが、まさかその渦中にいて生き残るとは。よくよく悪運の強いやつだな。で、これからどうするんだ?」 「これからまあ、そうだな……十年はじっくりコイツを育てるのにかかるだろう。で、短い旅に出かけることも多いと思うが、基本的にこの街に腰を落ち着けようと思ってる。で、ウォンには、仕事の斡旋とかを頼みてェんだ」 ウォンは裏では便利屋をやっており、ファルガールがアソーティリに戻ってきては情報を提供したり、仕事を斡旋したりしてくれている。 アソーティリは、技能を持ちながら組織に属さない者達が集う街だ。一般的にまともに魔法の使える魔導士は職に困ることがない。しかし、縛られることを嫌うものはどうしてもいると見えて、そして魔導士にはなぜかその傾向が強かった。 そうした者達は、アソーティリにある仕事の斡旋所に出かけて行き、仕事の依頼を受けて、報酬を得るという比較的自由度の高い働き方で生活をしているのである。
「ああ、それは構わない。丁度お前にやってもらいたかった仕事が……」 「あっ、ファル、みてみて!」
隣で食事をしていたリクの声が話に割り込んできた。リクはキラキラと目を輝かせながら、フォークにからめとった海藻を見せて言った。
「すごいよ! キャビアが入ってるよ! それにこのさかな! マボロシのシマイシダイかな!?」
またもや、酒場の空気が凍りついた。
「おい、ファルガール。なんでただの海ぶどうがキャビアになってんだ」 「シマイシダイって……これ、普通のアジですよ?」
ついにリオまで突っ込みを入れる。
「ついでに聞くがシマイシダイって何だ?」
質の良いと評判の料理も提供する酒場の店主のウォンだったが、シマイシダイなる魚の名前は聞いたことがない。
「クジラのおなかの中に住んでるんだって。しかもシマイシダイの住むクジラはえらばれたクジラなんだよ! トクセンソザイなんだってさ」
えっへんと胸を張って説明をするリク。店主と店員の責めるような目がファルガールに突き刺さった。
「いやぁ、コイツ内陸部で育ってて、海の幸には縁がなかったらしくてな。あまりにも珍しがって聞くから、ついつい適当に答えちまった」 「適当にしては、想像力が豊かすぎる気がするが……ところで、お前今日の食事代は持ってるんだろうな?」 「ツケといてくれ。紹介してもらった仕事の報酬で払うから」
あっさりと返されたウォンは、ついに客であるファルガールの胸ぐらをつかむ。
「俺の口癖は憶えているか?」 「男の口癖なんざ憶えてたまるか」 「お客様は神様だ。だが払う気がない奴は客じゃない。とりあえず次の仕事はタダ働きだからな」
そこまで言って、胸ぐらをはなす。そんな、二人の殺伐としたやり取りに、驚いたのか、リクがおずおずと申し出る。
「あのさ、ぼく、うたおうか?」 「歌う?」
いったいなんの提案かと、ウォンが聞き返した。
「うん。ぼく、けっこううた、ジョーズなんだよ。これまでおカネが足りなかったときに、道ばたとかおみせとかでうたってたんだ」 「子供に働かせてたのか、この外道」と、ウォンはファルガールをにらんでから、「じゃ、お言葉に甘えて歌ってもらうかな。伴奏はいるか? 一応ピアノはあるが」 「ううん、いらない。ちょっときがえてくるからまっててね」 「ちょっーーーーと待ったぁ!!」
数少ない荷物の中から、着替えの包みを取り出そうとしたリクを、ファルガールが力一杯止めた。
「今日は着替えなくていいんだ」 「え? でもきがえないとおカネにならないってこのあいだ」 「ちょっと待て」
師弟の怪しいやり取りに、ついにウォンが口をはさんだ。
「リク。その包みの中を見せてみろ」 「うん、いいよ」 「あ、コラ、駄目だ見せるな!」
ファルガールが抑えるより先に、ウォンがリクからその包みを取り上げる。その中から出てきた服を広げてみて―――絶句した。
黒を色調とし、ボリュームのあるフレア“スカート”に白く細かい刺繍のついたフリルがふんだんに縫い付けられている。ウォンの乏しい洋服の知識によれば、いわゆるゴシックロリータというジャンルの服ではなかっただろうか。
「うわぁ、かわいいですねぇ」
リオは感心していたが、間違っても十歳男子の着るものじゃない。
「ファルガール。俺は数々のお前の行動に呆れていたがな………、まさか、まさか、お前が年端もいかない子供に女装をさせて喜ぶ変態だとは思わなかったぞッ!?」 「待て、誤解だ!」 「ファル、ヘンタイってなに?」
珍しく慌てふためく、ファルガールの釈明が始まったが、最後まで誤解が完全に解けることはなく、ファルガールは二度とリクに女装をさせようとはしなかった。
そして、リクはこの後、正しい一般常識をウォンから教わることになる。
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