言の葉孝

1902年01月13日(月) 呪縛の蝋・11

呪縛の蝋


11



「あら、俊彦さん。何かお探しですか?」

 ずっと離れの書斎に篭りっぱなしだった赤羽が母屋の居間に来ているのを見つけた雛子の母・三沢利奈(みさわ・りな)が声をかけた。

「ああ、少し小腹がすいたので、何かつまむものでもないか……と、思ったら随分いいものを食べているじゃないか、三沢君」

 赤羽が目を向けたのは居間で茶を飲んでいた雛子の父・芳雄(よしお)が食べている饅頭である。

「茶に付き合うなら食わせてやるぞ」
「それでは相伴に預かるとしよう」

 芳雄は赤羽の同級で、この小さな村ゆえ、当然のように親友同士の間柄だった。

「しかし、俊彦さんはまったく外出なさらないんですね。せっかく村に帰ってきたのだから、もっと外に出てもいいじゃありませんか」
「バカ、故郷だからこそだろう? いまさら見て回ってもしかたないし、こいつ目が悪いくせに昔から本の虫で友達もロクにいなかったからな」

 利奈の言葉に、芳雄が赤羽に饅頭を勧めながら返す。

「それにしたって散歩くらいしなきゃ体に悪いでしょう? せっかく自然があって散歩するにはいいところなのに。青山君だって今日も朝早くから出かけてるんですよ」
「……雛子も一緒か?」

 やや動揺した様子で芳雄が聞き返すと、利奈はくすりと笑ってうなずいた。

「ええ、一緒ですよ? 昨日もずっと一緒に行動してたみたいだし、雛子にしては珍しくあの男の子を気に入ったみたいね」
「つ、ついに雛子が婿に行ってしまうのか……」

 どことなく落胆の様子を見せる芳雄である。しかしながら、何故、この村の人々は付き合う、付き合わないを通り越して結婚まで話を飛躍させてしまうのだろうか。

「結婚どころかまだ付き合ってもいないというのに……。ところで、俊彦さん、あの青山君という子はどういう子なんです?」
「そうだ。いくら、当人同士が好き合っていても、いい加減な男には嫁がせられん」

 芳雄はやはり話を飛躍させたまま、赤羽に答えを促す。赤羽はふ、と口元に笑みを浮かべて答えた。

「……優秀な生徒だと私は思っているよ。登山部で、並みの若者より体力もあるし、頭もいい」

 第一、第二印象はいつも笑っていて、人によっては軽薄と取られるかもしれないが、ああいうゆっくりとした口調の裏では彼の頭はとんでもない速さで回っていて、外見とは想像がつかないくらいに深いことを考えている。
 赤羽が気に入っているのはそこだった。あの和やかな雰囲気と、彼の思考能力のギャップ。能ある鷹は爪隠すというが、青山千鶴という男はそれを地で行っている。

「雛子君が最初あれだけ毛嫌いしていたのに、結局今日も一緒に行動しているのも、ああやって一緒に歩き回っているうちに、彼のそういった一面をみて見直したからだと思うがね。恋愛関係としてはあまり経験があるようには見えないが、誠実であることは確かだよ」

 その答えを聞いて芳雄が複雑な顔をする。娘の相手として千鶴の人格の保障が得られて安心する反面、娘がボーイフレンドを作るということに口を挟めなくなって残念にも思う心があるのだろう。

「まあ、雛子も十八じゃないですか。それに高校を卒業したら俊彦さんの大学に入って勉強したいって言っていますし」

 群馬の奥である白灯からでは赤羽や千鶴の大学にはとても通えない。であるからして、そのうち彼氏云々どころの話ではなくなるのだ。

「十八歳……か」
「ますます義姉さんに似てきた気がするんだよなぁ」

 赤羽は雛子の年齢を感慨深く口にした心を読みとったように、芳雄が呟く。
 利奈の姉であり、赤羽の恋人である高野日奈が失踪したのが二十二歳、まだ四歳の開きがあるがそれでも、時々見紛えるほどに、雛子と当時の彼女の容姿が似通ってきている。あと四年もすればほとんど瓜二つになるに違いない。
 無論、生き方が違うため、雰囲気的な意味では大分違うのだが、それでも雛子を見ていると赤羽の胸は守れなかった恋人のことを否が応にも思い出させられ、胸が締め付けられる心地がする。

「……俊彦さんも、姉さんのことにこだわらずに結婚なさればよかったのに」
「そうしようとも思ったのだが……駄目だった」

 あれから三十年。早ければもう孫を持ってもおかしくない年になったものだが、あれ以来恋人と呼べる人間は現れなかった。彼女の失踪が自分を不幸にしては彼女が悲しがるだろうと、幸せを求め、ちょうど言い寄ってきた女性と付き合ったこともあるが、それでも日奈と比べてしまい、うまく行かなかった。
 真の愛とは得がたいもの。彼女を失ってからの三十年で身にしみたのがそのことだった。

「真の愛、ですか」
「見合い結婚のウチには縁遠い話だな」と、芳雄が笑う。
「いやいや、過程は重要ではないよ。見合い結婚でも真の愛は生まれると私は思うよ。要するにうまく行けばいい。私には君たち夫婦の間には真の愛が見える」

 赤羽の言葉に、三沢夫婦が顔を見合わせる。息の合ったその反応に小さく笑う。そして、再びその瞳に憂いを帯びさせ、縁側から見える夏の青空を見上げた。

「……まあ真の愛が得られても、守りきれなければ悲しいだけだがね」



「ねえ俊彦さん、雛子たちは三十年前の事件を調べているんでしょう?」

 しばしの沈黙を破って尋ねたのは利奈だ。
 だが、赤羽は答えなかった。

「あの子達は真相を見つけられるのかしら?」
「……青山君なら、あるいは見つけられるかもしれないね」

 とても見つけられないと思ったなら、千鶴が首を突っ込むのを止めたりしなかった。もしかしたら、と思うからこそ一度止めたのだ。

「私は、見つけられなければいいと思います」

 思いの外はっきりとした意見に、赤羽に利奈に振り返り、芳雄もうつむけていた顔を上げる。視線を受けて、利奈は困ったような苦笑を見せて言った。

「だって今さら姉さんが帰ってきても、どう迎えたらいいのかもわからないし、死んでしまっているにしてもそれがわかってしまえば、みんな姉さんを忘れてしまうでしょう?」

 死者は忘れ去られる。例え、憶えていようと努力をしても、ただの死者は数世代もすれば完全にその存在をこの世に残せなくなる。
 蝋人形魔術の犠牲者として、あの蝋人形館の地下アトリエにいる限り、人々は彼女のことを忘れない。その姿もそこにあるままだ。正直、蝋人形魔術などは疑い混じりだ。利奈は高野日奈がそこに在るために毎年の“蝋人還し”に参加している。
 だが、動かない蝋人形のためにそこまで心を砕くべきだろうか。他にも目を向けるべき対象があるのでははないだろうか。そう、赤羽は思っている。だが、その“希望”を奪うことが果たしてよい方向に転がるのか否か、それはわからない。
 だから、その判断を本来部外者である千鶴が、この事件を解くか否かに任せたのである。彼が真実にたどり着けば、希望が失われたとしても何かの天命ということだろう。

 そこに乱暴にインターホンが鳴らされた。利奈が応答するのを待つのももどかしかったのか、その客は庭に転がり込むように現れた。

「あら、本間さんじゃない、どうかしました?」

 本間と呼ばれた中年の男は息を整えると、未だ冷めない興奮を一分も隠さずに行った。

「あ、アンタのとこの客だろ、あの余所者の若造! アイツと雛子がえれえモン見つけたぞ!? 村中大騒ぎだ!」

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