言の葉孝

1902年01月14日(火) 呪縛の蝋・12

呪縛の蝋


12


 時は少しさかのぼる。昨日、事件の真相に対して、一応の結論を出した千鶴は雛子と共に早朝から村の北側にある崖の土砂を掘り起こしていた。自分の推論を裏付けるためである。
 もともと土砂崩れで覆われた土なので、柔らかく、思ったよりも容易に掘り進められている。ただ、柔らかいがゆえに土が崩れてくることも考えられるので、あくまでも慎重に掘り進めることになった。

 セミの合唱も最高潮を迎える正午になると、二人は日陰に入って昼食をとることにした。今日は雛子が弁当を用意しているのだ。
 千鶴が、期待感をこめた眼差しで見つめる中、雛子は淡々と弁当を広げていく。鳥のから揚げ、玉子焼き、焼きししゃも、豚のしょうが焼き、もやし炒め、煮物、などが色鮮やかに収められており、もうひとつの容器の中にはきれいな三角形をしたおにぎりが並べられている。

「おー、豪勢だねー。作るの大変だったんじゃない?」

 量はともかく種類が多い。煮物など昨日の残り物などではなく新しく作ったものなので相当時間がかかっただろう。

「そりゃ……、人に食べてもらうとなると嫌でも気合が入るわよ」

 頬を若干赤くした雛子が、照れ隠しのつもりか、いささかつっけんどんな調子で答えるのをほほえましく受け取ると、千鶴は「では、いただきまーす」と、手を合わせ、玉子焼きをつまんで食べる。
 玉子焼きも十分に手の込んだだし巻き卵であり、滑らかな舌触りとともに、口の中に出汁の旨味が広がっていき、夏の暑さで減退しがちな食欲を掻き立てる。

「うん、美味しい!」

 千鶴の反応をうかがってちらちらと視線をよこしていた雛子は、すまし顔で、答えて言った。

「と、当然よ。不味いモノを食べさせるわけないじゃない」

 とはいうものの顔は紅潮し、浮かぶ笑みを我慢してか、口元が引きつっている。

「素直に喜べばいいのにー」
「別に喜んでなんかないわよ」

 千鶴が指摘すると、雛子は顔が見られないようにうつむいて、おにぎりを頬張る。

「あのさー、見つかっちゃったら、話す暇も無くなるだろうし、お昼の間に話しておこうと思うんだけどさー」
「……何よ」

 からかわれたことを根にもってか、若干睨むような目つきで、雛子が千鶴に視線を戻す。

「三十年前の事件の真相だよー」

 その一言で、うつむきがちだった雛子の顔が上げられた。昨日からずっと調べていたことだけに、その真実を聞くとなると、興奮を隠せない。

「まず、今掘ってるところから何が出てくるのかだけどー」
「……“屍蝋(しろう)”……で合ってる?」

 意外にも、雛子の口から答えが出たので、千鶴は数瞬動きを止めた。

「へえ、それに気づいたんだー」
「昨日は私も本を読んでいたのよ?」

 雛子が読んでいた本はもともと千鶴が選んでいたものだ。見当のついていた彼の選んだ本なのだから、それを読めばピンとくるものがあってもおかしくない。

「その通り。僕の考えが間違っていなければ、あの崖の下には失踪した六人の“屍蝋”がある」

 屍蝋。ミステリーが好きな人にはわりと知られているものであるが、要するに遺体の状態の一種を表す言葉である。生物の体は生命活動を止めると、微生物などの働きで分解され、腐敗するのであるが、とある条件下に置かれると、遺体は腐敗せずに、体の脂肪分が変化して蝋状になってしまう。
 つまり、本当に“人体が蝋になってしまう”わけだ。人為的に屍蝋を作る方法、それが伊戸部礼二が研究していた“蝋人形魔術”だったのである。

「でも、どうして伊戸部礼二はそんなことをしたの?」

 よほど異常な思想が無い限り、そのような研究はしようとも思わないだろう。

「それに、“屍蝋”を作った伊戸部礼二自身はどこに行ったの?」
「僕が一番話したかったのはそこなんだ」

 いつもの間延びした口調はまったく出さず、千鶴はその“真実”をゆゆっくりと語りだした。



 一時間後、休憩をしっかり取った二人は再び発掘作業に戻っていた。昼下がりの崖は日光がさんさんと降り注ぎ、湿気を帯びた風は生ぬるくて体温を下げる助けにはならない。
 それでも、雛子はそれをまったく意に介さず、黙々とシャベルを振るい続けてきた。
 つい先ほど、千鶴から聞いた話が信じられない。否、疑っていたい。彼の話は理路整然としており、むしろ自分を納得させてしまった。だが、その事実は受け入れがたい。
 本当のことを確かめたい。でも知るのが怖い。

「はい」

 不意に、横から声をかけられた。そこには麦茶の入ったカップを持った千鶴が立っている。

「ちゃんと定期的に水分取らないと倒れるよー」
「あ、ありがと」

 雛子はカップを手に取ると、中に入っている液体を一気に飲み干した。魔法瓶の中でいまだ力を保ち続けている氷に冷やされた麦茶がのどを通り抜け、全身に染み渡る心地がする。

「……やっぱりショックだったー?」

 尋ねられて、雛子はカップに口をつけたままこくりと頷いた。

「じゃ、知らないほうがよかったかなー?」

 続く問いに、雛子は数瞬考えると、首を振る。

「ううん、知らなくても事実は変わらないもの」

 さきほどから、なんとなく土を掘り返していたが、今の会話でやっと気持ちに整理がついた。
 知らなくても、事実自体は変わらない。それよりも知って前へ進める道を模索できたほうがいい。



「あれ? お前らそんなところの土掘り返して何してんだぁ?」

 二人が発掘作業を行っている崖の下から彼らに声をかけたのは昨日会った若い警官だった。警邏中なのか自転車に乗っている。

「あ、昨日のー……」
「おーよ、井上丈巡査だ。敬いたければ敬え」

 なぜか胸を張る井上巡査である。

「お前ら何して……って昨日の今日だから、アレだろ? 例の蝋人形事件の調査」
「ええ、まあー……」

 若干、顔を引きつらせながら、千鶴が答える。それもそのはずで、こういうところを大々的に掘り返すのには、役所の許可がいるのだが、当然千鶴はそんな申請など行っていなかった。
 そんな後ろ暗いところのある状態で、警官に会ってしまったのだから、さすがの千鶴も平常心ではいられないのだ。ここで、手続きを要求されてしまっては、今日中には確実に掘り出せなくなるし、下手をすれば許可が下りず、もう掘り返すことすら出来なくなるかもしれない。
 指摘されたらどういい逃れようと思考をめぐらせていると、井上巡査がにやりと笑っていった。

「で、掘り返してるってことはだ、この下にホトケさんが眠ってるってわけだな?」

 これからどう出るかと伺っているところに、ズバリ核心を突く意見に、思わず千鶴は一歩退(たじろ)ぐが、次に彼の口をついて出たのは意外な言葉だった。

「よし! 今から若いヤツらを連れてきて手伝わせよう!」
「……はいー?」

 何の追求もなく、それどころか思いがけなく出された若い警官の提案に、千鶴は目を丸くする。

「心配すんな。暇をもてあましてる連中の溜まり場知ってんだよ。あいにく携帯なんて洒落たモンはもってねぇけど、行けば確実に引っ張ってこれる。ちょっと待ってろよ」

 止める暇もなく、彼は自転車に飛び乗り、あっという間に目の前から去っていってしまった。

「……いいのかなー?」
「いいんじゃない? 昔からガキ大将みたいなノリで、細かいことは気にせずに大騒ぎにするのが大好きな人だし」
「……よく警官になれたねー」



「野郎共ー! 手ェ抜くんじゃねェぞー!」
「おおーーー!」

 井上が一度去ってから二十分後、発掘現場である崖にはシャベルや手押し車を抱えた男達十数人が井上の掛け声に応えて発掘作業にとりかかった。
 さすがに二人だけで発掘していたときとは比較にならないスピードで彫り進められ、始めて早々、土砂崩れの土とは明らかに違う、崖そのものの地盤が現れたりもした。
 井上が連れてきた若者の中には女子の姿もあったが、そちらは力仕事ではなく、近くの店から飲み物などを調達するなどして発掘作業をする男達のサポートをしていた。

「この分なら、今日中には掘り返せるだろ」
「……井上さんって仕事中だったのではー?」

 ちなみに井上はまだ制服姿のままだ。

「ダイジョーブ、ダイジョーブ。こんな田舎だ。事件なんざそうそう起こりゃしねぇよ。ま、喧嘩しそーなやつらはここに集まってるしな」
「君たちは一体、何をやっとるんだッ!」

 さすがに若者が集まると、目立つらしく先ほどから野次馬が集まっており、その人だかりを掻き分けて、一人の背広姿の男が千鶴たちに向かって叫んだ。

「ありゃ、まじい」と、先ほどまで井上の顔に苦味が加わる。「役人だ」

 最初はなぜまずいのか分からなかったが、付け加えられた一言で、千鶴の表情からも血の気が失せる。ここで発掘を中止させられれば、余所者でありながら勝手に発掘した千鶴には二度と発掘許可は下りないだろう。最悪、法的手段に訴えられる可能性すらある。

「許可は出ているのか?」

 お盆で役場も休日の折、そんなものは出せるはずもなく、答えに困っていると、役人は警察の制服を着た井上に目をつける。

「君は井上さんとこの息子だな? 君は警察官だろう!? なぜ一緒になってこんなことをしてるのかね」

 一緒になってやっているどころか、ここにいる若者連中を集めたのが井上なのであるが。

「い、いや、俺はてっきり許可は出ているモンだと」

 タチの悪いことに、この軽い警官はトボケにかかったものである。

「警官がウソをつくんじゃない! そもそも職務中だろうが君は!?」

 違いない。これには言い逃れができず、井上はばつが悪そうに、そっぽを向いて沈黙した。
 井上を黙らせた役人は、次に千鶴に向き直る。

「で、そっちの君は何をやっていたのですかな? 見たところ、この村のものではないようだが」
「えーと、それはですねー」

 なるべく穏便に済ませるために、正直に説明をしようと、千鶴が口を開いたその時、背後から完成が聞こえた。

「洞窟だ! 中に何かあるぞ!?」

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