なか杉こうの日記
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職場には18歳とか20歳ぐらいで採用されてきた若い女の子がいる。そんな子のひとりが昨日も帰り、玄関でボックスに入ってる警備の人にこくり、と挨拶してスカートを翻しながら、夕陽の照る坂を下っていった。
坂といってもビルの玄関から大通りにでるまでの煉瓦のはめてあるスロープである。陽を浴びて。実に素朴である。今日の買い物のことを考えているのか、その子は若くて結婚したのである。
こういう生活に非常に憧れる。身の回りのこと。生まれてから、やがて結婚することを当然のように考えている暮らし。中学のときは中学で回りの人たちと適当に笑いさざめき、うちに帰ったら帰ったで適当に手伝いをして親戚のおばさんいとことつきあい、四季折々のいろんな「行事」を体験し。(すみません、語彙不足でうまく表現ができない)
あたり前の暮らし。ひなまつり、お彼岸、こいのぼり、エトセトラエトセトラ。こんなあたり前の暮らしがうらやましくてしょうがない。
先ほどテレビでやっていたが、なんでも今「東大」に入るのをテーマにしたマンガがはやっているそうだ。その作者らしき人が「いやあ、トーダイに入るのはそんな難しいことではないんですよ」と言っているのを耳にした。そして今、それに備えて幼稚園からお受験をさせ、いろいろ教え込む親が沢山いるのだそうだ。今に始まったことではないだろうが。
確かに英語に関して言えば、東大の試験問題はすっごく難しいという類のものではなかった。これは今をさかのぼる○十年前の話であるが。たとえば医大などは難問奇問の類を出す。上智大の試験はいわゆる、アチラ風で、帰国子女ならばともかく、大量の英文を早く読むことが求められたと思う。
ところが東大の問題は、いたって素直。ベーシックでありながらうーんと、なんていうのか、「いい問題」だったと覚えている。高三のとき、やりながら「東大ってこんなもの・・・」とちらりと思った。しかしあとの科目は知らない。きっと難しいのだと思う。
幼稚園の頃から机にすわらせ、字を早く覚えさせられたり知能テストのようなことをやらされたりしている子どもちゃんを見ると、気の毒というより「この子どうなるんだろ」と思う。
自分が小さいときは近所の子とうんと遊んだし、もっと幼少の頃は寝るときに母が必ず絵本を読んでくれたし。[みつばちマーヤのせんせいの、カッサンドラがいいました・・・」という言葉は、あの詳細な細密画のような絵とともに覚えている。
幼稚園のとき、買って貰った歌の絵本を開きながら、ひとりで歌を歌い、その絵本の情景にずっぽりと入っていたこと。「月の砂漠」や、「カナリヤ」や、あとなんの歌だったか、麦畑のなかでひばりだかが、母さんとはぐれて、麦の高い穂の根っこのほうで、さびしげにぽつんといる・・・。これは自分がそうなったように思えて悲しかった。
こういった人の情緒を育てるというのは、「いい」幼稚園に入って早く漢字や計算ができるようになることで育つとは思えない。もっとも私も小学高学年にはこの受験のなかに組み込まれていくのである。
さきほどの漫画の作者だと思うが、「東大に入ると人生の可能性が広がるんですよね」と言っていたが、可能性とは何であるか。高級官僚にもなれます、ということなのか。
それで失うことは数多くあるのである。
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