なか杉こうの日記
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2006年01月15日(日) 街の陽と陰 Yang and Ying of My Town Life

こんどうちの市でこの市を背景に撮った数々の映画を紹介する映画祭というのをやるそうだ。石原裕次郎やら吉永小百合やら出るものである。はー、見たい見たいと思った。

しかし、なぜ見たいかというと、それは1950年代ないし60年代のスターが懐かしいのではなく、この町のその頃の風景を見るのが楽しみなのである。50年代60年代にはやった映画というのは、わたしよりか一世代上の、お兄さんお姉さん(いまは初期のおじいさんか)の方たちのものである。

わたしはそのころは生まれてないか、赤んぼか、幼稚園ないし小学生であったし、それに町の塀や商店や映画館の看板や風呂やの脱衣所に貼ってあった映画のポスターにはまったく関心もなかった。子どもが見る映画ではなかったしね。とくに高倉健とかね。

だから今回の映画祭も「行きたい!」と思ったのは、この町の風景が映るからである。団塊の世代の最初が今年定年になるそうである。あたしは団塊の世代のどんじりもしくはそれに入らないのではないかと期待して思っている。

それにしてもうちの市は全国でも高齢者の割合が高いらしくって、三割とか聞いたことがある。65歳以上のことだと思うけど。たしかに街を歩けばお年よりにあたるとしか言いようのないほど、街はお年よりばかりだ。その風景に慣れすぎたのでなんとも思わないくらいだ。

くたくた歩いているお年よりのことである。

市の広報誌の表紙は「とれんでぃー」な若夫婦が表紙で、この町でちょっとエコの暮らしを楽しんでいるそうな。こんな若い人たちが好んでこの街に住もうとしている。それと対比して、どっさり、戦後や高度成長期にこの地に住み着いた今はお年寄りがいる。そのお年寄りを連れて、一億円もする高級住宅地に建物と家を買ったわたしぐらいの年齢の人もいる。

本屋を歩けばこの町ですてきな生活を楽しむための雑誌が積まれている。あおい空、広がる海。サーフィン、レストラン・・・エトセトラ。地元のあたしはあまりこの種の暮らしとは関係がない。

この町で新たに開業した医者は、趣味にサーフィンとかヨットをやる人が(そうだ、思い出すとたしかに)けっこういて、整体の先生もそうだったし、今行っている歯医者の先生や耳鼻科の先生の待合室にも、サーフィンの専門誌が置いてあった。

いーよなー、と思う。スポーツができて、奥さんもそんな趣味で、エコライフに関心があり、芸術などアートにも携わり、会社づとめの傍ら、休みにはヨットライフだ。そうだ、思い出したあそこの美容院も旦那がそんな趣味で、入口にはサーフィンボードと小型ボートがたてかけてある。

わたしの職場にもこの地に引っ越してきた人がいて、いつだったか、帰りスーパーのさしみコーナーで「今夜のおかず、さしみにしようかな」と見繕っていたら、うしろに足が見えて、「なか杉さん・・・」と男の声がした。ぎくりとして振り返ったら、この地に家族ともども引っ越してきた職場の人だった。

「また音楽会やりますからね、来てください」と彼が入っているグループの演奏会のちらしを渡された。かれは家を買ってヨットも持っているのである。この人はしかし、仕事のほうはどうだったかな・・・。

ちくしょーとは思わないが、このトレンディー系の向こうをはって、つまりこの青空の広がる、青い海とスポーツが楽しめる生活の向こうをはって、この町でひたひたと生きる、戦後の復興に寄与した、魚屋や菓子屋や米やのじいちゃんばあちゃんの話を、裕次郎やらの「太陽族」などとからめて、ドラマ化したら面白いだろうなとふと思った。









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