読書記録

2017年12月14日(木) 子規の音/森 まゆみ

 子規35歳の暦本

長く患う病人は同じことを考える。痛みが伴えばなおさらだ。自分がいるために母妹の暮らしは犠牲になっている。友人弟子たちにも重荷に違いない。自分さえいなければ、と思う。左向きに寝たまま前を見ると硯箱に小刀と千枚通しの錐が見える。「古白日来」。自殺した古白が来いという。
「さなくとも時々起ろう起ろうとする自殺熱はむらむらと起こって来た」
小刀で喉元を切るか。錐で心臓に穴を三つ四つあけるか。
「死は恐ろしくはないのであるが苦が恐ろしいのだ 病苦でさえ耐えきれぬのに此上死にそこのうてはと思うのが恐ろしい」。
これも死を思いとどまる人間の共通した心理である。自殺を断念した子規はしゃくりあげて泣き、十五日、こう認めた。

表題の ”音” というのは、動けぬ子規が根岸の病床で、五感研ぎ澄まされ自宅周辺やら家人友人らの動きに殊更、敏感になっていったのだ。

子規は最後まで明晰だった。下痢が激しくなり、痛みに絶叫し、モルヒネも効かず、浮腫で足は仁王の足のように膨れても、ただ、生きていた。
骨盤は減ってほとんどなくなっている。脊髄はグチャグチャに壊れて居る、ソシテ片っ方の肺が無くなり片っ方は七分通り腐っている。八年間も持ったということは実に不思議だ実に豪快だね、と友人が語っている。
その腐った脊髄から出る膿の包帯を取り換えるときは、腐敗したる部分の皮がガーゼに附着して号泣している。


真砂なす数なき星の其中に吾に向いて光る星あり



そして辞世の句

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあわず
をとゝいのへちまの水も取らざりき


















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